今日の更新2ページ目です
sachiさんのツイより
泉区民ふるさと祭り
羽生さんモザイクアート
みんなでペタペタ貼って作成中です
羽生選手出演のテレビ放送
25日(土)ゆづ君は・・夜8:30頃~ 24時間テレビ
仙台でのアイスショー(録画放送)日本テレビ
当日生放送はありません。
Heroes & Future 2018 in NAGANO テレ朝チャンネル2
8月25日(土)12:30~14:50 2日目
8月26日(日)12:30~14:45 3日目
[羽生は普通とは違う考え方で人生の選択をしているフシがある。]
結城和香子×2
明日はいよいよ24時間TVの日となった。
五輪シーズンの昨年は
「今年はないだろう」と思っていたが外れた。
それは彼の決めた選択だった。
五輪が終わった今年の夏もその日はやってくる。
「羽生は普通とは違う考え方で人生の選択をしているフシがある」と
彼の心に寄り添って二度も記事を書いてくださったのが読売の結城さんだ。
二つの記事を続けてどうぞ。蒼い炎さんのブログより
-----------------------------------
<過去のブログ記事より> 2014年 ソチが終えての記事です。
24時テレビのゆづ君の思いに添えて!!
以前交流のあったココさんからのご紹介の記事です!
注目の人物
インタビュー:チャールズ・T.ホイップル
羽生結弦は日本のフィギュアスケート界の新星のひとりだ。
2011年にシニアに移行して以来、2012年の世界選手権では銅メダル、
2012年、2013年の全日本選手権で金メダルを獲得している。
そんな彼は大いなる困難を乗り越えてきた。故郷の街が東日本大震災に遭い、
数日間の避難所生活を余儀なくされたのだ。
スケートはもう続けられないとさえ思った。しかし、家族やファンや
ほかのスケーターの励ましのもと、彼はさらに強くなって戻ってきた。
現在はカナダに拠点を置き、オリンピック金メダルを目指して、みずからの
スケートに磨きをかけている。
Q:日本からカナダに拠点を移しましたね。なぜカナダに?
A:英語が大変で……。でも、カナダには外国人がたくさんいて、
英語がうまい人ばかりじゃないとみんなわかっているから、
こちらの話にじっくり耳を傾けてくれるんです。
なぜカナダかと言うと、その答えは簡単です。
いっしょに練習したいスケーターがいるから。前から4回転ジャンプを
うまく跳びたいと思っていて、そのスケーターが4回転を得意として
いるんです。彼といっしょに練習できたら、彼から4回転ジャンプを
学べると思ったので。
※ハビエル選手の事です。
Q:ほかのスケーターたちから学んでいるということですか?
A:ぼくとしては、スケーターとして成長するにはそれが
いちばんだと思っています。なにかを得意とする選手がいると
いうことはコーチの教え方がうまいということでしょう。
だから、彼と同じ環境に入って、その技術を身につけ、彼のシステムの
中に身を置きたかったんです。
Q:効果はありましたか?
A:ええ、あったと思います。
たとえば、練習したくないときや、練習がうまくいかないときも
あるけど、そういうときこそ、同じリンクに自分よりうまい
スケーターがいることが大事なんです。
もちろん、ブライアン(・オーサー・コーチ)もそこにいて、的確な
アドバイスを与えてくれる。その結果、練習にも身が入るし、
「ばかばかしい。しっかりしろ。氷と向き合え。やるんだ」と
自分に言い聞かせるんです。
Q:プロのアスリートはよくイメージ・トレーニングが結果に
大きな役割を果たすといいますよね。
A:ええ、イメージ・トレーニングは大切です。
毎晩、頭の中でプログラムをおさらいしています。といっても、
長くて4分ですけど、頭の中で最低3回は自分のプログラムの
おさらいをするわけです。ぼくにはそれがとても重要なんです。
だって、考えてみてください。スケートはどこでもできるわけじゃない。
だからこそ、イメージ・トレーニングが重要になってくるんです。
それなら、どこでもできますから。
Q:スケーターの養成方法は、カナダと日本ではちがいますか?
