ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

冬来たりなば、春遠からじ

2015年01月20日 | ●日々雑感

 

 

今日は大寒でしたね。

1年前も、今日が大寒でした。

その日に、こんな記事を書いています→こちら

 

今日から立春までが、一年で一番寒い時となります。

いつまでも、ずっと寒さが続くと思うと気持ちが塞ぎますね。
また、いつまで続くのかわからない、というのも、
滅入るものです。

 

でも。
冬来たりなば、春遠からじ
という言葉もあるように、
冬の次には春がくる。

明けない夜はない

そして、夜明け前がいちばん暗い
おまけに、いちばん寒い・・・。

 

 

今、受験真っ最中という人も多いと思います。
年度末を前に、仕事がパンパン、という方もいらっしゃることでしょう。

いろんな思いで張り詰めていらっしゃる方がいると思いますが、
春が来ることを信じて、
いちばん寒い時期を乗り切りましょう。 

 

良くも悪しくも、そこが最後ということはありません。
すべては流転しています。 

ゴールは最後ではなく、通過点。
その後には、さらに明るい未来が広がります。
そう信じていれば、
つまり、そうじゃないと思ってそこで終わりにしてしまわなければ、
必ず。

 

 

  

 


違うものが交わる楽しさ

2015年01月14日 | ●日々雑感

 

今日は、ご招待いただきき、
宝生能楽堂で行われた
「立合狂言会」というものに行ってきました。

 

流派や家の垣根を超えて、
狂言師たちが同じ舞台に立つ、という企画。 

和泉流の野村万蔵さんと、
大蔵流の茂山千三郎さんが、
お世話役。

 

 

そもそも狂言というもの自体が、
もはや現代の日常からは離れてしまっていますから、
何流がどうで・・・といったことは
私のような一般人にはわからないものだと思います。

なのですが、
今日は、世話役のお二人が、しょっぱなで、
あえて同じ演目の一部を同時にやって見せてくださる、
という趣向があり、
実に興味深かったです。

そんな機会って、滅多にあるものじゃありません。

同じものでも、いくつもいくつも違う点があるのです。
まさに表現の違い。
それを、名実ともに、実際に比べながら見ることができました。

 



狂言師の皆さん自身も、
他流派どころか、同じ流派でも他家のものは
実はほとんど見たことがない、というお話がありました。

「へ〜、そうなんだ」と、ちょっとびっくりでしたが、
それほど、ある意味狭い世界だったりするんだな、
と思いました。

 

狂言師の数も、限られてきているようです。
パイの食い合いをするより、
いっそみんなで協力していこうよ、という
現実的な死活問題もあるのだと思います。


いろんな事情があるとは思いますが、
違うものが交わるということは、
すてきなことだな、と思いました。 

 

どんなものでも、違うものが交わると
それまでにはなかったものが生まれる可能性が
ぐっと高くなります。


そんな可能性を感じるだけでも、
何とはなしにワクワクします。



何かに行き詰まったら、
それまでとは違う取り合わせを考える。

自分たちだけでなく、他の人と、
しかも新たな仲間と一緒にやってみる。


うまくいかなくても、元に戻るだけですから、
うまくいけばいった分だけもうけもの。


普段の生活でも、
その気持ちを持って、
チャレンジしていきたいな、
そんなことを思い出させてもらいました。


  


幸せな休日の過ごし方

2015年01月11日 | ●日々雑感

 

 

3連休の中日の今日。


私は、ランニングチームの仲間と、

私の最寄駅→5キロほど先の有名な公園→5キロほど先の有名なお寺
→スタート駅→そのそばのスーパー銭湯

のコース、約20キロを走ってきました 

 

↑ お寺の境内は、まだまだ初詣のお客さんで賑わっていました

 

 

メーリスをうっかり見過ごしていて、
この練習会があることに気づいたのは、昨日の夜。

でも、ちょうど今日は走ろうと思っていたし、
そのお風呂にも行きたいなあ、とずっと思っていたので、
まさに私のための企画でした 

 

この年末年始は、寒いながら、穏やかな日が続いていますが、
今日も真っ青な空と澄んだ空気の中、
気持ちよく走れました!

