ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

自転車の、歩道の走り方

2013年11月22日 | ●日々雑感

 

 

本日は「いい夫婦の日」。

そして「大安吉日」。

 

だからっていうわけでもないのですが、

自動車免許の更新に行ってきました。

 

講習というものを受けたのですが、

その中で、最近、事故が社会問題化している

自転車の乗り方についてもお話を聞きました。

その中で、「へぇ~」だったお話をシェアします。

 

 

基本的に自転車は車道を走るものだけど、

「やむを得ない」場合は歩道を走ってよく、

「やむを得ない」というのは、

車道を走ることに「身の危険を感じる」ときなんだそう・・・σ(^_^;)?

 

で、歩道を自転車が走るときは、車道側を走ること、

になっているそうです。

シラナカッタ。

 

理由は、自転車が直進しながら道を横切るとき、

その角に建物などがあって見通しが悪い場合、

建物のかげから出てきた車と、自転車が、

出会い頭にぶつかる危険が高いから、

だそうです。

 

 

勉強になりました~♪ 

って思って、試験場の外に出たら、

早速こんな標識に出会いました。

 

 

今までは、何気なく見過ごしていたのだけれど、

お話を聞いたあとは、

それがこれまでと違った意味を持って

自分の中に入ってきました。

 

 

今までは、これって、「ここの場所」でのルール、

なのかと思っていたのだけれど、

一般的なルールだったということを知ったわけです。

 

やっぱり頭と身体と、両方で理解しないと

落ちていかないですね。

 

 

・・・にしても、

これだと、向こうに向かう自転車と、

向こうから来る自転車がはち合わせ、

ということもあるわけだし・・・

やはりこれからの街づくりとしては、

車道、歩道、のほかに、自転車道を作る、

ということを標準にしていく必要があるんじゃないだろうか・・・。

 

 

 

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富士山マラソンのゼッケン到着!

2013年11月11日 | ●日々雑感

 

 

届きました~

(数日前ですが。笑)

富士山マラソンのゼッケンその他。

2週間後には、富士山です。

 

 

この封筒を見て、なんだかとてもジーンとしました。

 

思えば、3年前に、これと同じものを受け取ったときは、

(当時はまだ「河口湖マラソン」という名前でしたが)

こうしたものをもらうこと自体が初めてでした。

 

初めてのレースで、初めてのフルマラソン、という

何とも無謀な私だったのです。

 

ほんとに、天地がひっくり返るかというくらいドキドキしていて、

レースの3日くらい前からは、ほとんど眠れないほどでした。

 

あれから3年。

 

レースが近づいても、あの時のようにドキドキは

しなくなった自分がいます。


成長したな、と思います(笑)

 

 

 

自分にはまったく無関係だと思っていたフルマラソン。

右も左もまったくわからなかった走ること。

そんな世界を知ってから、

確かに私の世界は変わりました。

 

3年前には想像すらできなかった自分が、

ここにこうしてちゃんといるのです。

 

とても不思議。

 

 

 

3年前、「一緒に走りませんか?」と言われたその言葉に

「Yes」と言わなかったら、

今の私はいませんでした。

 

あのとき、あのフルマラソンを走らなかったら、

今の私はいませんでした。

 

不安の塊でした。

どうしていいかわからなかった。

それでもチャレンジすることを、決めました。

 

そんな一歩を踏み出せた自分に、あらためて拍手だなあ、と思います。

そして、それから走ることを通して

めぐり合うことのできた人たち、

走ることを通して得ることができた経験、

そんなすべてに、あらためて感謝がこみ上げてきます。

 

 

今年も、初フルに挑戦する仲間がいます。

そんな仲間のゴールの笑顔を見るために、

今年も、富士山に行ってきます。

 

 

さあ、もう少し、練習しなくちゃ。

 

 

 

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目指す人間の完成形の違い ~日本とドイツ~

2013年11月07日 | ●日々雑感

 

 

前回(全員がYesと言ったら、Noの理由を考えろ)のつづきです。

秋田稲美さんのお話から思ったこと。

 

 

日本とドイツとでは、教育によってつくろうとしている人間の

完成形が違う、ということですが、

  

「日本は良い子をつくろうとしている。

 ドイツは自立した大人をつくろうとしている」

 

のだそうです。

これは、ドイツに住む、両国の教育に詳しい方のコメントとのこと。

 

 

自立した大人。

主体的な人間、

自分で選び、自分で決めて、自分で責任を取る人間……

 

これを目指すのは、ドイツに限ったことではなく、

西欧に共通するものかなあ、と思っていますが、

常々、私も感じていたことでしたので、

やっぱりなあ、と思いました。

 

島国で、どことも国境を接していない日本ですが、

「外国人」が沢山入ってきて、

そうした人たちと暮らしていくことが当たり前になる日は

本当に目の前です。

 

違う価値観、違う文化を知り、排除するのではなく理解し、

受け入れ、共生していくためにも、

一人ひとりが「主体的」であることは

とても大切だと感じます。

 

そして、それこそが、平和な世界をつくるために

大切なことだと思います。

 

右へ倣えではなく、一人ひとりが、自分の頭で考え、

人と違っていてもそれを発言できること、

それを否定しないこと……

それは、一人ひとりがそれをできていると

叶うことなのだろうと思います。

つまり、「自立した大人」になること。

 

日本も、「集団」で力を発揮する日本の素晴らしさは失うことなく、

「個」としても力を発揮できるように、

なっていけるといいですね。

 