A:環境がぜんぜんちがいますね。日本にはリンクが少ないから、
フィギュアスケートに割り当てられる時間がそれほど多くないんです。
カナダではスケートの認知度が段違いですね。
たとえば、ぼくが所属しているのはフィギュアスケート専用の
クラブで、独自のリンクを持っています。
ぼくはリンクでの練習は時間内できっちり集中して終わらせたい
タイプなんです。あとは自宅で過ごしたり、ワークアウトをしたり、
イメージ・トレーニングをしたり、いろいろしています。
Q:家族や友人と離れてカナダへ来たわけですが、ホームシックには
かかりませんでしたか?
A:仙台を離れるのはさみしかったです。
でも、母が同行してくれましたし、カナダに来たのはスケート
するためなので、ホームシックなんて言ってる場合じゃありません。
Q:国がちがうと、観客の反応もちがいますか?
A:大会によるんじゃないでしょうか。
オリンピックには世界じゅうからいろんな人が来るでしょうね。
世界選手権のときには、日本からたくさんのファンが来てくれるのが
ほんとうにうれしいです。自分のプログラムのすべての要素に完璧な
自信を持てることはないから、大勢のファンの人が応援してくれると、
ぜんぜんちがいますね。少なくとも、ぼくはそうです。
Q:あなたは日本の東北地方の仙台の出身ですね。
2011年3月11日に東日本大震災が起きたとき、どこにいましたか?
A:リンクで練習中でした。すごく怖かったです。
スケートは続けられないと思いました。4日間、避難所で暮らし、
そのあいだ、いろんなことを考えましたよ。
「いまはスケートなんてしてる場合じゃない。ほかにすべきことがある。
生きていくことについて考えないと」って。
しばらくスケートから離れていましたが、やがて練習をはじめました。
神戸でチャリティー・アイスショーが企画されて、神戸は1995年に
大きな地震に見舞われた街なんですけど、その主催者がぼくに声を
かけてくれたんです。
それが東北地方の被災者支援のチャリティーだったので、ぼくが
滑ることで貢献できるのなら、やらないと、と思ったんです。
さっきも言ったように、ホームリンクが大きな被害を受けたので、
練習ができません。すると、あちこちから電話やメッセージが
届いたんです。「こっちに来て、練習しなよ」って。
ほんとうに大勢の人がそうやって声をかけてくれました。
すごいことですよね。
スケートを再開したことも、アイスショーに出演したことも、
後悔はしてませんが、当時はそれでいいのかとずいぶん悩みました。
でも、いまではみんなが応援してくれて、そのことがもうほんとうに
うれしいです。もうすぐオリンピックですけど、応援してくれた人たちに
恩返しするためにも、いい結果を出さないと、と思っています。
Q:どうやって「恩返し」をするか、考えていますか?
A:ええ。ぼくのホームリンクは2004年に閉鎖されました。
でも、2006年に荒川静香さんが金メダルを獲り、オリンピックメダリスト
としての彼女のサポートによって、2007年に再開されたんです。
日本にはスケートリンクがそれほど多くないので、オリンピックで
金メダルか、それに近いメダルがとれて、最終的にちゃんと稼げる
プロのスケーターになれたら、具体的な形で貢献したいと思っています。
(注:荒川静香は仙台出身のフィギュアスケーターで、
日本ではじめてフィギュアスケートの金メダルを獲得した。
現在はプロのスケーターである)
Q:プロ転向後の目標は?
A:教室を開きたいと思っています。
日本では、フィギュアスケートを始める女子はたくさんいるけど、
男子は少ないんです。だから、ソチや、そのあとのオリンピックで
いい結果を出せれば、もっと多くの男子がスケートをはじめて
くれるんじゃないかなと思っています。
Q:国旗を背負うのは重たいですか?
日本代表という立場をどう考えていますか?
