ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

雪かきでご近所さんに感謝

2014年02月10日 | ●日々雑感

 

8日の土曜日は、雪、よく降りましたね…。

私が住む東京の多摩地域では、

こんな感じでした。

 

写真は、9日の朝のわが家の庭の物置の上の雪です。

 

 

9日の日曜日は、朝から、雪かき……

と思っていたら、

すでにご近所さんが、わが家の前のあたりまで

雪をかき始めていてくれて、

慌ててご一緒しました。

 

私は、降り止まない雪を見て、土曜日は

「どうせ、雪かきしても、賽の河原だし・・・」

なんて言って、不精して何もしませんでしたが、

北国育ちの多いご近所さんは、

その日のうちから、すでに何度か

辺りの雪をかいていてくださった模様。

 

だから、昨日は雪かきがラクだったのですね。

本当に、自分を反省するとともに、

ご近所さんに感謝です

 

そして、早々に、わが家の前の道1本が、

人も自転車も車も、通れるようになりました。

 

  

いや~、ちょっとしたジョギングより、汗かきました

 

 

そして、日曜日は一日、

あちこちで雪をかく音が聞こえていました。

 

選挙への行き帰りには、町のあちこちで、

ふだん見ることのない男性陣が、

沢山出ていて、雪かきをする姿が……。

 

そして、そこには沢山の会話が聞こえていました。

 

私も、最近話すことがなかったご近所さんと、

久しぶりに互いの近況などを話し合いました。

 

夫は、すでに退職されたお隣のご主人から、

退職後の人生について語ってもらっていました……

(参考になります)

最近、一緒に住むようになったという90歳のお母様も

紹介していただきました。

 

 

 

大雪は色々大変なことを引き起こしていますが、

でも、こうした思いがけないコミュニケーションを生み出すことは、

雪の恵みかもしれないですね。

 

 

人って、一緒に同じ目的のために汗を流すと

それだけで、心が通じているような気がするものだなあ、

と思いました。

 

 

それにしても、ご近所さんに感謝です。

 


よろしければクリックをお願いします↓ 

     

 

母が「振り込め詐欺」にあった話(4)

2014年02月09日 | ●日々雑感

 

 

振り込め詐欺(オレオレ詐欺)対策 

 

 

【電話機に設置する、特殊装置】


警察から教えてもらったのは、

電話機に取り付けるアダプタのようなもの。

電話の呼び出し音が鳴る前に、電話をかけてきた相手に、

「この電話は、振り込め詐欺防止のため、

 会話内容を録音します」

みたいなアナウンスが流れるのだそうです。

その時点で電話を切らなかった人の電話だけが通じ、

こちらの呼び出し音が初めて鳴るという仕組みだとか。

 

こうした装置の設置は、

地元の警察書で受け付けてくれるそうで、

今回は、警察から言っていただき、

設置をお願いしました。

 

いずれ、取り付けにきてくれるようです。

 

費用は無料。

(ただし、数に限りがあるようです)


こうしたサービスは、地域の警察ごとに管轄しているようですが、

気になる方は、こちらへ問い合わせてみるといいかも↓。

 

警視庁 生活安全総務課 生活安全対策第三係
TEL 03-3581-4321(警視庁代表)

 

 ※このほか、一般的に購入できるものやサービスとしては、

次のようなものがあるようです。


振り込め詐欺見張隊

迷惑電話チェッカー

 


 

 

【振り込め詐欺 対策 心得】

 

以前、娘が送ってくれた新聞記事があります。

 

そこには、逮捕されたもと振り込め詐欺犯人が、

振り込め詐欺に引っかからない心得を詠んだという川柳

が、紹介されています。

 

いや~、こんな人、いるんですね

なんにしても、犯人本人が言うんだから、

間違いないと思います。

 

以下に、掲載しますね。

ご活用いただければ幸いです。。。

 

 

●日頃から 子ども・孫とは 交流を

●携帯の 番号変わった それは詐欺

●疑って 急な催促 周りに相談

●渡しません お金は本人以外には

●気をつけて 仏心が 仇(あだ)となる

●あらかじめ 手口を家族で 話し合おう

 

 

 

(おわり)

 

 

よろしければクリックをお願いします↓ 

     

 

母が「振り込め詐欺」にあった話(3)

2014年02月08日 | ●日々雑感

 

 

こういうことが起きてみると、

世間ではこれまでにない被害の拡大が問題となっており、

マスコミでは連日、その話題が取り上げられている、

ということに気づきます。

 