 

まずは自分自身が「自立した大人」であるために

「ごきげん」でいられる人間でありたいと思いますが、

同時に、若い世代にもそれを伝えていきたいなあ、

と、思いを新たにしました。

 

 

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全員がYesと言ったら、Noの理由を考えろ

2013年11月06日 | ●日々雑感

 

 

昨日は、ドリームマップというものの普及に力を入れている

秋田稲美さんという方のお話を伺ってきました。

彼女が、ドリームマップの話をすることが主な目的で

この夏、85日かけて、

ドイツを中心としたヨーロッパを訪問してきた時のお話を

お聞きしました。

 

ご自身やお子さんが海外生活経験者という方や、

文科省で現在、教育改革の委員をされていらっしゃる方、

先生などなど、

さまざまな方がいらしていて、

刺激的なお話を沢山伺うことができました。

 

いくつもご紹介したいことがあるのですが、

私の中で、最も印象に残ったことは、

ドイツと日本の教育の違いを端的に表したエピソードです。

 

 

秋田さんが、10名程度の日本人の方々に

Switch』という映画をお見せして、

感想を聞いていた時のこと。

 

ほとんどの日本人は、

「元気をもらいました」

「遺伝子の可能性を感じました」

といった、肯定的な感想一色だったのだそうです。

すると、そこにいたドイツの大学生が最後に

「ちょっと、ネガティブな感想を言ってもいいですか?」

と前置きして、

「遺伝子の97%が使われていないのは、

 それが使われるべきではないからではないかと思います」

ということを述べたそうです。

 

その感想にも、「なるほど~」と思ったのですが、

そのことに対して、ドイツの教育をよく知る人が

あとから秋田さんに伝えたということに

さらに感銘を受けました。

 

それは、ドイツでは、

全員がYesと言ったら、Noの理由を考えろ

という教育を、徹底して行っている、

ということだったのです。

 

 

こうしたドイツの教育は、

かつて第二次世界大戦の頃にヒットラーのナチズムを生み出した

自国の歴史への痛烈な反省からきているものです。

 

戦争教育に関しては

忘却に抵抗するドイツ」と言われるそうです。

 

秋田さんは「ドイツの覚悟」という言葉をおっしゃっていましたが、

まさに「覚悟」なのだと思います。

(「覚悟」については、かつてこんなことも書きました→ カクゴ )



そして片や日本は、というと、

なかったことにする日本」……

 

 

私は、一人の人間でも、

自身の「いま」

(つまりそれは、それまでの過去のすべてを受けての今)

をありのままに認めることができなければ、

次に向かうことはできないと思っています。

 

それは、きっと国でも同じ。

「いい」「悪い」ということの前に、

事実をありのままに受け止める。

そこがなくては、次にどうするのか、決められない。

 

日本がこうして未来のビジョンを描きにくい状況にある背景には、

そうした教育の違いがあるのかも・・・

と思った次第でした。

 

 

ちなみに、

日本とドイツとでは、教育によってつくろうとしている人間の

完成形が違う、というお話もありました。

このフレーズもとても心に残っているのですが、

これについては、また次回に。

 

 

 


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20キロ歩くおばあさん 72歳

2013年11月04日 | ●日々雑感

 

11月に入りましたね。

と言いつつ・・・

書き損なったままあっという間に日が経ちました。

 

皆様どんな三連休を過ごされましたか?

 

2日の日、

私は入れてもらっているランニングチームの仲間とともに

30キロほど走ってきました。

 

 

一人で30キロ走れ、と言われても、

そうそう走れるものではありませんが、

仲間がいると、本当に不思議と走れてしまいます。

 

最後の方は、「なんか、飽きてきたね」ってことで、

とうとう“しりとり”なんか始めてしまいました。

 

面白いもので、そちらの方に頭が行くと、

足が痛いとか、そういうことからフォーカスが移ります。

 

それにしても、しりとりって、いくつになっても

面白いと思いました

 

 

ところで、

同じTシャツを来て、10人以上の大人が駅に集まっていたら、

あるおばあさんから声をかけられました。

 

そのおばあさんは、何でも、毎日のように、

そこの駅から大体20キロ近くを歩いているのだと言いいます。

別にそこでお仕事、ということでもなく、

健康のためのようでした。

 

72歳とのこと。

 

そして、もう何年も同じ靴を履いていて、

穴があくと、そこを塞いでボタンを付けたり……

とご自身で修理をしているのだそうです。

 

そう言って見せてくださった靴は、

本当になんとも味があって

思いのこもっているステキなものでした。

 

写真を撮らせていただきました↓

 

 

 

  

わが家の近くでは、

もう何年も前から、夕方のある一定の時刻に

ランニングしているおじいさんをお見かけします。

 

昔、体育の先生がはいていたような、

白い「トレパン」と白いシャツ、白い帽子をかぶって

暗い夜道を走られています。

 

腰が90度近くに曲がっていて、

見つめているのはほとんど道路

ご本人は明らかに走られているのですが、

まるで強歩のような感じで、

見た目では、90歳くらいではないか、という方です。

 

初め見た時はびっくりしました。

そして2回目以降は、もっとびっくりしました。

なぜって、ほぼ毎日走っていらっしゃることが

わかったからです。

 

そして、月日が経ち、最近もお見かけして、

さらにびっくりしました。

なぜって、90度に曲がっていた腰が、

30度くらいまで伸びてきていたからです。

 