A:日本代表というのは、ほんとうに大きな責任を背負うことに
なりますが、うれしいですね。そのためにがんばってきたわけですから。
いつも誰かに見られているような気がすることもありますけど、
それも責任のうちです。日本代表に選ばれたときにはすごくうれしくて、
がんばってきたかいがあったと思いました。
これからもますます精進して、ぼくを応援してくれた
すべてのファンに感謝したいです。以上です!
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8月25日(土)12:30~14:50 2日目
8月26日(日)12:30~14:45 3日目
[羽生は普通とは違う考え方で人生の選択をしているフシがある。]
結城和香子×2
明日はいよいよ24時間TVの日となった。
五輪シーズンの昨年は
「今年はないだろう」と思っていたが外れた。
それは彼の決めた選択だった。
五輪が終わった今年の夏もその日はやってくる。
「羽生は普通とは違う考え方で人生の選択をしているフシがある」と
彼の心に寄り添って二度も記事を書いてくださったのが読売の結城さんだ。
二つの記事を続けてどうぞ。蒼い炎さんのブログより
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24時テレビのゆづ君の思いに添えて!!
以前交流のあったココさんからのご紹介の記事です!
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インタビュー:チャールズ・T.ホイップル
羽生結弦は日本のフィギュアスケート界の新星のひとりだ。
2011年にシニアに移行して以来、2012年の世界選手権では銅メダル、
2012年、2013年の全日本選手権で金メダルを獲得している。
そんな彼は大いなる困難を乗り越えてきた。故郷の街が東日本大震災に遭い、
数日間の避難所生活を余儀なくされたのだ。
スケートはもう続けられないとさえ思った。しかし、家族やファンや
ほかのスケーターの励ましのもと、彼はさらに強くなって戻ってきた。
現在はカナダに拠点を置き、オリンピック金メダルを目指して、みずからの
スケートに磨きをかけている。
Q:日本からカナダに拠点を移しましたね。なぜカナダに?
A:英語が大変で……。でも、カナダには外国人がたくさんいて、
英語がうまい人ばかりじゃないとみんなわかっているから、
こちらの話にじっくり耳を傾けてくれるんです。
なぜカナダかと言うと、その答えは簡単です。
いっしょに練習したいスケーターがいるから。前から4回転ジャンプを
うまく跳びたいと思っていて、そのスケーターが4回転を得意として
いるんです。彼といっしょに練習できたら、彼から4回転ジャンプを
学べると思ったので。
※ハビエル選手の事です。
Q:ほかのスケーターたちから学んでいるということですか?
A:ぼくとしては、スケーターとして成長するにはそれが
いちばんだと思っています。なにかを得意とする選手がいると
いうことはコーチの教え方がうまいということでしょう。
だから、彼と同じ環境に入って、その技術を身につけ、彼のシステムの
中に身を置きたかったんです。
Q:効果はありましたか?
A:ええ、あったと思います。
たとえば、練習したくないときや、練習がうまくいかないときも
あるけど、そういうときこそ、同じリンクに自分よりうまい
スケーターがいることが大事なんです。
もちろん、ブライアン(・オーサー・コーチ)もそこにいて、的確な
アドバイスを与えてくれる。その結果、練習にも身が入るし、
「ばかばかしい。しっかりしろ。氷と向き合え。やるんだ」と
自分に言い聞かせるんです。
Q:プロのアスリートはよくイメージ・トレーニングが結果に
大きな役割を果たすといいますよね。
A:ええ、イメージ・トレーニングは大切です。
毎晩、頭の中でプログラムをおさらいしています。といっても、
長くて4分ですけど、頭の中で最低3回は自分のプログラムの
おさらいをするわけです。ぼくにはそれがとても重要なんです。
だって、考えてみてください。スケートはどこでもできるわけじゃない。
だからこそ、イメージ・トレーニングが重要になってくるんです。
それなら、どこでもできますから。
Q:スケーターの養成方法は、カナダと日本ではちがいますか?