そんな状況なのに、正直、私もあまり気に止めていませんでしたし、

母は「自分はひっかからない」

と思っていたと言います。

 

やはり

何事も「自分事」とするのは難しいもの

なのだと、今回改めて思った次第です。

 

 

 

母が言うには、決め台詞は

僕が詐欺で警察につかまってもいいのか

だったとか。

 

それを聞いた、件の〇〇(次男本人)も私も、

思わず、

「いいよ

って言っちゃいましたが・・・

 

「そう言われると、いい、とは言えなくて、

 言葉に詰まっちゃうのよね……

と、母。

 

 

おまわりさんも言ってましたが、

犯人は、本当にそうした親心、爺婆心を

うま~く利用するのですね。

(その才能、もっと他に生かしてほしいものです、まったく

 

また、今回思いましたが、

年寄りが狙われやすいというのは、

そうした爺婆心とお金を持っているほか、

電話機や携帯電話といったものの扱いにも

慣れていないという条件もあるのではないでしょうか。

 

母には以前から、

留守電にして、基本的に電話には出ないほうがいい

もしくは、

表示された番号を確認してから出るように

と言っていたのに、

電話機の扱いに苦手意識があるのか、

母は、結局それをしていませんでした。

 

ごく数本の、出なければならない電話を受けるために、

99%の受けなくてもいい電話をとってしまっていたのです。

 

 

孫たちの携帯電話番号が変わったのに、

母の携帯のデータは更新されていなかった

ということもあります。

 

 

今回は事なきを得てよかったのですが、

おまわりさんによると、

「名簿が流出していることになりますから、

 この後も、手を変え品を変え、電話がかかってくる可能性がある

そうです。

 

 

 

これを機に、わが家も再度、

今後の心構えと対策を話し合いました。

 

 

警察からは、

振り込め詐欺対策用の電話につける装置

なるものを教えていただき、

設置の手配もしました。

※無料貸与してくれるそうです!

 

 

振り込め詐欺対策、色々ありますが、

今回のまとめを、次で書いてみました。

 


 

ちなみに、こうした詐欺には新名称がつけられていて

母さん助けて詐欺」と呼ぶようです。

 
「オレだよ、オレ」と言うのが、役所の職員になってみたり、
 
ATMから振り込ませるのが、自宅に受け取りにいく手口になってみたり、
 
色々とバリエーションが増えてきたんでしょうね。
 
それでも、
 
母や祖母を狙うところは、変わらないってことなんでしょうか……。

私も母のひとりとして、フクザツな思いです。
 
 

(づつく) 

 

 



よろしければクリックをお願いします↓ 

      

 

 

 

 


母が「振り込め詐欺」にあった話(2)

2014年02月07日 | ●日々雑感

 

 

携帯電話から私に電話をしてきた母は、

「今、〇〇(私の次男)から電話があって、

 ああで、こうで・・・・・・・」

と、切羽詰まった様子。

 

その間も、母の家の家電

けたたましく鳴るのが聞こえてきます。

その電話に気をとられる母。

 

「え~っ! お母さん、マジになってる

というので、私も焦りましたが、

いやいやいやいや、お母さん、それ、振り込め詐欺だから。

 もうその電話に出ないで

 〇〇に電話して確認したの

と言うと、

ハッとしたように一瞬、息を止め、

 

「いや、確認していない」


と、ひとこと。

 

 

母が、深く息を吐く音が聞こえました。

 

おそらく、何十分ぶりかで、

頭に酸素を送ったものと思います。

 

 

 

子どもたちに電話をして、確認をしながら、

母のところに向かいました。 

母は、私の家から5分ほどのところにいるのです。

 

 もちろん、くだんの〇〇(次男)くんは、

そんな電話をしたはずもなく。

「オレが浄水器のバイトをしているなんて、初耳だわ

「証券会社って、何するの?

ってな調子でした。

 

 

しこしこ自転車をこいで、

母の住むマンションの前まで行くと、

なぜか、目の前にパトロール中のパトカー 

すーっと通りかかりました。

  

なんというタイミング

 

思わず、私はまるでタクシーを止めるように、

 パトカーを止めちゃいました。

 

  

おまわりさんに事の次第を話すと、

110番してください。専用の部隊が動きますから

って話だったんですが、

結局、その後数分すると、

そのおまわりさんが来てくれて、 

事情聴取と相成りました。

 

  

くだんの〇〇くんも、自分の名をかたられて、

腹の虫が収まらないらしく、

わざわざバスに乗って、出先から

母のマンションまでやってきました。 

 