 

このブログでも何度か書きましたが、
短くもないこの距離、
なかなか一人では走ろうと思いません。

途中で足が痛くなったりすると、
もうやめちゃおうかな、と思ったりします。


でも、仲間といると、不思議と走り切れます。


お風呂の後は、メンバーの一人のお宅にお邪魔して、
新年会。


こんな休日の過ごし方、
最高だなって思います。


今年は、ピピっと来たら、それを実行すること、
そして、思い切り深呼吸するように、
一瞬一瞬を味わおうと思っています


 



幸せ〜 


 


「当たり前」の仕事に感謝

2015年01月08日 | ●日々雑感

 

 

松の内も終わり、2015年も日常モードに入りましたね。

みなさま、お仕事お疲れ様です。

 

仕事といえば、
今年はお正月から、何人もの方の仕事ぶりに、
改めて関心している私です。

 

たとえば、
正月2日には、なんと給湯器が壊れて、修理をお願いしました。

どうしてもお湯が出ず
こりゃ、やっぱりダメだ、ということになり、
ガス台のそばに貼ってあったステッカーにある番号に電話。
(「お気軽にご連絡ください」って書いてあったので、
 「お正月だけど、かけちゃおう」と、かけさせていただきました)

すると、やはり、基本インフラに関しては、365日対応なんですね。
ちゃんと応答してくれて、即日、
担当の方が来てくださいました。

 

そして、必要な箇所を点検して、サクッと原因を突き止め、
部品を交換。
すると、
ちゃ~んと、お湯が出てきました


それは、当たり前のことなんですが、
素晴らしいのはこのあとです。


この方、実は、⚪︎ガスの関連会社の方だったのですが、

「お宅では、給湯器のメーカーの保障サービスに入っていて、
 それが、今年の5月まで有効ですよ。
 そのサービスで直せば、無料になるはずです。
 うちだと、どうしても5千円はいただくことになります」

とおっしゃるのでした。

「え、そうなんだ・・・」

給湯器を取り替えたことなんて、かれこれ7年前だったので、
覚えてなかったし、
工事をしてくれた会社から、
そんなサービスについて聞いた覚えもなかったのです。
(↑ たぶん、私が忘れてるんだと思います)

 

考えました。
すぐにお湯が出た方がいいし・・・
明日、必ず直してもらえるとも限らないし、
もういい加減お風呂に入りたい!

でも、払わなくてもいい5千円を払うのは、
やはりもったいないなあ・・・


その方は、

「今日は来なかったことにしますよ。
 明日に変更になったことにしておきます。
 で、もし、明日、修理してもらえなかったりして
 こちらの方で修理、ということになれば、
 明日、来ます。
 そちらのサービスで修理できそうなら、
 明日、こちらはキャンセルしてくださって結構です」

と、おっしゃいました。
 

え〜、そんなあ・・・
本来なら、出張費だけで数千円お支払いしなくてはならないところです。
しかも、 正月早々から呼び出しておいて・・・
なのに、なかったことにするなんて、あんまり悪すぎないか?
今のこの時間と手間、もったいないなあ、と思いました。

悩みました・・・

でも、自分が当然受けるべき権利を持つサービスを受けるのは
やはり当然のこと、
そう思って、その方のお言葉に甘えさせていただきました。

 

 

そして結局、給湯器は
翌日、無事にメーカー保障のサービスで直していただきました

 



にしても、ほんとに良い方だったなあ・・・
こういうサービスをしていただくと、
次回は、こちらにお願いしたい、そう思うのが人情ですね。


お正月から心が温かくなりました。 

 

 

お正月には、宅急便屋さんにもお仕事をお願いしました。
年末に片付けた本。
大学への寄付の仕組みを利用することにしましたが、
こちらもやはり三が日中にもかかわらず、
ネットで申し込んだら、普通に集荷に来てくださいました。