A:環境がぜんぜんちがいますね。日本にはリンクが少ないから、
フィギュアスケートに割り当てられる時間がそれほど多くないんです。
カナダではスケートの認知度が段違いですね。
たとえば、ぼくが所属しているのはフィギュアスケート専用の
クラブで、独自のリンクを持っています。
ぼくはリンクでの練習は時間内できっちり集中して終わらせたい
タイプなんです。あとは自宅で過ごしたり、ワークアウトをしたり、
イメージ・トレーニングをしたり、いろいろしています。
Q:家族や友人と離れてカナダへ来たわけですが、ホームシックには
かかりませんでしたか?
A:仙台を離れるのはさみしかったです。
でも、母が同行してくれましたし、カナダに来たのはスケート
するためなので、ホームシックなんて言ってる場合じゃありません。
Q:国がちがうと、観客の反応もちがいますか?
A:大会によるんじゃないでしょうか。
オリンピックには世界じゅうからいろんな人が来るでしょうね。
世界選手権のときには、日本からたくさんのファンが来てくれるのが
ほんとうにうれしいです。自分のプログラムのすべての要素に完璧な
自信を持てることはないから、大勢のファンの人が応援してくれると、
ぜんぜんちがいますね。少なくとも、ぼくはそうです。
Q:あなたは日本の東北地方の仙台の出身ですね。
2011年3月11日に東日本大震災が起きたとき、どこにいましたか?
A:リンクで練習中でした。すごく怖かったです。
スケートは続けられないと思いました。4日間、避難所で暮らし、
そのあいだ、いろんなことを考えましたよ。
「いまはスケートなんてしてる場合じゃない。ほかにすべきことがある。
生きていくことについて考えないと」って。
しばらくスケートから離れていましたが、やがて練習をはじめました。
神戸でチャリティー・アイスショーが企画されて、神戸は1995年に
大きな地震に見舞われた街なんですけど、その主催者がぼくに声を
かけてくれたんです。
それが東北地方の被災者支援のチャリティーだったので、ぼくが
滑ることで貢献できるのなら、やらないと、と思ったんです。
さっきも言ったように、ホームリンクが大きな被害を受けたので、
練習ができません。すると、あちこちから電話やメッセージが
届いたんです。「こっちに来て、練習しなよ」って。
ほんとうに大勢の人がそうやって声をかけてくれました。
すごいことですよね。
スケートを再開したことも、アイスショーに出演したことも、
後悔はしてませんが、当時はそれでいいのかとずいぶん悩みました。
でも、いまではみんなが応援してくれて、そのことがもうほんとうに
うれしいです。もうすぐオリンピックですけど、応援してくれた人たちに
恩返しするためにも、いい結果を出さないと、と思っています。
Q:どうやって「恩返し」をするか、考えていますか?
A:ええ。ぼくのホームリンクは2004年に閉鎖されました。
でも、2006年に荒川静香さんが金メダルを獲り、オリンピックメダリスト
としての彼女のサポートによって、2007年に再開されたんです。
日本にはスケートリンクがそれほど多くないので、オリンピックで
金メダルか、それに近いメダルがとれて、最終的にちゃんと稼げる
プロのスケーターになれたら、具体的な形で貢献したいと思っています。
(注:荒川静香は仙台出身のフィギュアスケーターで、
日本ではじめてフィギュアスケートの金メダルを獲得した。
現在はプロのスケーターである)
Q:プロ転向後の目標は?
A:教室を開きたいと思っています。
日本では、フィギュアスケートを始める女子はたくさんいるけど、
男子は少ないんです。だから、ソチや、そのあとのオリンピックで
いい結果を出せれば、もっと多くの男子がスケートをはじめて
くれるんじゃないかなと思っています。
Q:国旗を背負うのは重たいですか?
日本代表という立場をどう考えていますか?
A:日本代表というのは、ほんとうに大きな責任を背負うことに
なりますが、うれしいですね。そのためにがんばってきたわけですから。
いつも誰かに見られているような気がすることもありますけど、
それも責任のうちです。日本代表に選ばれたときにはすごくうれしくて、
がんばってきたかいがあったと思いました。
これからもますます精進して、ぼくを応援してくれた
すべてのファンに感謝したいです。以上です!
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