「電話がかかってきたら、お金を渡すって言って、

 つかまえようぜ

と、犯人をつかまえたい気持ち満々です。

 

 

が、残念ながら(?)、

その後、電話はかかって来ませんでした。

 

 

 

(つづく) 

 

 

よろしければクリックをお願いします↓ 

     

 

 

 

 


母が「振り込め詐欺」にあった話(1)

2014年02月07日 | ●日々雑感

 

昨日、母が振り込め詐欺から電話をもらう、

という事件が起きました。


 

名前を語ったのかどうか定かではないのですが、

のひとり(私の次男)と母が信じた男から電話があり、

バイト(浄水器の販売かなにか)で失敗したので、

400万、準備してほしい

に取りに行く

と言ったのだそうです。

時刻は午後2時頃。

 

ちなみに、前日の夕方には、同じ男と思われる男

(そして母は、孫だと信じた男)から

「証券会社から書留をそちら宛で送ったので、

 明日着くと思うから、受け取って」

という内容の電話があったそうです。

 

で、母は、真面目にその書留を待っていたわけです。

(これ、振り込め詐欺の典型パターンの一つだそうです)

 

 

ちょうど父が亡くなったばかりで、

銀行からはお金を下ろすことがすぐにはできない時期でした。

葬儀代の支払いに行く、というタイミングでもありましたから、

「そんなお金はない」

と言ったものの、

「その葬儀代を貸して! 明日返すから

としつこく懇願するのだそうです。




電話は、切っても切っても何度もかかってきたようで、

母も、何度か受話器を取ってしまった模様。


「変だなあ、とは思うものの、

 孫を思う気持ちで、すっかり頭はいっぱい」

になった母。


それでも、考える部分は残っていたようで、

「ここは、やっぱり親に相談すべき」

と思ったと言い、

どんなに叱られても、お父さんとお母さんに話しなさい

と言って、電話を切ったところで、

携帯から私に電話をしてきました。

(お母さん、エラかった!)


 

(つづく)

 

 

よろしければクリックをお願いします↓ 

     

     人気ブログランキングへ


思い残すことがないように

2014年02月06日 | ●日々雑感

 

父の葬儀が終わり、

お悔やみをいただいた人たちに

お礼のメールなどを書いたりしていますが、

そんな中、

テレビのバラエティ番組風に言うと

驚くべき事実 

が明らかになりました。

 

 

父の妹で、アメリカにいる叔母からのメールによると、

ちょうど父の告別式が始まったなあ、というくらいの時間から、

叔母は突然、「フルー」(flu:インフルエンザ)の症状が現れ、

緊急入院していたそうです。

おまけに、片耳の鼓膜が破れてしまったとのこと。。。

明るい叔母なので、

「昔取った杵柄とばかりに、兄にしてやられたかも」

と書いてありましたが、

亡くなった父が、幼い頃、

同じようにして聴力を失ったことを思うと、

単なる偶然とは思えません。

(叔母は、いまの医療でちゃんと聞こえるように治ると思いますが)

 

ちなみに、父の弟である叔父は、

通夜から告別式の間に具合が悪くなり、

嘔吐していたとのことで、

告別式には蒼い顔で現れました。

 

 

そして、私自身は、告別式が終わって実家に帰ってくる頃から、

ひどい頭痛に襲われ、

その晩はやはり嘔吐するほど苦しみました。

 

葬儀場から、あんまりよくない気を連れてきちゃったかなあ…

と思っていたのですが、

これだけそろうと、

やっぱり、父の仕業かな、と思ったりしますね(苦笑)

 

 

 

何度も入退院を繰り返しながら、

介護の方々からは「軌跡の復活」と言われて頑張っていた父。

今回も、年を越せるかと言われながら1ヵ月以上、

「一両日です」と言われてからも2週間以上、

頑張っていた父。

最後の最後まで、頭の隅では意識を持っていた父。

 

すごい生命力だと思いますが、

その根底にあったのは、

「まだやり残していることがある」という思いだったと感じます。


そして、その思い(念?)が、

叔母や叔父、私に、合図を送って来たのかな、と、

思わずにはいられません。

 

 

そう考えると……

父から私が受け取ったメッセージは

「思い残すことがないように、今を生きろ」

ということです。


 

人が死ぬ時にいちばん後悔することは、

何かをやって失敗したことではなく、

「やらなかったこと」だといいます。


そうだろうなあ、とは思っていたものの、

今回はそれを肌感覚で感じさせられました。



考えていても、それだけでは何も変わりません。

この世に、身体をまとって生まれてきたのは、

その身体を使って行動するためなのだと思います。

 

