父が亡くなりました。
実は1週間以上前、
1月28日に日付が変わってから間もなくのことでした。
なんとなく、すぐに書く気になれず、
今日になりました。
式場の都合で、お通夜と告別式は、
この週末に、近親者のみで行いました。
だんだんと食事を摂らなくなり、
11月半ばには「肺炎」ということで入院しました。
結局、今から思えば、11月上旬に、
私が留守番に行った時に作ったスパゲティを
ひと口食べたのが、
最後の食事らしい食事だったかもしれません。
病院に入ってからは、あちこちチューブでつながれました。
年を越せるかどうか……という感じだったので、
年末年始、夫の実家に帰省する予定をとりやめ、
私はひとり、東京に残りました。
それでも無事、父は年を越しました。
1月半ばには、お医者から
「一両日です」と言われましたが、
それからも2週間以上、頑張りました。
死亡診断書によれば、ガン性腹膜炎とのことで、
腹水がたまって苦しそうではありましたが、
87歳という歳を考えれば、老衰だと言えるでしょう。
幼い頃、病気の影響で耳が聞こえなくなり、
補聴器をかけていましたが、
最後のほうは補聴器をしていることが困難となり、
おそらく音のない状態でベッドに横たわっていたのだと思います。
家族とは、筆談をしました。
が、その頃には、
ほとんど解読できる字を書くことはありませんでした。
それでも、父の手の動きから、
謎解きのようにその字を判断し、
彼の話したいことを推量しました。
こちらが彼の意志を汲み取って返事を書き、
それが彼の意図したことと合っていると、
父は嬉しそうに指でOKの合図をしました。
水を飲ませることもNGとなっていましたが、
多少はよいということでしたから、
母は連日、脱脂綿に水やOS1を含ませて
父に吸わせていました。
あるとき、父が書こうとした文字が
「コーヒー」と読めました。
入院するずいぶん前から、
コーヒーは出しても飲まなくなっていましたから、
半信半疑ながら、
「コーヒーが飲みたいの?」と聞くと、
「そうだ」という返事。
近くの販売機でコーヒーを買って、
脱脂綿に含ませて飲ませると、
何とも言えない嬉しそうな顔をして、
何度も何度も、吸っていました。
あのとき、飲ませてあげてよかったな、と思います。
亡くなる5時間くらい前に会ったときも、
水を欲しがり、脱脂綿で上げました。
それが、末期の水となりました。
朦朧としながらも、意識はちゃんとありました。
最後まで、生きる意志を持っていたことを感じます。
本当は、まだやりたいことがあったのだと思います。
生前の父は、実は、家族にとってはとても厄介な存在でした。
父は、自分の感情をコントロールすることができない人で、
私はよくわけもわからず殴られましたし、
ご飯の最中に、食べ物が載ったお膳をひっくり返すことも
しょっちゅうでした。
父のせいで、家の空気が暗く重くなりました。
家事はもちろん、自分のことすら自分でできないような
人でしたから、
母は、常に父の保護者のような役割を担ってきました。
父のことを気にせず、ゆっくり外出したい、
それだけが唯一の母の望みでした。
父は、良くも悪くも大きな子どもで、
社会生活を営むにも、
家族でやっていくにも困難の多い人でしたが、
彼が家族を愛していないわけではないことは
家族の誰もが感じていたのだと思います。
それは父独特の愛情表現でしたが、
どんなに殴られても、子どもがグレなかったのは、
母のおかげと、
父の愛情はいちおう伝わっていたからだと思います。
そんなわけで、母は最後まで、
父の保護者としての役割を果たし続け、
自分が寝込んでしまった時以外は、
病院にも朝から晩まで付き添っていました。
弟も私も、毎日のように、病院に行きました。
家族としては、やるだけのことはやりました。
なので、亡くなったときも、
葬儀のときも、誰も涙を流しませんでした。
それでも、棺を火葬場の炉の中に入れる最後の時になって、
母は、ほとんど見せたことのない涙を見せました。
そういえば、子どもの頃から、
『マッチ売りの少女』などのお話を読んでくれる時以外、
母の涙は見たことがありませんでした。
その母の涙を見て、
子どもたち(母の孫たち)が、一斉に涙を流しました。
母自身は早くから散骨にしてほしいと言い、
そうした会にも入って準備をしていましたが、
父は、水を向けてもそうした話はしたがらなかったと言います。
結局、どう死を迎え、どう送られたいか、という父の意志は
確認することができませんでした。
なので、母は、ごく一般的な葬儀を行い、
今ある墓に、父を入れることにしました。
できる限り簡素に、と言っていた葬儀でしたが、
葬儀屋さんにお願いすると、やはりそれなりに
随所にセレモニー感が演出されるものとなりました。
なくてもいいな、と思うものもありましたが、
そうやって時間と手間とをかける中で、
じっくりと故人の死を受け容れていく、
という感覚を持てることは事実でした。
息子が、「こういう儀式が必要な意味がわかった」
と言っていましたが、
葬儀は故人のためというより、
残された家族のためのものである、と
改めて実感しました。
さて、この2ヵ月余、死に向かう父を見ながら、
色々な気づきをもらいました。
それについては、また改めて書きたいと思います。
今は、父がちゃんと三途の川をわたり、
無事に天国に行けることを祈るばかりです。
願わくば、父が今生での課題をそれなりにクリアして、
次に転生する時には、
次のステップに進んでいてほしいと思います。
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