ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

父の一周忌に思う

2015年01月25日 | ●セルフコーチング

 

 

今日は、父の一周忌の法要がありました。

 

 

一年。

私たち家族にとっては、あっという間でした。

 

 

お経をあげてくれたお坊さんがこんな話をしてくれました。

 

人が亡くなった時、
その人の死から、いろいろな思いを持ち、
自分で何がしか心に決めることがある。
けれど、日々の生活に追われるうちに、
ついついそれを忘れてしまう・・・
今日、それを思い出して、
もう一度、自分が何をするか、決めて
このお寺を後にしてください。

 

 

全くその通りだと思いました。

 

 

私自身が父の死から学んだことは、
死ぬときに後悔しないように、
やりたいことをやる、
ということでした。

 

だれかを、何かを言い訳にしても、
それらが、自分の人生の責任をとってくれることはありません。

 

ひとから、どんなにいい人だと思われたとしても、
自分自身がそのことに満足し、
それで自身を生ききったと言えないのであれば、
意味がありません。

 

どんなにやりたいことがあっても、
体と頭がいうことをきかなければ、
できません。

 

 

 

年寄りは過去の話をし、
若者は未来の話をする。

そんな言葉があるようですが、
これがやりたかったけれど、できなかったんだよね、
という話を聞くより、
これからこれをやりたい、こうしようと思っている、
こうしている、次はこうする予定、
そんな話を聞く方が、
聞く方も、する方も、
ずっとずっと元気になります。

 

父の教え、父から学んだことを
大切にし、
実践していきたいと心新たにした一周忌でした。 

 

 

 

 


楽しむためにもスキルを磨く

2015年01月24日 | ●セルフコーチング

 

 

今日は、春に行う予定の、とあるイベントの打ち合わせをかねて、
高校時代の部活の仲間と、
そのうちの一人のお宅で集まりました。

 

部活というのは合唱部

なので、打ち合わせと言いつつ、
集まると、やっぱり歌いたいわけです。

 

で、何曲か歌いました。

 

楽しかった
と言いたいところなのですが・・・

(もちろん、楽しかったのですが)

ちょっと楽しみきれないところがありました。

 

それは・・・
メンバーのほとんどは、今はあまり歌っていないこともあり、
声が出なくなっているのでした。

おまけに、それぞれ、老眼が進んできていることもあり、
楽譜がよく見えない・・・

それに、私自身はあるところから、どうも耳が悪くなってきていて、
音が違って聞こえるのです。

 

以前は、音を聞くと、それがなんの音がわかりました。
というか、ピアノの音などは、
音符になって聞こえてくる感じすらありました。

ところが、あるところから、実際の音と、
自分が感じた音が半音ずれるようになり、
最近では1音ずれて聞こえるまでに・・・・

 

そうなると、聞いてそうだと思った音と、
楽譜で見ている音と、
全部が違ってきてしまい、
何が正解の音なのか、わかりにくくなります。

以前は初見でもそれなりに歌えたのですが、
突然、別のパートを歌おうと試みたりすると、
音が取れなくなってしまいました・・・

 

 

そんなこんなで、ちっとも綺麗なハーモニーにならなかったのです。

 

私が好きなものは、ハーモニー。

なので、今日は楽しみきれない気持ちが残りました。

 

 

そうして、つくづく痛感しました。

 

使っていないと自分の機能は衰える、ということ。
そして、体はどんどん老化しますので、
同じレベルと維持しようとすると、
体の下降線と反比例するように、
自分を鍛える負荷を増やしていかないと、
現状維持はできないのだ、ということを。 

 

そして、楽しむためにも、一定のスキルは必要だ、と思いました。

 

ただただ、無目的におしゃべりなどをしても、
それはそれで楽しい時間になるかもしれませんが、
何か目的を持って、多少、大変なことでもやってみる、
という課題があると、
より楽しく感じられるのは、
そんな理由も関係するのかな、と思います。

 

趣味の集まり、というのは、
その中でも、何かのスキルを磨く要素があるでしょう。
そんな要素があると、
自分の成長を感じたり、達成感を持ったり、
という瞬間も出てくると思います。

それが、「楽しい」という気持ちにも、
大事な要素なのかもなあ、と思った今日でした。 

 

 