 

父の死を通して気づいたこと、学んだことは数々あれど、

彼からの遺言として私が受け取ろうと思ったのは

そのことでした。

 

 

今日も頑張ります

 

 

 よろしければクリックをお願いします↓

         
         人気ブログランキングへ


父を送る

2014年02月05日 | ●日々雑感

 

 

父が亡くなりました。

実は1週間以上前、

1月28日に日付が変わってから間もなくのことでした。



なんとなく、すぐに書く気になれず、

今日になりました。


式場の都合で、お通夜と告別式は、

この週末に、近親者のみで行いました。




だんだんと食事を摂らなくなり、

11月半ばには「肺炎」ということで入院しました。

結局、今から思えば、11月上旬に、

私が留守番に行った時に作ったスパゲティを

ひと口食べたのが、

最後の食事らしい食事だったかもしれません。


病院に入ってからは、あちこちチューブでつながれました。

 

年を越せるかどうか……という感じだったので、

年末年始、夫の実家に帰省する予定をとりやめ、

私はひとり、東京に残りました。

 

 

それでも無事、父は年を越しました。

 

1月半ばには、お医者から

「一両日です」と言われましたが、

それからも2週間以上、頑張りました。

 

死亡診断書によれば、ガン性腹膜炎とのことで、

腹水がたまって苦しそうではありましたが、

87歳という歳を考えれば、老衰だと言えるでしょう。

 

 

幼い頃、病気の影響で耳が聞こえなくなり、

補聴器をかけていましたが、

最後のほうは補聴器をしていることが困難となり、

おそらく音のない状態でベッドに横たわっていたのだと思います。

 

家族とは、筆談をしました。

が、その頃には、

ほとんど解読できる字を書くことはありませんでした。

 

それでも、父の手の動きから、

謎解きのようにその字を判断し、

彼の話したいことを推量しました。

こちらが彼の意志を汲み取って返事を書き、

それが彼の意図したことと合っていると、

父は嬉しそうに指でOKの合図をしました。

 

水を飲ませることもNGとなっていましたが、

多少はよいということでしたから、

母は連日、脱脂綿に水やOS1を含ませて

父に吸わせていました。

 

あるとき、父が書こうとした文字が

「コーヒー」と読めました。

入院するずいぶん前から、

コーヒーは出しても飲まなくなっていましたから、

半信半疑ながら、

「コーヒーが飲みたいの?」と聞くと、

「そうだ」という返事。

 

近くの販売機でコーヒーを買って、

脱脂綿に含ませて飲ませると、

何とも言えない嬉しそうな顔をして、

何度も何度も、吸っていました。

 

あのとき、飲ませてあげてよかったな、と思います。

 

亡くなる5時間くらい前に会ったときも、

水を欲しがり、脱脂綿で上げました。

それが、末期の水となりました。

朦朧としながらも、意識はちゃんとありました。

 

最後まで、生きる意志を持っていたことを感じます。

本当は、まだやりたいことがあったのだと思います。

 

 

 

生前の父は、実は、家族にとってはとても厄介な存在でした。

父は、自分の感情をコントロールすることができない人で、

私はよくわけもわからず殴られましたし、

ご飯の最中に、食べ物が載ったお膳をひっくり返すことも

しょっちゅうでした。

 

父のせいで、家の空気が暗く重くなりました。

 

家事はもちろん、自分のことすら自分でできないような

人でしたから、

母は、常に父の保護者のような役割を担ってきました。

 

父のことを気にせず、ゆっくり外出したい、

それだけが唯一の母の望みでした。

 

 

父は、良くも悪くも大きな子どもで、

社会生活を営むにも、

家族でやっていくにも困難の多い人でしたが、

彼が家族を愛していないわけではないことは

家族の誰もが感じていたのだと思います。

 

それは父独特の愛情表現でしたが、

どんなに殴られても、子どもがグレなかったのは、

母のおかげと、

父の愛情はいちおう伝わっていたからだと思います。

 

 

 

そんなわけで、母は最後まで、

父の保護者としての役割を果たし続け、

自分が寝込んでしまった時以外は、

病院にも朝から晩まで付き添っていました。

 

弟も私も、毎日のように、病院に行きました。

 

家族としては、やるだけのことはやりました。

 

 

 

 

なので、亡くなったときも、

葬儀のときも、誰も涙を流しませんでした。

 

 