本当にすばらしい! と、一人で感動している私です。

 

いつか、呼び止めて、インタビューしたいもの、

と思っています。

 

 

いやあ、それにしても、

ボタンの靴のおばあさんといい、

白いトレパンのおじいさんといい、

こうやって元気をご自身で維持されている方を見ると、

本当に勇気をいただきます。

 

 

私も友人と、

「80歳で東京マラソンに出よう」

と言っているのですが、

それが、ただの戯れ言にならないよう、

少なくとも、その時と今がつながっている気持ちを

もっと強くもちたいものだ、と

心を新たにした、連休初日でした。

 

 

 

 


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引き寄せが起こるとき

2013年10月31日 | ●日々雑感

 

 

今日は、出かけて行って、人に会い、

人の話を聞いたり、

人と人をお引き合わせしたりしました。

 

大切な友人の一人Aさんが、

これからやろうとしていることを応援したくて、

今日、そのAさんに、とある情報をお伝えしたく、

ある場所で会うことになっていました。

 

で、昨日になって、

その友人とBさんとお引き合せしておくといいかな、

と、思いつきました。

そこで、Bさんに打診してみたところ、

今日、私とAさんがある場所で会ったあと、

Bさんと3人で会えることになりました。

Bさんは、私とAさんが会っていた場所の

隣の駅にいる人でした。

 

そして、3人で会って、

ランチをしながら話していると、

Bさんが、AさんにCさんを紹介する、

ということになりました。

 

そして、その場ですぐBさんがCさんに

電話をしてくれたのですが、

なんとそのCさんは、私たちが食事をしていた場所の

すぐそばを「今、歩いている」というのでした

Cさんは、遠くに住んでいる人なのに、

たまたま、今日のその時間、すぐそばにいたのです!

 

ものすごい偶然

 

でもこれは「偶然」ではなく、

起こるべくして起こる「シンクロニシティ」

と呼ばれるものなんですね。

 

物事が向かうべきところに向かって流れている時は、

こうした偶然のような必然が、

どんどん起き始めます。

それは、ちょうど、

はずれていたプラグをコンセントに差し込んで、

とたんに電流が流れ始めた感覚に似ています。


進む道の前にある信号が、次々に青色に変わる

そんな感覚でもあるかもしれません。

 

そんなシンクロニシティが起きていたら、

それは「進め」の合図でもあると思っていいでしょう。

 

 

私も、自分のプラグを、

自分にとっての正しい場所に差し込み、

電流が流れる喜びを、

もっともっと味わいたいなあ、と思います。

 

 

そのためには、

起きている流れに逆らわないことも大切だと思います。

そしてそのためには、

自分の直感を研ぎすまし、

いつも自分の直感の宿るところと対話する、

そんな意識の持ち方をするといいのかな、と思います。

 

 


『アンパンマン』に思う

2013年10月19日 | ●日々雑感



アンパンマンの作者、やなせたかしさんが逝かれて、

1週間が経とうとしています。

 

追悼の文をあれこれと読むにつけ、

アンパンマンの魅力が何だったのか、

あらためて考えました。

 

 

 

 

アンパンマンに表される「正義」と

ばいきんまんに表される「悪」。

この構図はとってもはっきりしているのだけれど、

だからと言って、作品の中では、

それらの争いは徹底的ではありません。

 

そもそも、ばいきんまんのする悪事は、なんだか憎めない。

 

「アイツがちょっと羨ましかったから」

「入れて、って素直に言えなかったから」

だからやってしまった「いたずら」。

そんな感じです。

 

きっと子どもたちは、ばいきんまんの気持ちも

よくわかるんだと思います。

 

でも、だからと言ってそれでいいわけじゃない。

だから、アンパンマンも

そんなばいきんまんを「やっつける」わけです。

それはそれで、大切なこと。

 

やっていいことと、いけないこと、

それはやっぱり分かれている「べき」だと思います。

 

特に、子どもがまずはじめの基準として持つには、

そうした一つの価値基準は大切なんだと思います。

 

でも、人間、そんなきれい事じゃすまない。

人の心の中にいるのはアンパンマンばかりじゃない。

ばいきんまんも必ず住んでいるのです。

成長するにつれ、だんだんとそれがわかってきます。

 

ばいきんまんの割合が多い人、少ない人、

いることを認めようとしない人、

色々いるけれど、やっぱり住んでいるのです。

それが人間なんじゃないかと思います。

 

 

ばいきんまんをやっつけるアンパンマンの魅力は、

徹底的に相手をたたかず、逃げ道をつくっていること、

そして自分の顔を分けて差し出すことで、

自分も痛みを感じるところなんだろうと思います。

 

これが、ただただ、悪を根絶やしにするまでやっつけるだけで、

ピンチにもならず、自分も傷つかなかったら、

嘘くさいし、面白くもないですよね。

 

 

以前に『本当は怖いグリム童話』などと言う本が

話題になりましたが、

古来、おとぎ話というものは、実はとても残酷で、

悪者はしっかり「殺されて」根絶やしにされる、

という話であったようです。

まさに人間の本性の両極を、

文学らしくデフォルメした結果だと思います。

 

そして、これまでの歴史は、

そうしたおとぎ話と同様のことが行われてきたと思います。

 

それにくらべると、

『アンパンマン』は、何とも曖昧でスッキリしないかもしれません。

 

でも、以前のおとぎ話の価値観で繰り広げられてきた歴史で、

世界が平和になったかと言えば、そうでないことは明らかです。

 

であれば、こんな『アンパンマン』的世界観で、

実際の世界を平和にする、と考えるのはどうでしょうか?