誰もが特別、そして普通

2015年01月23日 | ●セルフコーチング

 

 

今日は、「特別」という感情について考えました。

 

人は、たぶん誰もが、
「自分は特別な人間だ」と思っている、
あるいは、思いたいんだと思います。

慎み深いと言われ、謙遜が美徳とされてきた私たち日本人。
「いや〜、そんなことないですよ」
と口では言うかもしれません。

あるいは、逆に、自分はコンプレックスの固まりで、
特別だなんて言えるところが一つもない、
平凡すぎ、もしくは平凡以下だ、と思っているかもしれません。

でも、それはそれで、いかにダメか、ということで
特別さをアピールしたい、ということもある。

 

なかなか、人の心というものは、厄介なものです。

 

それは、つまり、自分という存在の価値を、
自分で感じたい、という思いが、
生きている証としての自然な欲求だからなのかもしれません。

 

 

 

今でも時々思い出すのですが、私も、
将来のことをについてあれこれ考えていた高校生のころ、
慕っていた部活の顧問の先生に、

「誰でもできることはしたくないんです」

なんて、生意気なことを言ったことがあります。 

 

そうしたら、先生は、

「誰でもできることが、一番むずかしいのよ」

とおっしゃいました。

 

今はその言葉の意味がよくわかります。

 

先生がおっしゃったとおり、
誰にでもできるような当たり前のこと、
なんの変哲も無いこと、
それを、来る日も来る日も淡々と続けること、
それがいかにできそうでできないことであるか、
よくわかります。

 

そして、成功していると言われている人たちが、
何か特別なことをして成功したわけではなく、
来る日も来る日も、
同じことを繰り返していた、ということも
わかります。

 

 

よく、天才は1%の才能と、99%の努力から成る、
と言われますが、
人が途中でやめてしまうようなことをやり続けることができることで、
1%の才能を開花させるのだと思います。

 

 

それと同じで、
全く特別でもないことをやり続ける、
それができる人が、特別な人になるのだと思います。

 

 

そのためには、
自分が特別じゃない、と思えることが大事なのかもしれません。

特別じゃないから、毎日練習する。
量を質に転換していく、ということでもあるかもしれません。

 

 

それに、自分が特別、ということをデフォルトにすると、
そうじゃないと感じるときは、
すべて、減点されていくことになります。

でも、特別じゃないことがデフォルトだと、
何か特別なことができたり、いつもと違うことが起きた時は、
すべて、加点されていくことになります。

 

どちらがご機嫌で居られる可能性が高いかは、
明らかですよね・・・

 

 

それに、誰もが、一人として同じ人がいない、
スペシャルな存在であることは間違いがないのだけれど、
そこに優劣はなくて、
誰もが自分と同じように、
人からどう思われるか気にしていたり、
悩み事やコンプレックスを持っている、と思えば……
人との距離は、ぐっと縮まるかもしれません。

 

 

スピリチュアルな面から見ると、
人は、大本のところですべて一つだと言われます。
同じ一つの何か、だったのだけれど、
それをさらに進化させるために、
それがいくつにも分かれ、体という物体をまとい、
現世で違った経験をすることを通して、
それぞれの魂を磨き、
それを持ち帰って、また一つになって、
同じ一つの何かをさらに進化させる。
そんなストーリーになっている、と。

それは、ちょうど、大きな海の水が、
いくつもの水滴に分かれて
それぞれに散った場所で違ったやり方で、
水の成分を少しずつ変える。
そしてそれがまた、一つの海に戻っていって、
少しずつ、海の水の性質が変化していく、
そんな感じかもしれません。 

 

もし、そうだと仮定すると、
とても美しい女優さんも、
すごいお金持ちの起業家も、
それぞれのシナリオを生きながら、
結局は、みんなで、それぞれの体験から得た学びを持ち帰り、
それを統合して、みんなで進化しようとしていることになります。

そのシナリオは一人ひとり、すべて違うのだけれど、
目的は一緒であり、
誰の体験も、他の人のためでもある。

 

私たちは、本来争うためにいるのではなく、
違いを学ぶためにいて、
本当は協力して一つのことを行おうとしている・・・

 

 

そんなふうに思うと、
羨ましいと思っていた人も、
コンチクショウと思っていた人も、
みな、 仲間のように思えてきたりもしませんか?