それでも、棺を火葬場の炉の中に入れる最後の時になって、

母は、ほとんど見せたことのない涙を見せました。

 

そういえば、子どもの頃から、

『マッチ売りの少女』などのお話を読んでくれる時以外、

母の涙は見たことがありませんでした。

 

その母の涙を見て、

子どもたち(母の孫たち)が、一斉に涙を流しました。

 

 

 

 

母自身は早くから散骨にしてほしいと言い、

そうした会にも入って準備をしていましたが、

父は、水を向けてもそうした話はしたがらなかったと言います。

結局、どう死を迎え、どう送られたいか、という父の意志は

確認することができませんでした。

 

なので、母は、ごく一般的な葬儀を行い、

今ある墓に、父を入れることにしました。

 

 

できる限り簡素に、と言っていた葬儀でしたが、

葬儀屋さんにお願いすると、やはりそれなりに

随所にセレモニー感が演出されるものとなりました。

 

なくてもいいな、と思うものもありましたが、

そうやって時間と手間とをかける中で、

じっくりと故人の死を受け容れていく、

という感覚を持てることは事実でした。

 

 

息子が、「こういう儀式が必要な意味がわかった」

と言っていましたが、

葬儀は故人のためというより、

残された家族のためのものである、と

改めて実感しました。

 


さて、この2ヵ月余、死に向かう父を見ながら、

色々な気づきをもらいました。

それについては、また改めて書きたいと思います。


今は、父がちゃんと三途の川をわたり、

無事に天国に行けることを祈るばかりです。


願わくば、父が今生での課題をそれなりにクリアして、

次に転生する時には、

次のステップに進んでいてほしいと思います。





よろしければクリックをお願いします↓


人気ブログランキングへ


大寒に思う

2014年01月20日 | ●日々雑感

 

 

今日は大寒ですね。

暦の上では、一年でいちばん寒い日、ということになります。

まさにいちばん寒いとされる暦上の瞬間は、

今日、2014年の1月20日の場合は、

3:51なんだそうです。

 

すでにその時刻を過ぎているからか、

昼時の戸外の空気は、

昨日までの張りつめた冷たさとは違って

中にかすかに春の気配を含んでいるような、

そんなゆるみとあたたかさを感じます。

 

その空気を吸いながら、

何事も底を打てば上がるだけ、

夜明け前がいちばん暗い……

そんなことを思いました。

 

風邪も、症状の上り坂というか下り坂をおりきってしまわないと、

快復には向かいません。

途中で無理矢理に熱を下げようとしたり、

咳を止めようとしたり、

本来、出すべきものを出し切らないで止めようとすると、

結局、変に長引いてなかなかすっきりと治らない。

 

膿を出し切る、なんていう言葉も

よく比喩で使いますが、

自然な流れがあるのなら、それに任せる。

逆に自然な流れは、きっと

やがてちょうどいいバランスのところに落ち着く

ということを信じてみる。

 

 

自然が極端に振れるときは、

その逆の極端が発生しているからかもしれない。

 

 

移り変わる季節も、そんな自然の智慧を

日々私たちに見せてくれているのだろうなあ・・・

 

そんなことを思う大寒の昼下がりでした。

 

 

 

 

ちなみに、大寒(だいかん)は、

天文学の呼び方では、太陽がある位置に来る一瞬を指すようですが、

暦の考え方では、そのことが起きる日、および

その節気というある一定期間も指すのだそうです。

大寒は二四節気の24番目。

したがってその期間は、今日から立春前日まで

ということになるようです。

 

 

図は、Wikipedia「二四節気」より



春の気配が感じられるとは言え、

一年でいちばん寒いシーズンはまだ終わりません。

皆様、風邪などにご注意くださいね。

 

 

 

 

よろしければクリックをお願いします↓


人気ブログランキングへ


19年目の阪神淡路大震災の日に思う

2014年01月17日 | ●日々雑感

 

 

ご無沙汰してしまいました。

皆様お元気でしょうか?