これは、日本が世界に発信できる

文化・考え方の一つではないかとさえ思います。

 

 

 

やなせさんは、ご自身が戦争を体験し、

弟さんも戦争でなくされているといいます。

そんな修羅場を通り、白も黒も見てきて

そこでやはり白を掲げたいと思った

アーティストとしての表現のひとつが

『アンパンマン』だったのでしょう。

 

 

やなせたかしさんのご冥福をお祈りします。

 

 

 


月光浴

2013年09月20日 | ●日々雑感

 

 

昨日は、本当にきれいな満月でしたね。

「月光浴」という言葉がありますが、

ずっとそれをしていたい、と思うような

中秋の宵でした。

 

なんとか、写真に収めたいと思い、

外出先のあちこちで、

スマートフォンを空に向けてみたのですが、

スマートフォンと私の腕では、

撮る写真に限界があり(ありすぎ)ました。

 

写真を撮るのは、その瞬間をなんとかとどめたいから。

あとからそれを見た時に、

その時の感覚や感情、感動……

そんなものがまた、自分の身体や脳の中に甦ってくるから。

 

なので、それができる写真を撮ることができれば

本当にいいと思うのですが、

残念ながら、今の私にはできない。

ならば、

できない、できない、とフラストレーションを持ちつつ、

機械を通して見るより、

自分の目で(かなり老眼すすんでますが)じっくり見て

じっくり味わう方が、

結果、「自分」の中に残る、

2013年の中秋の名月の感動は大きいのではないかしら?

 

そう考えて、その分、月の光と波動を

自分の身体に思いっきり吸収したい、

そんなふうに思って、全毛穴を開く感じで

月を仰いでいた私でした。

 

 

そのおかげか、一夜明けた今日も

目をつぶると、脳裏に昨夜の満月が。

 

それを思い出すだけで、

おだやか~な、幸せ~な、気持ちになるのでした。

 

心がざわざわしたら、

目をつぶってこの月を思い出すといいかも、

と思います。

 

 

あ、いちおう、残念な、スマホの写真、

アップしときます。

 

私の頭の中の月とは、

それこそ、月とスッポンほどの違いがあるんですけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 


月とジョギング

2013年09月18日 | ●日々雑感

 

ご無沙汰しています。

 

台風が、残っていた夏を一気に持ち去ったかのような

青い空が光っている、昨日今日の東京です。

 

開け放した窓から窓へ、

風が、思い切り自由に通り過ぎていきます。

まるで、風の喜びようが伝わってくるようです。

 

いよいよ、秋、ですね。

 

 

今日は日が落ちてから、ジョギングしました。

 

10キロほど走ったのですが、

澄んだ空にくっきりと明るく浮かんだ月に見とれていると、

どこまでも走れそうな気がしました。

 

フェースブックでは、友人が、

涙が出るくらい赤い夕焼けに映える富士山の写真を

アップしていました。

 

こんなふうに、自分のすぐ隣にある自然は、

365日、いつでも、なにがあっても、

その営みを止めることなく変化しているんだな、と思います。

 

それを五感で感じることは、

時にはつらいこともあるけれど、

やっぱり幸せなことだと思います。

 

パソコンに向かって仕事をしていると、

ついつい、その時間を区切れなくなることが多いのですが、

やはり、頭だけを使うのは、とてもアンバランス。

 

風を受け、空を仰ぎ、木々の匂いを感じながら、

身体を使っていくと、

ついつい凝り固まっていた頭の中も、

じんわりとほぐれてきます。

頭の中で滞っていたものも、

流れ出ていきます。

 

そうすると、身体も心も頭も

ごきげんになってくるのがわかります。

 

 

行き詰まったら、もやもやしたら、

頭がオーバーヒートしてきたら……

やっぱり、身体を動かすに限ると思います。

ポイントは、その時の感覚を、感じること。

 

外に出て、空を見上げて深呼吸を3回するだけでも

違います。

 

たったそれだけで、幸せ感がアップする気がします。

 

明日は満月

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


初トライアスロン完泳記(3)ありがとう

2013年08月21日 | ●日々雑感

 

 

私は何も心配していなかったIちゃんですが、

彼女は彼女なりに、ギリギリで頑張ってくれていたのです。 

彼女が漕ぎきって、トランジションに入ってきたとき、

泣き出した彼女の顔を見て、それがよくわかりました。

 

私なんかより、よっぽど余裕でトライしていると思っていたのに。

私みたいにごちゃごちゃ言わず、

常に一つ高い目標に向かっていくIちゃん、

さすがだな、と思いました。

 

 

そして、何があっても動じないお母さんのようなN姐さん。

35度近くの気温の中、溶けて消えることもなく、

最後まで淡々と走り続けてくれました。

 

3周する周回コースのため、

1周毎に輪ゴムをもらって手にかけるのですが、

「2つ目の輪ゴムをもらうとき、まとめて2個ちょーだいって言いそうになった」

と言っていました。

その言葉に、この日の過酷さと、どんな時もユーモアを忘れない

N姐さんがよく現れていると思いました。

 

 

こんな得難い仲間と、念願の笑顔のゴールを果たすことができ、

本当に幸せでした。

 

 

 