そして、今日は、
先日、着払いで届いた荷物の運賃を
その方の勘違いで6円多く払っていたとのことで、
配達の方が、6円を戻しにやって来てくださいました。

言われなければ、全くわからなかった6円。
その、たった6円のために、
おそらく、6円どころではないガソリン代を使って
わざわざ来てくれました。



上記の皆さんは、
当たり前といえば当たり前の仕事をしているにすぎない、
と言うことができます。

でも、当たり前を貫くって、やはりそれなりに大変なものです。


そうした仕事の仕方をしてくださる人たちの多い日本て、
やっぱりすごい国だな、
なんてことを考えたりしながら、
そうしたサービスを受けられることに、
そうしたサービスを提供してくださる気持ちを持っている人たちが
何人もいることに、
なんだか、嬉しくなったこのお正月でした。 



 


ランニングでいい「気」を回す

2014年12月18日 | ●日々雑感

 

今年も、本当にあとわずかとなりました・・・

今年、やろうと思っていてやれなかったこと、
やろうと思ってなかったけどやったこと、やらざるをえなかったこと、
それぞれにいろいろあります。

やろうと思っていたけれど、やれなかったことの一つに、
走ることがあります。

走ることは、始めようと思ったことではなく、
継続してきた日常の一つ。
それが、今年は本当にほとんどできませんでした。
振り返ってみると、月に1回走ったかどうかくらい。


なので、先日あった毎年恒例の「富士山マラソン」も、
完走しませんでした。


早々と申し込みはしていたし、仲間が走るので、
行きましたが、
そして、出場もしましたが、
当初から完走は諦め、 
結局15キロほど走り、5キロ歩いて、
20キロ地点でバスに乗りました。

富士山マラソンは、河口湖マラソンと言っていた頃の、
2010年以来、かれこれ5回目。
そして、これ以外の出場したレースも合わせ、
完走しなかったのは、今回が初となりました。


それはそれで、とてもいい体験でしたので
その話、また改めて書きたいと思いますが・・・



 

さて、昨日、
富士山マラソン(11月30日)以来、初めて、
走りました。
そうしたら、もちろん、疲れもしましたが、
やっぱり、気持ちがいいなあ、と実感。


そして、つくづく、机に向かってばかりだったりして
体を動かさないことが、
どれだけよくないか、ということを改めて思いました。


最近、なんというか、「毒」が
体に回っているのを感じてたんですよね〜・・・


「毒」っていうのは、
一つの比喩ですが、
言ってみれば、「悪い気」みたいなものかもしれません。
別名を「ストレス」とも呼ぶかも 


以前、中国人のある有名な先生から、気功を
少しばかり習ったことがありますが、 
その方は
「いい気を吸って〜、病気の気を吐いて〜」
という言い方をされていました。

なるほどな、と思ったものですが、
ほんと、そんな感じで、
良い気と、悪い気を、交換させていくこと、
とっても大切だと思います。

そのためには、何と言っても呼吸が大切だと思いますが、
体をしっかり動かしながら行うこで、
その呼吸がよりよくできる体になるのではないか、と思います。

体を動かしながら呼吸法を行うと、
体の隅々、頭の隅々まで、
いい気が、酸素に乗って行き渡るような感じがします。


「悪い気」が体に溜まっていると、
気持ちも、それこそ「病気」になってくる気がします。
体を動かしているより、動かさないでいる方が、
物事を悪く、考えやすくなります。

視点も変わりにくいので、同じことをぐるぐると
考えやすくなります。


鬱の人がランニングをすると、鬱から回復するとか、
鬱になりにくい、という話がありますが、
これは科学的にも証明されているそうです。


プロのコーチはクライアントさんの目標達成をお手伝いする一方で、
その人を、
仕事だったり人間関係だったり、
経済、健康、趣味…… など、
人生において大切だと思われる側面から
トータルに見ますが、
(どんなにお金を儲けたとしても、人間関係が破綻していたり、
 健康を損なってしまったりしては、
 根本的に幸せにはなれないですから・・・)
ちゃんと運動しているか、というのも、
一つのチェックポイントです。

とくに、メンタル的にダウンしそうな人の場合は、
そこがあるかないか、とても重要になります。




・・・ということで、
なんか、最近ちょっとやばいかも、私・・・と思っていたので、
これは動かなくちゃ、と、
昨日にひきつづき、今日も 
思い切って走りに行きました。