 

 

あっという間に三が日、松の内も終わり、

成人の日も済み、

新月から始まった今年も、昨日は満月となりました。

 

 

そして、今日は阪神淡路大震災の日。

あれから19年が経ちました。

 

フェースブックなどで、多くのコメントを読むと、

特に関西在住の方には、

より直接的な影響があったのだということを感じます。

 

こうやって、いろんな出来事がその人の記憶と思いに織り込まれ、

その人を作り、コミュニティを作り、

社会を作っていくのだなあ、と思います。



最近読んだ本には、災害などの出来事は、

人々が愛でつながる気持ちを思い出すために起きる、

といったようなことが書かれてありました。


その考え方には、そう簡単に納得できないこともあると思いますが、

何かのたびに私たちの心がすさみ、

社会が幸せを感じられない場所になっていくのではなく、

私たちが本当はつながっていることを、

もっと感じられるようになるといい、

そうありたいと思います。



忘れることも必要。

でも忘れないでいることも大事。



涙も笑顔も、お互いがあるから意味があるんだろうな、

そう思います。

 

 

 

 

よろしければクリックをお願いします<(_ _)> ↓


人気ブログランキングへ


わが家の年末進行

2013年12月24日 | ●日々雑感

 

どんな仕事でもそうだと思いますが

年末特有のスケジュールってありますよね。

 

私が親しんできた編集業界ではそれを「年末進行」と読んでいます。

要は、めっちゃタイトなスケジュールってことですかね。。。

 

わが家にも、年末進行があります。

そろそろ、そのモードに入ってきました。

 

ご多分に漏れず、年賀状づくり掃除です。

 

年賀状づくりは、これまでずっと、ほぼ100%私の仕事。

今年は、アドレスリストチェックに協力が得られました

 

そして、家の掃除にも、大協力が得られました

            ↑

       嬉しくてしょうがありません

 

 

昨日、夫は寒い中、せっせと窓ガラスをふいたり、

障子を張り替えたりしてくれました

 

 

 

で。

 

うれしい! ありがとう!! って

やってもらった分について感謝の言葉を伝えればいいのですが、

つい、まだ時間いっぱいでもないのに、

予定していたところまで行かずに終わっている箇所について

(昨日は、リビングの出窓が片面のみ拭かれて終わっていました・・・

「え? これは??」

って言ってしまうんですね、私。

弁解するなら、「目標志向」っていう傾向性が出ちゃうんですね。

 

何かの目標に向かっているときは、

とにかくそれを達成することに気持ちがフォーカスされてしまうのです。

そしてそれ以外、目に入らなくなるんです。。。

 

 

 

でもって、

「なぜ、あなたはできたことをありがたがらない

「あなたには感謝が足りない!

という言葉をいただくことになるわけです。

 

 

・・・と書いてみると、夫婦、男女の違いがよく出ている例かも?

とも思うのですが、

ともかくも、

夫とのコミュニケーションにおいて、失敗しているわけです。

 

 

毎年やってくるわが家の「年末進行」。

来年は、もっと愉しい会話になるよう、また1年修業しようと思いました。

 

これ、コミュニケ―ション能力がどれくらいアップしたか計るのに

すごくいい指標だと思います。

 

来年の目標、また一つできました

 

 

 

 よろしければクリックをお願いします↓ 


人気ブログランキングへ


仲間がいるからできること

2013年12月15日 | ●日々雑感

 

 

11月24日に行なわれた富士山マラソンから、

早いもので3週間が過ぎました。

この間、チームのみんなの感想が

メーリングリストに次々と投稿されていました。

 

完走できた人たちは、みな、それぞれに練習をして来ました。

その賜物には違いありません。

 

でも、それだけじゃなかった。

感想の中で、みんなが口を揃えて言っていたのは、

「仲間がいたから完走できた」

ということでした。

 

不思議ですが、一人だとくじけそうになっても、

一緒に頑張ってる人がいる、

一人じゃない、と思うと、

元気が湧いて、頑張ろうという気になれます。

 

レース中はもちろんですが、普段も。

練習するの面倒だな、

ああもう止めちゃおうかな・・・

そんなことを思うのは、しょっちゅうですが、

そんなとき、メーリングリストで誰かが、

「100キロ、途中でリタイアして、悔しかった」とか、

フェースブックで誰かが、

「5時はまだ真っ暗だけど、走ると気持ちいい」

なんて書いていると、

ああ、みんなそれぞれの場所で頑張ってるんだなあ、

って思って元気をもらいます。

 

 

 

これ、チーム競技はもちろんのこと、

どんな個人競技でもそうだなと思います。


スポーツだけではありません。

子ども4人の受験を見てきても思います。

「受験は団体戦だ」と。

友達と励まし合いながら勉強した子は、

かなりチャレンジングな高い目標もクリアしていく可能性が高い、

そのことを肌で感じてきました。

 

 

よりよい自分を目指すとき、

「一人じゃない」と思うことで、

「こんなふうにダメな自分も、自分だけじゃない。

 人間、みんな、そんなふうになるものさ」

と考えることができ、

好ましい脳の状態が作れる、と

スタンフォード大学の心理学教授のケリー・マクゴニガル女史も

言っています。

(→『最高の自分を引き出す法』大和書房)