さて、この日までは自分が泳ぎきれるのか、

それだけでもう頭が割れそうにぐわんぐわんしていました。

不安とプレッシャーとで、

「キャーッ」って叫びたくなったり、

逃げ出したくなったりする衝動と闘っていました。

自分のことしか見えていませんでした。

 

それが、この日を迎え、レースが始まってみると、

なんと沢山のボランティアスタッフ、地域の人たち、

そして仲間や家族に支えられて自分が出させてもらっているのか、

ということが身にしみてわかりました。

 

マラソンもそうですが、

私がなんとかレースを乗り切れるのは、

沢山の大切な人たちの、そしてその場の皆さんの

応援のエネルギーをいただけるからだと、

今回も確信しました。

 

 

泳げることに、漕げることに、走れることに、

ほんとにほんとに、ありがとう

 

 

 

Iちゃん撮影


初のトライアスロン完泳記(2)平泳ぎで完泳

2013年08月20日 | ●日々雑感

 

 

 

そんなわけで、第2ウェーブのお尻の方から、

人ごみを避けてスタートした私は、まずは平泳ぎで様子見。

そして、身体が水になじんだと思った頃に、クロールを開始。

 

すると、ものの100メートルも行かない頃に、

右足の指先がつりはじめました

 

練習すると、必ず、というくらい足がつっていた私。

つりに効くと言う漢方薬を入手し、

前の晩も、その日の朝にも、ちゃんと飲んだのです。

 

でも、やっぱりつり始めました。

 

もし、両足がひどくつってしまったら、それはその時点でリタイアを意味する、

と思っていました。

その事態はなんとか避けたい。

 

無意識に、足の裏の向きを変えるべく、

クロールを平泳ぎに変えました。

 

しばらくして、そろそろいいかなあ~と思って、またクロールを。

 

でもそうすると、どうも、同じところがつり始める。

まだ指先だけだからよかったものの、

下手をすると、つった部分がふくらはぎ、

そして両足へと拡大しそうでした。

 

しかたない、やっぱり、困った時の平泳ぎだ。

 

 

・・・というわけで、

結局、平泳ぎ→平泳ぎ→平泳ぎ……たまにクロール→平泳ぎ→平泳ぎ……

というリズム(?)が、終盤まで続きました。

 

 

  

手賀沼の水は「お~いお茶」の「お濃い茶」よりもまだ深い緑色。

水中では、自分の手の肘くらいまでしか見えません。

当然、前にいる人も、横にいる人も、後ろにいる人も、

わかりません。

 

ぶつかって初めて、あるいは乗っかって初めて、または乗っかられて初めて、

そこに人がいる、ということがわかるのです。

 

そんな有り様でしたから、

「巻き込まれる」ことを極端に恐れていた私は、

手足に誰かが触れたと思ったら、すぐにそこから脇に外れ、

人のいないところ、いないところを通りながら泳ぎました。

 

 

「ヘッドアップ」という、前方を確認しながらするブレスの仕方を教えてもらい、

時々それをしてみましたが、

プールのようなコースロープもなく、

クロールをすると、やはりすぐに向かう方向がわからなくなります。

 

 

沢山のカヌーの方々がコースの脇で見守ってくださっていて、

違う方角に向かうと、

「そっちじゃない!」と、大きな声をかけてくれました。

本当にそれがなければ、どこまでもコースをそれていって

しまったかもしれません。

 

 

 

途中、折り返し地点を回り、目指す風景が

遠くの鉄塔から、大きな橋に変わりました。

帰りというのは気がラクなものです。

そして早く帰りたくなるものです。

 

でも、手足に力を入れるとつります。

これまでにいくつかいただいたアドバイスから、

末端に力を入れてはダメ。

力を入れるならお腹(体幹)だ。

と思っていましたので、

ともかく基本のストリームラインの状態を長く維持することを心がけ、

伸びている状態を感じながら、マイペースで進みました。

 

 

時間を計っていた時の感覚があったので、

ウェットスーツを着ていて浮いている分、

水が蹴れていないとは思いましたが、

それでも、この感覚で泳いでいれば、時間内に戻ることができるだろう、

そんな思いはありました。

 

ただ、進み続けなくてはダメだろうな。

休息は無しだな・・・

 

幸い、大丈夫、まだ行ける。

折り返して半分くらい戻ったところで、そんなふうに思いました。

 

結局、練習した「仰向け」「背泳ぎ」は出番のないままとなりました。

 

 

泳ぎがまだまだ未熟で、これ、という型もマスターしていない私は、

沼を泳ぎながらも、

手はこう動かした方がより進むかな?

頭はもっと沈めないと、水の抵抗が大きいかな?

と、ひとかき、ひと蹴り、そんなことを考えました。

本番も練習も、変わらない状態だったと言えます。

 

 

 

岸辺では、多くの人が応援をしてくれていたりするのだろう、

と思うのですが、

水の中では声も聞こえませんでした。

いちばん近く感じられたのは、水のほかは青い空と白い雲

 

特にクロールの時のブレスでは、呼吸の度に、空が見えました。

 

 

思えば、そんな自然のど真ん中、陸から離れたところを泳ぐ機会は

そうそうありません。

溺れ死ぬ恐怖があるとは言え、救助態勢も整っている状況ですから、

ほんとに死ぬことは、たぶんなく、

そんな、見守られている中で、

こうして自然をもろに感じつつ(深緑の水ですけど・・・)

のんきに泳いでいられるなんて、贅沢だなあ、と思ったりもしました。

 

 

 

橋を目指して帰って行く復路は、最後に90度曲がって岸を目指します。

桟橋近くのゴールゲートが近づくと、

最後くらいはクロールで泳ぎきりたいと、

ちょっとだけ見栄が頭をもたげました。

 

そこで、最後の直線コースのほんとの最後の数十メートルだけ、

一生懸命クロールで泳ぎました。

このとき初めて、息が上がりました。

 

なので、ゴールゲートの旗をくぐったら、即、平泳ぎに(笑)。

 

 

桟橋の突端には階段がついています。

そこにたどり着くと、足をかけ、

階段を上り、桟橋に上がりました。

 

 

ふらふらで、立てなかったらどうしよう?