そうしたら、やっぱりスッキリ。


今日は、先日ある専門家の友人から教えてもらった
英語の発音のための顔の筋肉作りの体操をしながら
英語をしゃべりながら、走りました  笑


そうすると、とても近視眼的だった視点が、
ふっと、遠くに移ります。
拘泥している今、というか、
本当は今ではない、頭の中だけに存在する過去だったり未来だったりを
見つめることをやめて、
本当の今に戻ることができる、ということなんじゃないか、
と思います。 


「今」を感じることができるのは、体。
頭が感じていると思っているのは、
実は実態のない過去や、未来なのかもしれません。 


走ろうかどうしようか、迷ったら走る、
来年のマイルールの一つにしようと思います。 


 

 



 


 


オリンピックより魅力的なゲーム

2014年09月20日 | ●日々雑感

 

 

今日は、末っ子の体育祭でした。

 

人が全力で何かをしているのを見るのは

気持ちがいいものですが、

子どもたちが、一人ひとり、

そしてみんなで力を合わせて、

頑張っている姿を見るのは、

それだけで楽しいものだと感じます。

 

まして、やはり自分の子どものそれを見るというのは、

オリンピックのゲームを見るより、

さらに魅力的でワクワクドキドキします。

 

 

4人の子どもたちの体育祭・運動会を見ること20年。

思えば、こんな長きにわたり、

毎年毎年、そんな楽しい思いをさせてもらえたと思うと、

有り難いことだなあ、と思います。

 

それも、来年のあと1回を残すだけとなりました。

来年は、学校行事のすべてがラストとなります。

終わるたびにどんな思いがするのだろうと思うと、

なんだか自分が卒業をしていくより深い感慨を持ちそうです……

 

 


人気ブログランキングへ


大道芸から学んだこと

2014年09月06日 | ●日々雑感

 

 

昨日、仕事の帰りに大道芸を見ました。

たいまつやコマを使ったアクロバティックなものが中心の

ダイナミックな芸でした。

 

ちょうど始まるところで、いちばん前で見ました。

何気なく見始めたのですが、

その見事さに引き込まれ、とうとう最後まで

その「ショー」をたっぷり楽しんでしまいました。

 

そして、なんだかとっても感激しました。

 

何がそんなに感激したんだろう・・・

自分でその後、考えてしまいました。

 

 

 

もちろん、一つには、その芸のレベルが高かったからです。

終始、ハラハラドキドキの連続で、

私としては、心の中で、

ケガをしないで成功させてね、と

祈り続ける感じでした。

 

そんな技を、トークしながらやってしまう、というのだから驚きです。

はじめは、どこかにMCがいるのかと思いました。

それほど、声も内容もいけてました。

 

どっちか片方だけやれと言われても難しいのに、

両方を同時にやってしまう、それだけで、十分才能だと思います。

 

聞けば、その道のコンテストで全国優勝をしているほどの腕前、

というので、納得でした。

 

でも、そんなことを鼻にかける様子はみじんもなく、

茶髪の親しみやすいお兄さんでした。

そこにあるのは、

「お客さんを喜ばせてなんぼ」っていう姿でした。 

その姿に感激したのが2つ目の理由かも。

 

 

1人のサラリーマンが、一杯入った調子に任せて、

協力者として前に出ましたが、

その彼をヒーローにして楽しませつつ、

その場のお客さんみんなを楽しませてしまうという

場づくりのセンスの素晴らしさも、見事でした。

 

 

 

でも、何より私が心打たれたのは、

彼の「本気度だったのではないかと思います。

 

一瞬でも気をゆるめれば、文字通り命取りになりかねないことを

毎日練習しながら、やり続ける。

そこには、何の生活の保障もないわけです。

そして、そんな自分を、不特定多数の人に見せて、問う。

 

本当に一瞬一瞬が真剣勝負そのものだと思います。

 

そこには、オリンピックなど、スポーツに通じるものがあります。

その人が頑張って鍛錬してきたものを目の当たりにし、

その真剣さ、見事さに、見る者は感動をもらいます。

でも、オリンピックと違うのは、

その場が準備されたものではないということ。

大道芸は、その物理的な舞台を作るところから、

すべてを自分一人でやるわけです。

  