 

 

 

何か続けにくいことを続ける時、

自分一人だけで頑張ろうとせず、

専門家の力を借りたり、

あとは、こうして仲間を作る、仲間に入る、

そういうことが、やっぱり有効なんだなあ、

と思います。

 

たとえば、ダイエット、

たとえば、勉強、

たとえば、運動・・・

仲間を作ってみると、その時点で、

半分は目標を達成しているかもしれませんね。

 

 

そんな思いを実感している私は、

片づけに、「仲間」を利用しています。

2014年1月からもやります!

 

一緒にやってみたい、というご興味のある方は、

こちらへ↓

「断捨離1ヵ月コーチングプログラム」

 

 

 

 

よろしければクリックをお願いします↓ 

        

 


命をいただく

2013年12月11日 | ●日々雑感

 

先日、北海道の方から荒巻鮭を送っていただきました。

それを切り身にしていると、

「一つの命をいただく」という感覚を持ちました。

 


普段、魚にしても肉にしても、

切り身になった部分だけを見ています。

そうすると、それが一つの命であったという実感は

どこかに行きがちな気がします。

 

人の命もそうですね……

昔は、赤ちゃんが生まれるのも、

おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなるのも、

みんな、家庭での出来事でした。

 

赤ちゃんのふわふわの肌も、

おっぱい臭い独特の匂いも、

また、死期の近い老人のしわしわの肌も、

すでに半分腐りかけてきたような匂いも、

すべてが普段生活する場に、

一緒にあったものなのだと思います。

 

それが、今は、すっかり切り離されてしまいました。

 

海では魚が切り身の状態で泳いでいる、

と思っている子どもがいるのも、うなずけます。

ボタン一つで死んだ人が生き返るかのように思っているとしても

もはや、不思議ではないのかもしれません。

 

 

鮭を切りながら、

自然は、いつも全体的なんだということを、

時々ちゃんと思い出さなくちゃ、

そう思いました。

 

 

よろしければクリックをお願いします⇩


人気ブログランキングへ


誕生日プレゼント

2013年12月04日 | ●日々雑感

 

気がつけば、師走も4日目となりました。

ちょっとご無沙汰してしまいましたが、

この間に、実は私の誕生日がありました。

 

 

せっかくだからちょっとリッチなお食事でも?

なんていう話もあったりしましたが、

どうも、気が乗らず。

 

それに、その日、

実は、週末にもかかわらず、誕生日なのに、

いつもの勉強会仲間とのミーティングを入れていました。

ちょっと大切なミーティングだったのです。

 

 

すると、夫が、

私の空いている時間に、今欲しいものを買いに行こうと

提案してくれました。

アメリカにいる息子のホストファミリーに送るクリスマスプレゼントや

夫のズボン、といった

買わなければならないものの買い物もあったし、

久しぶりに夫と二人で街で買い物、

というアイディアに、ちょっとウキウキしました。

(実に、何年ぶり? 思い出せないくらい久しぶりです。

 思えば、必要なものはそれぞれ自分で買っていたかも)

 

なので、食事もディナーではなくランチに。

それも肩のこらないタイ料理!

(私たちはエスニック料理が大好きです)

 

 

結果として、自転車を買い(買ってもらい)

(10年以上乗っていた自転車がいよいよダメになり、

 アメリカに行っている息子の自転車を拝借していました)

欲しかった「お財布」で、気に入ったものは見つからず

(半年前になくしてから、ピンチヒッターで過ごしていました)、

買うことにはなりませんでしたが、

とても楽しい時間でした。

 

 

こうして改めて振り返ると、 

楽しい、ハッピー ごきげんと思うのに、

高いお金はまったく必要ないですね。

 

高価なものだから、高価な食事だから嬉しさがアップする

というわけではありません。

そうではなくて、

大切なもの、大切なこと、大切な人

好きなもの、好きなこと、好きな人、

と一緒に

のために、

時間を使えているときが

楽しくて、幸せで、ごきげんなんだなあ、

と思いました。

 

勉強会の仲間にいただいたバラです↑

エチオピアで栽培されたものだそうです。




よろしければクリックをお願いします↓

                 


富士山マラソン完走しました!

2013年11月24日 | ●日々雑感

 

本日、最高のお天気の中、

富士山マラソン、無事、完走することができました!