と心配でしたが、

陸に足をついたとき、ちゃんと立てることがわかりました。

 

立てる。そして歩ける。

 

そして歩き出すと、

我らがコーチで、大会審判長のOさんが、親指を立てて迎えてくれていました。

 

ちゃんと見守ってくださっていたOコーチ。

ほんとにありがたい!

 

Oコーチの親指をぎゅっと握ってお礼を言い、

トランジションを目指しました。

 

幸い、走れそう。走ってもいいよね。よし!

 

度付きのゴーグルをはずすと目が見えなくなっちゃう私は、

ゴーグルをしたまま、

裸足でトランジションを目指し、小走りに走りました。

 

 


トランジションでは、バイク担当のIちゃんが

私を待ち受けていてくれました。

 

なぜか、私を見つけると、Iちゃんは涙を流しました。

 

「ああ、ほんとに心配してくれていたんだなあ」

 

彼女の顔を見た私の方が、感激しました。

 

へろへろになって、

アンクルバンドは彼女にはずしてもらわないとならないかな、

と思っていましたが、

幸い、その力も残っていました。

 

アンクルバンドを自分ではずし、

私のエネルギーとエールをすべて込めて

Iちゃんに手渡しました。

 

私が泳ぎきれたのだから、あなたは絶対大丈夫。

確信以外の何ものもありませんでした。

 
 
 
そして、レースはバイク、そして、ランへ。
 
この続きは、こちらをご覧ください。

 

 

 

 

 


初トライアスロン完泳記(1)生きて帰ってくるぞ!

2013年08月19日 | ●日々雑感

 

 

先日の日曜日、ついに、手賀沼トライアスロン大会が行われ、

私は無事、担当のスイム1.5キロを完泳することができました

 

そして、トライアスロンなんて初めての人ばかりの我がチーム、

50代女子3人の「クレトラ・フィフティーズ」は、

おかげさまで、念願の「笑顔のゴール」を果たすことができました。


応援してくださった皆様、

本当にありがとうございましたm(__)m




 

 参加者は、個人参加404人、チーム参加53チーム。

水温は、スイムを中止とする基準の30度をほんの1度下回った29度。

気温は、ランの距離変更の基準になる35度をほんの1度下回った34度。

 

 

ピーカンの青空のもと、

約450名が第1ウェーブ、第2ウェーブと

2波に分かれてスタートしました。

 

トライアスロンは、スイムからスタートし、

スイム→バイク→ランの順番で進みます。

これは、命の危険の大きい順番とイコール。

 

私は、第2ウェーブでのスタートでした。

 

 

 

考えていたのは、とにかく、バトルに巻き込まれないこと。

そして、生きて無事に帰ってくること

それだけでした。


大勢で一斉に泳ぐので、集団の中に入ると

前からは蹴られ、横からはあおられ、

上に乗られたり、下から持ち上げられたりして、

水を飲み、大変なことになると聞いていました。

  

もう、ほとんど戦地にいくのか!? っていう感じです(苦笑)。

 

 

私たち初心者トリオのフィフティーズには、

記録も順位も、最初からまったく関係ありません(笑)。

3人が、それぞれに、制限時間内に自分の持ち場を泳ぎ、漕ぎ、走りきり、

3人で手をつないで、笑顔でゴールすること、

それだけが欲しいものでした。

 

 

ほとんどたいした練習はできないまま迎えた

最後の1週間の練習では、

泳げば泳ぐほど、私の中ではある決意が固まって行きました。

それは、人が何と言おうと、「平泳ぎ」で泳ぐ! というものでした。

  

もちろん、基本はクロールと考えていましたが、

それでも、「かなり平泳ぎでいく」、そう思ったのです。

なぜなら、やればやるほど、クロールで泳ぎきるということが、

今の自分には非現実的だということがわかってきたからでした(涙)。

 

最後まで、クロールを上達しようと頑張りました

実際、ずいぶんの進歩があったと思います

それはそれは、格段の進歩でした

 

が——。

 

だからといって、1.5キロをクロールだけで泳ぎきるのは

別次元のことでした

 

なので、本番1週間前からは、「平泳ぎ」への思いがどんどん強固になり、

クロール&平泳ぎをしている自分の映像が

脳裏に浮かぶようになりました。

 

さらに本番が近づくと、そこに「背泳ぎ」の映像もプラスされていきました

 

実際、疲れたら、仰向けになって休む、

なんかあったら、とにかく仰向けになって浮かぶ。

それだけが、命をつなぐ方法だと思っていました。

 

なので、最後の数回の練習では、

クロール→平泳ぎ→仰向け→背泳ぎ→クロール→平泳ぎ→仰向け・・・・

という練習を、真面目にやりました(笑)。

 

 

そして、仮に平泳ぎだけで泳いだ場合、どれだけ時間がかかるのか、

はかってみました。

すると、500メートルが15分。

1500メートルでも、その3倍の45分で泳げることがわかりました。

 

であれば、平泳ぎだけでも、なんとか1時間の制限時間内で

泳ぐことが可能かもしれない・・・

本番4日前にして、やっと少しだけ、

ゴールイメージが湧いたのでした。

 

 

(つづく)

 

 


手賀沼トライアスロンへの道!