そして、自分を舞台に登場させ、日頃の練習の成果を問いつつ、

なおかつその場は、自分のためではなく、

集まってくれたお客さんのためにある。

 

その評価は、そのまま、その場の「投げ銭」として

形になって帰ってきます。

実に厳しい世界だと思います。

本気でなければ、とてもできない世界です。

 

(昨日はちょうど、ある企業様の研修で

フィードバックということについてもやりましたので

なおさら、自らフィードバックを取りに行き続けるその姿に、

感激しちゃいました)

 

 

何が彼をそこまで魅了したのかはわかりませんが、

彼が頑張っているのは確かです。

もう、汗びっしょりになっって、

ゆるゆるのズボンを何度もあげながら、必死でやっている。

 

 

でも、そこにある「頑張る」姿は

やらされてイヤイヤ、ムリムリやっているのとは違います。

好きで、一生懸命,とことんやっている。

そんな姿からは、見る人は元気をもらいます。


大道芸のそもそもの存在意義、みたいなものを

初めて感じたひとときでした。

 

 

 

もちろん、最後に、帽子の中に

「気持ちを形にして」しかも「折り畳めるもの」(彼の表現です。笑)を

入れてきました。笑 

 

 

動画を撮ったのですが、

データ量が大きすぎてアップできないのが残念です。 

写真の形にして1枚だけアップしますね。

 

 


人気ブログランキングへ 

 

ちなみに、大道芸人のお兄さん(星丸さん)のサイトはこちら↓

http://hwm8.wh.qit.ne.jp/hoshimaru/index.html

 

 


逝くものからのバトン

2014年04月06日 | ●日々雑感

 

 

昨夜は、高校時代の部活の先輩のお通夜に行ってきました。

 

二つ上の先輩でしたが、

高3になっても部活に顔を出してくれる

面倒見の良いかたでした。

一浪して、日本でいちばん難しい大学の医学部に進まれました。

その後、小児がんの専門家として、

病気の子どもたちのために力を尽くしていらっしゃる方でした。

 

葬儀も、本当は家族葬にされていたのだと思いますが、

ごく限られた親しい方のみ、

お参りさせていただく形でした。

今は大学教授もされているので、

普通の葬儀を行うと、どれだけたくさんの人が来るかわからず、

ほんとに大変なことになってしまうからだろうと思います。

 

 

ずっと信じられない気持ちで夢を見ている気分でしたが、

お焼香をする際に遺影に間近で向かった時、

その目が、きらりと光り、

私に語りかけてくるように感じました。

 

「オレはやりたいことをやってきたよ。

 まだやりたいことはあったけど、まあ、仕方ない。

 〇〇〇(私のニックネーム)も、

 ちゃんとやりたいことやらないとダメだよ」

 

それを感じた時、一気にたまらない気持ちがこみ上げてきました。

たぶん、お参りをした一人一人が、

そうやって、先輩からのメッセージを受け取ったのではないか

と思います。




こみ上げてくるものをそのまま表現していいのなら、

思いっきり

「〇〇さんの、バカヤロー!!!」

と叫び、その辺のものをひっくり返していたと思います。

 

友人たちも皆、同じ気持ちだと言っていました。

 

友人の一人が言いました。

「長生きするつもりだったけど、

 こうやってみんなを送るなんてたまらない。

 やっぱり、みんなより先に行きたいなあ」と。

 

すごく同感でした。

 

 

まったく、早すぎます。

生き急ぎ過ぎです。

 

大学の部活でも、

新入生の大学と学部と名前を、

一度聞いたらすべて覚えていたと言います。

本当に、記憶力抜群で、聡明な人でした。

 

「一生分、覚えちゃったんだろうね」

そんな話をしながら、

みんなで泣いて、笑いました。

 

その場にいた多くの人が高校・大学の合唱部つながりの人でした。

最後にお別れをしたあと、

人気が引いた会場で、

自然と歌い始めました。

 

夜の歌。

 

 

 

私たちは、誰もが、

「なぜなんだ」という、答えのない問いというか

怒りにも似た気持ちを消化しきれずに、

その場をあとにしました。

 

先輩のことを、改めて語り合い、泣いて、怒って、笑って、歌って、

送りたいと思いました。

 

 

 

そして、

逝くものは、残るものに

何らかのバトンを渡していくのではないか、

そんなふうに思います。

 

何を渡されたんだろう?