 

 

 

今回、何とも体調が悪く、身体が重く、

30キロを過ぎてからは、

気持ちは走っているのに身体は歩いているのか・・・

という状態で、

いつになく、

「ここでやめたらラクになるだろうな」

という声が聞こえて来ました。

 

もちろん、

心は「いやいや、やめるもんか!」と叫びもしているわけで、

そちらに従うから、結局、完走するわけです。

 

 

「しんどいなあ」と思う時、考えたのは、

「やめることはいつでもできる」

ということでした。

 

やめることは、ほんとに、今この瞬間、

できることです。

でもやめるという選択をすると、そこでほんとに終わりです。

それしか、結果がないわけです。

 

でも、やめない選択をすると、

その先には、「完走する」という結果もあるし、

「やめる」という結果もある。

「時間切れでバスに回収される」という結果もある。

 

この先、まだ色々ある可能性を

ここで、「めんどう」「つらい」「やめたい」という

一時の思いで

自分でつぶしてしまいたくはない。

それに本当にもう無理なら、

できる限りのことを尽くして無理なら、

それはそれで、自分で自ずとその選択を、

納得して受け容れられると思うけれど、

そうじゃなければ、ずっと後味が悪いだろうな

と思うのです。

 

 

まあ、そんなわけで、

今回は「余力」というものは、ほぼ皆無の状態でゴールしました。

 

 

毎年、このレースのあとには私自身の誕生日が来ます。

そんなこともあり、このレースは、

自分の老化を測る、一つのバロメータのようにも、

思っているのですが、

今年も完走できたことで、

なんとかある一定線を保つことができたかなと感じます。

 

それはそれで、嬉しいのですが、

今回は、初フルチャレンジの仲間が無事に完走を果たせたり、

また、私と同時期にマラソンを始めたのだけれど、

これまでどうしてもフルを完走できなかった仲間が、

制限時間ギリギリに、ゴールすることができたことが

何より、嬉しいことでした。

 

フルマラソン完走は、彼女の、

そして私や仲間の、

悲願でもありました。

 

今日は、わざわざ熊本から来てくれた仲間が、

彼女とずっと一緒に走ってくれました。

 

 

ゴールして泣き崩れる彼女を前に、

私も声を上げて泣いてしまいました。

ほかのチームメイトも泣きました。

 

 

そしてまた、途中リタイヤした仲間は

悔し涙を流すのです。

(男性は、涙は見せませんが・・・)

 

 

大の大人が、こんなふうに、素直に泣けるって

いいなあ、と思います。

 

そんな貴重な場と仲間に、

そしてこうしてこの場に送り出してくれる家族に、

いろんな意味で、そうやって走りに行ける状況に、

走ることができる自分の身体に……

心から感謝です。

 

 

「走れることに、ありがとう」

 

 

 

よろしければクリックをお願いします↓

    


マラソン完走は出産のようなもの

2013年11月23日 | ●日々雑感

 

 

今日はこれから、河口湖に向けて出発します

明日行なわれる「富士山マラソン」に出場してきま~す。

 

フルマラソンは、これで4回目。

それなりに慣れては来ましたが、やはりドキドキものです。

 

初回の目標は、「スタートラインに立つこと」でした。

そして、完走することができました。

 

2回目以降の目標は、

いつも、「制限時間内完走」でした。

それは果たせてきましたが、

タイム的には、初回がいちばん速かった・・・


成長してないってことだよなあ…と反省するのですが……

正直、タイムはほんとにどうでもいいのです。

 

さて、今回はどうしようかな。

今回、制限時間内で初フル完走を目指す仲間が数名います。

その人たちにはちゃんとベテランランナーの

サポート隊がつきます。

 

私はもう、「初」ではないけれど、

実力的には、初フルの皆さんと走るのがちょうどいい感じです。

そして、正直、この人たちと走るのが、私にはいちばん楽しいのです。

それはちょうど、出産に立ち会うのと同じかもしれない。

あの、喜びの瞬間を共有できるなんて、

そうそうありません。

 

という私自身も、このところ体調がいまいちなので、

やはりフル完走はチャレンジです。

 

 

さて、どんな時間が、

どんなドラマが待っているのか、

とてもワクワク・ドキドキ。

 

ともかくも、できることは、その一瞬にいることだけ。

その場の応援や温かい気をいただきながら

自分のエネルギーに変え、

走れることに感謝しながら、

一歩一歩、踏みしめていくだけです。

 

 

行って来ま~す

 

我がチームのユニフォーム↑

 

 

クリックいただけると幸いです↓