2013年08月10日 | ●日々雑感

 

 

実は、私、

次の日曜日に手賀沼というところで行われる

トライアスロンに参加してきます。

 

といっても、

スイム、バイク、ランをすべて一人でするわけではなく、

リレーで参加。

で、私はスイム1500メートル、担当です。

 

別に、泳ぎが得意なわけじゃないんです。

単に、泳げないわけでもなかった、というだけ。

ごく、フツーに泳げた経験があった、だけなんです。

 

それが、なんで、こんなことになったかと言うと。

入れてもらっているランニングチームの仲間が、

声をかけてくれたんです。

「誰か泳がない?」って。

 

そのとき、声をかけてくれたその仲間はランを担当するつもりで、

バイクは別の仲間が担当することが決まっていたようです。

で、スイム担当がいない、と。

それでチームのメーリングリストで募集したのです。

 

(そう、今書いていて思いますが、

 声をかけたのは「私に」じゃなかったんですね。

 「誰か」だったのに、私に言われているように聞こえちゃったのが

 そもそもの間違いでしたね

 

 

私は、ただ「面白そうだな」と思ったので、

「もし、ほかにどうしても泳ぐ人がいなかったら、やる

と手を挙げてしまいました。

 

こういうのを「出来心」とか「魔がさした」って言うんだろうな、

とつくづく思う今日この頃

 

 

はたして。

ほかに立候補者がいたので、

「じゃあ、泳がなくていいわ

と内心ほっとしたのもつかの間、

「それなら2チームつくろうよ」と

その友人が言い、さらに仲間を募集∑(゜◇゜ノ)ノ

 

しかも、すごいことに、

私がそうやってスイムに挑戦するのだったら、

自分が安全圏で慣れたランをやってる場合じゃない、と

初めに声をかけてくれた彼女は、

急遽、バイクにトライすることを決定

そして、何十万円も出して、バイクを買っちゃったのであります

 

そんなわけで、あれよあれよという間に、

女子2チームが出来上がったのでありました。

 

1チームは、まだ30代~40代の女子。

そしてもう1チームの私たちは、3人とも50代の女子。

チーム名は、それぞれ「ギャルズ」と「フィフティーズ」。

 

決まったのはゴールデンウィーク前だったので、

それから着々と練習をしていれば、

今頃は当日が楽しみだったに違いない、と思うのですが……

 

 

私は実は、ほとんど練習ができておらず、

7月の声を聞いてから、そろそろヤバい、と思い始め

8月になると、とうとうお尻に火がついて、

アワアワと、いろんな人にSOSを出しつつ、

ちっとも泳げないクロールを、何十メートルか泳いでは、

ゼーハー言っている有り様です。

 

トライアスロンを真剣にやっていらっしゃる皆様にしたら

「なめんなよ!」ってところだと思うのですが・・・

 

気持ちばかりが焦るものの、

思うように練習にも行けず(行かずと言うべきですね)、

行っても、苦しさをこらえて頑張って長い距離

ノンストップで泳ぐ、ということができず、

甘えて止まってしまいます。

 

沼や海には、立てる所、捕まるものはないのに、

どうするんだよ自分、と思いつつ。ううっ

 

 

そもそも私、「平泳ぎでもなんでもいいから!」

って言われた気がして、

「平泳ぎでもいいなら」と、

平泳ぎで泳ぐ気満々だったんです。

 

そうしたら、そんなものでは泳げない、ということが判明。

(ウェットスーツを着ていたら、身体が浮くので、足が水を蹴れないそう・・・。

 おまけに、もみくちゃになって泳ぐので、

周囲の人を蹴飛ばして迷惑!なのだそう・・・)

その時には、もう後戻りできず。

苦しいクロールに挑戦、となった次第です。。。

 

 

正直、プールですらノンストップで、しかもクロールで

1500メートルなんて泳いだことないのに、

どうなるんだ私・・・。

 

 

ともかくも、

すったもんだしながら、ウェットスーツも借り、

先週は「試泳・試走会」というのに参加。

ほんの数百メートル程度でしたが、泳ぎもし。

 

あとは、最善を尽くすのみ。というところ。


なんだけど、

ジタバタ、ジタバタ


 

マラソンに初挑戦した時もそうでしたが、

これまでの間にいろんな気づきをもらいました。

きっと当日も、ギリギリの状況で、

いろんなことを感じるんだろうな、と思いつつ。

 

まさに、いま、毎日「ごきげん」練習しています・・・・・。

 

 

きゃーーーーーー

 


カクゴ

2013年08月09日 | ●日々雑感

 

 

「ディターミネーション(決意)でもコミットメント(責務)でもなく、

 日本語のカクゴなんだと、いつも自分に言い聞かせているのよ」


 

このことばにハッとした。

朝日新聞、8月7日の夕刊の記事「オキナワをたどって」の

中のフレーズ。

 

記事には、4歳で沖縄戦を経験し、

その後、アメリカ兵の妻となった女性のことが書かれていた。

その女性は、

壕の中で泣き止まない乳児が、手ぬぐいで口をふさがれて動かなくなる、

そんな光景を目の当たりにし、

大人になって長いことたつまで、泣くことができなかったという。

 