それを持って、どこに向かって、

どう走ればいいんだろう?

 

立ち止まっている時間は、もうないと思います。

 

 

本当は、その状態はいま始まったことじゃないのだけれど、

逝く人は、そうやって

私たちにバトンを持っていることを

思い出させてくれるのかもしれません。



 

 

 

↓よろしければクリックをお願いします


人気ブログランキングへ


桜吹雪

2014年04月04日 | ●日々雑感

 

 

今日は、久しぶりに青い空。

 

 

 

その空のもと、強い風に吹かれて桜吹雪が舞っていました。
 

その中を、久しぶりにジョギングしました。

 

 

 

 

桜色の世界が終わると、

日本は一気に新緑色になりますね。

それもいいけれど、

あともう少し、

桜色に包まれていたいなあ、と思います。

 


今年の桜に思う

2014年04月03日 | ●日々雑感

 

 

今年も桜の季節がめぐってきましたね。

東京では、あちこちで桜が満開。

 

毎年この季節には、

車椅子の父と母を車に乗せて、

近所の、隠れた桜の名所を回ります。

 

このパターンのお花見は、

父が自分では動けなくなってから、

いつの間にかするようになって、

もうかれこれ6~7年になるでしょうか・・・。

 

いつも母がおむすびやおやつを持ってくるので、

途中でおやつかランチ。

車が止められて、休めそうな場所で車を降りて、

父の車椅子を押しながら

しばし桜の下を歩きます。

そして、休憩。

 

お酒もなく、長時間でもなく。

 

それでも、桜をたっぷり味わえる貴重な時間でした。

 

 

母は、

「ああ、今年も桜を見られてよかったね、お父さん」

と、いつも大きく息を吐きながら言っていました。

「あと、何回みられるかねえ」と。

 

 

 

父にとっては、結局、去年の桜が最後の桜となりました。

今年の桜を見ることなく、

父は立春の前に旅立ちました。

春分の日の前に納骨。

 

父は、あの世で永遠の春を味わっていることでしょう。

 

 

今年は、1日に、

上京していた夫の母と、私の母、

二人の母を伴って、

いつものようにお花見をしました。

 

 

私の母は、父の写真を持ってきて、

写真の父に、一生懸命桜を見せていました。

 

何一つ親孝行らしいことができないままの私ですが

父に桜を見せてあげたことだけは、

ちょっぴり親孝行した思い出です。

 

 

  

 

 


セルフコントロールとコミュニケーションのセミナーで感動!

2014年03月15日 | ●日々雑感

 

 

昨日は、所属しているコーチングの勉強会の

スペシャルイベントがありました。

 

3.11を忘れないために、この時期、

いつもの勉強会とちょっと違うことをやって、

そしてそこでの募金を震災関連の団体などに寄付する、

という前提のものです。

 

今回は、この勉強会をはじめたMさんが、

勝間和代さんとともに親しくされ、

ときどき一緒に何かをされているという

渡邊奈都子さんという方のセミナーでした。

 

 

奈都子さんは、「心理カウンセラー」。

「選択理論」というものをベースにされた

カウンセリングをなさっています。

詳細は奈都子さんのブログへどうぞ。

 


Mさんと奈都子さんと勝間和代さんは、

それぞれ著書や訳書を出版されたのが

同じディスカバーさんだったご縁でつながったそうです。

 

3人の共通点は、ストレングスファインダーで言うところの「活発性」。

「なにかやろう」「そうしよう」

それだけで、形になっていく。。。

そして、今があるそうですが、

「選択理論」というものをOSにたとえると、

そこで動くアプリケーションとしては

「リアリティセラビー」などのほか、

「コーチング」も相性がいい、ということで、

今回、コーチングの勉強会でお話いただく、ということになったわけです。

 

 

で。

昨日のお話は、「選択理論とは」とか

それを土台としたカウンセリングの「リアリティセラピーとは」

というテーマではなく、

(なぜなら、それらは、とても短時間では誤解なく語ることが難しいから)

もう少しシンプルに、

「セルフコントロールとコミュニケーション」について、でした。

 

 

以前、奈都子さんのご著書も読んではいたものの、

きれ~に忘れていた私。

昨日はそれを思い出しつつ、

改めて話の面白さに引き込まれ、感動してきました。

 




何が感動だったか、というと・・・

 

そのお話が逐一具体的な例をもとにしたわかりやすいものだったこと、

そして、話が論理的にきれいにつながっていて、すとんと腑に落ちたこと、

しかも、その内容が、「なるほど!」というもので、

人が手に入れたくても入れにくいポイントについてのものだったこと、

 

なのだと思います。

さすが、プロフェッショナルです!

 

 

その内容、ほんとに魅力的なので、

ちょっとご紹介したいと思います。

 

でも、長くなりそうなので、

詳細は、次回に。(ごめんなさい!)

 

 

 


更新の励みになります。よろしければクリックをお願いします↓

            

 

 


確定申告が終わりました~

2014年03月04日 | ●日々雑感

 

 

昨日、確定申告が終わりましたっ


所属している青色申告会から

「あなたの相談日は3月10日です」

っていうハガキをもらったものだから、

なんとなく、3月10日、って思っていたのですが、

何もその日を待たなくってもいいんじゃない?

と気づいたのです。

 

今回の申告にあたっては、特に聞かなくてはならないこともなかったし。

 

それで、頑張ってレシート類を整理して、

書類をまとめて、

昨日、えいやっ! と、税務署に行って提出してきました。

 

あ~、スッキリ

 

 

で、つかの間の解放感を味わいました

 

 

 

 

大好きな公園を通りぬけながら、

気になっていたお店を思い出し、初めて入ってみることに。

 

 

 

 

しばし、静かなときを過ごしました。

 

 

 

いつの間にか、日が暮れて・・・

暖かだった春の空気も、

また冷たい冬のそれに戻りました。

 

 

 

たまには、こんな心のご飯、いいよね。

 

 

 

そう心の中で自分に言ってみました。

 

 

久しぶりに静かに深い呼吸のできた、いい時間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 よろしければクリックをお願いします↓


人気ブログランキングへ


まど・みちおさん逝去の報に接して

2014年03月01日 | ●日々雑感




まど・みちおさんが逝かれました。

104歳。

近くて遠い、遠くて近い、人でした。


まどさんの詩は、たぶん誰もがそうであるように、

私もよく知っています。

けれど、まどさんのことはそんなに知りません。

それでも、私にとってまどさんは、

心のどこかで、ずっと憧れの人の一人でした。

 

100歳を過ぎても、

「びっくりしたなあ」「しらんかったなあ」「ありがたいなあ」が

口癖だったといいます。

 

ご冥福を祈ります。

そして、あなたはずっと、作品とともに生き続けます。

 

 

            くまさん             

            

はるが きて

めが さめて

くまさん ぼんやり かんがえた

さいているのは たんぽぽだが

ええと ぼくは だれだっけ


だれだっけ


はるが きて

めが さめて

くまさん ぼんやり かわに きた

みずに うつった いいかお みて

そうだ ぼくは くまだった

よかったな


 (まど・みちお)



そうだ、ぼくはくまだった/よかったな

みんながそう言えるといいなあ。

 

 

 

クリックいただけると嬉しいです。↓

人気ブログランキングへ


匂いとしあわせ

2014年02月25日 | ●日々雑感

 

 

 

今朝、急須にお茶の葉を移しながら、

その香りに、ふっと幸せを感じました。

お茶のかおり、いいなあ、と思います。

お茶屋さんなどを通る時に、

お茶を焙じる香りがしてくると、

何ともあったかくて幸せな気分になります。

 




ほかに、どんな時にこんなふうに幸せになるかなあ?