その女性が、アメリカ兵と結婚し、アメリカにわたる。

当時、そうした結婚を祝福する日本人はいなかった。

 

その後、3人の子どもを設けるが、

ご主人はベトナム戦争に出兵。

帰還してふたたび沖縄勤務になったが、

精神をかなり病んでしまっていた。

 

数々の事件が起きた基地周辺では、

沖縄の住民の基地への憤りが爆発した。

コザ暴動の日、ついに彼女の中で何かが動く。

 

「米兵の妻でも米国人の母でもない、私はウチナーンチュ(沖縄人)だ。

 夫に食ってかかり、家を出ようとした。

 力ずくで押しとどめられ、2人で朝まで、壁にもたれて泣いた。」


という。

”壮絶”だと思う。


その後、アメリカに戻った後、ご主人は原因不明の急死。

枯れ葉剤の影響も疑われると言う。




そんな人生を経て、いま、彼女は

「アイ ビリーブ マイ デューティーはね。

 若い人を育てることだと思っているの」

と言う。



そんな人にとっては、

結婚も、その後の人生の選択も、

すべてが「カクゴ」だったに違いない。

 

 

determination でも、commitment でもなく「覚悟」。

辞書で見たけれど、

なるほど、「覚悟」に該当する英語はないらしい。

 

 

 

決断や責務はかなりの部分を頭でするものだけれど、

それを引き受けると決めたとき

「肚をくくる」

それが「覚悟」なのだろう。

 

覚悟は、きっと、頭ではできない。

 頭でわかったことが、肚まで落ちて、肚をくくったとき、

初めて全身全霊で動けるのだろうと思ったのでありました。

 

そんな軽い感想では申し訳ない内容の記事だったのだけれど……



今日は長崎に原爆が落ちてから68年目の8月9日。




※太字は新聞記事から引用。

記事はこちら(→ オキナワをたどって6オキナワをたどって7


68年目の8月6日に思う

2013年08月06日 | ●日々雑感

 

 

今日は、8月6日ですね。

 

世界で初めて原子爆弾が、広島に落とされた日です。

 

それから68年———。

 

 

 

物心ついた頃から、

毎年、この日の8時15分には、手を合わせ、黙祷してきました。

何に対し、何を思えばいいのか、よくわかりませんでしたが、

ともかく、阿鼻叫喚の地獄の中で亡くなった

沢山の人たちの魂が、安らかになれることを祈り、

そして「二度とこんなことは繰り返さないから」と、

心の中で言うのが常でした。

 

すると、自動的に、

「そのために自分は何をするのか」という問いかけが、

必ずセットになって自分の中に湧いてきました。

 

思えば、これまでの人生、

心の奥底には、常にその問いが存在していたように思います。

理由はわかりませんが、

私にとっては「平和」というのは

一つの大切な「価値」なのです。

 


「平和のために何ができるか?」という問いの答えを、

子どもの頃は、何かたいそう大きなことをすることのように考えていました。

一度に沢山の人にインパクトを与えるとか、

際立った何かをするとか・・・。

そして、そんなことができない自分は、

平和に貢献できない、と考えたりもしました。

 

そうした思いは、

Think globally, Act locally.

(地球のことを考えながら、地域で動く。

 世界のことを考えながら、自分のいる場所で、自分のできることをする。)

という考え方を知って、

落ち着くようになりました。


そして自分が、今いる場所で、今の自分で、

できることは何だろう、と考えるようになりました。


では今、自分が迷いなくはっきりと

平和のための行動がとれているかと言えば、

まったく自信はありません。

ただ、自分が何をするのか、ということに対して

納得できるようになっています。

 

かなり最近になってからではありますが・・・。

 

 


その納得していることと、まったく同じことが

とても適切な言葉で語られるのを、今日、聞きました。


広島の平和記念式典で

子ども代表の二人が行った「平和への誓い」の中に

その言葉はありました。

 


 

「平和とは、安心して生活できること。

 平和とは、一人ひとりが輝いていること。

 平和とは、みんなが幸せを感じること。」


「平和は、自らが創り出すもの。

 そのために、

 友達や家族など身近にいる人に感謝を伝える。

 沢山の人と話して、違う考えを知る。

 自分の得意なことを通して世界の人と交流する。」


「方法は違っていてもいい。

 大切なのは、私たち一人ひとりが行動すること。」



「平和」を実現する、 というのは、

あまりにも大きなテーマかもしれません。

けれど、どんな大きなことも、小さな一つが集まっているのです。


平和も、一人ひとりの心の中から始まるとしたら、

1軒1軒の家に明かりを灯すように、

まずは身近な人の心に明かりを灯すことができればいいのでしょうね。

 

では、いちばん身近な人は誰でしょう・・・?

 

そう考えると、

それは、間違いなく「自分」なのだと思います。

 

 

だから、「自分」に明かりを灯す。

そして、その明かりで周りを明るくする。

誰かを照らし、誰かの中にも明かりを灯すことができる力を

自分が持っていることを信じる。

 

そうやって、明かりを灯す家が増えれば、

世界は明るくなるはずです。

 

 

できるかできないか、ではなく、やるかやらないか。

そして

信じられるか信じられないか、ではなく、信じるか信じないか。

 

 

86回目の原爆の日に、手を合わせながら、

そんな思いを確認した朝でした。