と考えたら、

たとえば、ラベンダー入りのお風呂につかっている時

お風呂場から、石けんのいい香りが漂ってくる時

アロマの香りが部屋に満ちてくる時

家の中に、お料理の匂いが満ちてくる時

洗濯物からお日様の匂いがするとき

春先にジンチョウゲの匂いをかいだ時、

秋にキンモクセイの匂いを感じた時、

・・・と、

私の場合、

匂いと幸せな気分がかなりリンクしていることに、

改めて気づきました。


五感の中でも、嗅覚はより直接的に

脳に伝わる、という話も聞いたことがありますが、

匂いは、それをかいだときの感情や情景、出来事と

かなり密接に結びついて

人の脳にインプットされるものだと思います。

だから、匂いはそれ自体の持つ魅力のほかに、

それと結びついた思い出も呼び覚ましやすいのでしょうね。

 

 

自分を元気にしたり、幸せな気持ちにさせてくれるもの、

自分でもわかって、

そしてどんどん自分から取り入れたら、

毎日はさらに楽しくなるでしょうね。

 

何より「好き」って言えるものが多いということ、

それ自体が、幸せなことだと思います。

 

 

 

共感いただければ、クリックをお願いします↓

          

 

 

 

 


明治維新ゆかりの宿 ~山口「松田屋ホテル」~

2014年02月20日 | ●日々雑感

 

 

ご無沙汰しています。

この間に、東京そして関東甲信地域では、またまたの大雪……

皆様の地域は、大丈夫でしたでしょうか?

大変な思いをされていた方々に、

お見舞い申し上げます。

 

 

さて、この間、

雪で大変な思いをしていた方々には申し訳ない感じなのですが、

まるでちょうど「避雪」(?)でもしていたかのように

東京を離れ、家族の用事で山口に行っておりました。

 

 

お客様をお連れして、いくつかの観光名所を訪れたのですが、

今回は、明治維新の立役者たちがよく泊まっていたという宿に

1泊しました。

 

松田屋ホテル

 

おそらく、明治維新のあたりの日本史が大好き! という人には、

たまらない場所かと思います。

 

湯田温泉街の街中にあるホテルのひとつで、

宿からは単なる盆地の街が見えるだけですが、

お庭が見事です。

そのお庭に、離れや足湯処、言われのある木々など、

見所、感じどころが沢山あります。

 

お湯も、お料理も、おもてなしもよかったですよ。

 

今回は予約が取れず、新館のほうに泊まりましたが、

次のチャンスには、本館の旧建物に泊まりたいと思います。

 

お食事は本館でいただきましたが、

日本家屋の落ち着いた趣のなかにも、

モダンな活気というのか、躍動感のようなものを感じました。

 

そう思って見るからかもしれませんが、

明治の志士たちの「気」が

あちこちにしみ込んでいるのかもしれない、

そんなふうに思いました。

 

 

木戸、大久保、最後が話し合ったという、離れ↓

 





明治を切り開いた人たちが入ったと言うお風呂↓



他にもある、大浴場。檜づくりと、岩づくり↓



ロビーにかかっている伊藤博文の書↓



そのほか、色々な歴史的資料が・・・↓



司馬遼太郎も滞在しています。



歴史は人が作るんだなあ、ということを、

なんとなく肌で感じた時間でした。




さて、明治時代が始まってから1と1/4世紀が経ちました。

最近、こうして日本のために命を捧げた人たちへの思いが、

あちこちでまた熱くなってきていると感じます。

 

明治の志士たち、あるいは第二次世界大戦の特攻兵たち、

そうした人たちの熱い思いと命の上に、

今日の日本の生活があります。

犠牲となった多くの命に感謝をしたいと思います。

 

ただ、

自国への愛=他国者の排斥

では決してありません。

戦うことが愛国心というわけでもないと思います。


どこかの国で空気が汚染されれば、それは世界の問題となる現代、

自国を愛すること=共生をめざすこと

であると思います。

 

今のこの時代に、明治を築いたこうした人たちが現れたら、

彼らは今の政治をどう見て、

そして何をするのかなあ……



私には明治の志士たちのような大きなことはできませんが、

共生を目指す人を育むことに、

微力ながら力を注ぎたいと思います。

 

 

 

よろしければクリックをお願いします↓