 

そして、自分だけが特別、という思いにしがみつかなくて、
大丈夫なんだ、
そんな思いになれる気がする・・・

 

電車の中の人たちを見回しながら、
今日はそんな感覚を持ってみました。

 

 

さて、
あとは、淡々と、自分が特別、という思い、
いらぬプライドやエゴ、疎外感・・・
そんなものをとにかくそぎ落とし、そぎ落としていけたらいいな
と思います。

 

 

 


 


「感情」の取り扱い方 注意事項

2015年01月22日 | ●セルフコーチング

 

 

どうしても気が乗らない、
なんか、とっても腹がたつ、
どういうわけか、悲しい、
いらいらする、
めっちゃ気が滅入る・・・


たまにはそんな時もあると思います。


そういう時は、どうしていますか?


一つには、自分が何に感情を反応させているのか、
ただじっと、自分の感覚に聞いてみる
という方法があるかもしれません。

体のどの辺りで、どんな感覚を感じているのか、
その感覚はなんなのか?
その感覚は、自分になんと言ってきているのか・・・


そうすると、怒りのそこには寂しさがあった、
なんていうことが見えてくるかもしれません。 


もう一つには、もういっさいそのことを思わないようにして、
全く別のことをする。 
とくに、体を動かすことがおすすめです。
かなりハードな感じに。

そうすると、体のことで精一杯になって、
さっきの感じを忘れることができるかもしれません。



いずれにしても、ポイントは、
自分の中の「感情」であるものを、
「思考」であれこれいじくり回して考えないこと。

そうすると、ろくなことがありません。


大概の場合、「思考」は 「自分」の敵になります。

「感情」は、ただ感じるか、
ただ遠くから眺めるだけに限りますね。


 


隙間がだいじ

2015年01月21日 | ●セルフコーチング

 

一人暮らしをしている次男が帰ってくると、
彼はリビングのソファとなっているベッドで寝ます。

 

で、朝、そのベッドを見ると、
だいたい、布団がずり落ちています。
壁と反対側の床に。 


寒いって言うけれど、当然だと思います・・・



ベッドが壁にくっついていると
布団が壁側に垂れ下がらず、
左右均等に掛け布団がかからないために、
より多く垂れ下がってる壁と反対側に、
自分の重みで布団が落ちるんですね。


そうならないためには、
ベッドを壁から少し離して、
壁側にも掛け布団を垂らすことが必要です。


なんでもキチッ、キチッとするばかりがいいわけじゃないですね。
少しの隙間、
少しのゆとり、
そんなものがだいじなんだよなあ、って
布団を敷きながら思います。 


 


他者理解の第一歩は・・・

2015年01月19日 | ●セルフコーチング

 

 

今日、たまたま
精神科の看護についての教科書を読むことがあったのですが、
その中の言葉にふと目が止まりました。

 

患者と初めて接するときに不安を感じることがある。
これは当然でもあるが、
この場合、関心が自分に向いている、ということである。
なぜ、そう感じるのか、
自分で自分の気持ちを理解し、
関心を自分から患者へと移していくようにする。

相手を見るときには、
相手への自分の考えが大きく影響する。
自己理解を深めることがまず、重要である。

 

そんなふうな内容だったと思います。

 

これは、看護、という仕事に限った話ではないと思います。

自分を理解することが
相手を理解するためにも大切なんですね。

 

 

 

 

 

 


今年の漢字は?

2015年01月17日 | ●セルフコーチング

 

 

今更ですが、
昨年を漢字1字で表すと、何になりますか?

 

ちなみに、毎年、漢字能力検定協会が公募し、発表している
「今年の漢字」の昨年2014年の1字は「税」でした。

ついでに言うと、ベスト10は、次の通り。

1位:税
2位:熱
3位:嘘
4位:災
5位:雪
6位:泣
7位:噴
8位:増
9位:偽
10位:妖 



さて、私はなんだっただろうなあ? と思って浮かんだのは、
」の文字。 
あるいは、
」「」「」・・・ 

 

ランニングの練習はここ数年で一番できなかったのですが、
引きずられるように、止まることなく走っていたような、
そんな感じです。

引きずられることを1字で表す漢字があれば、それにしているところです。

新しい仕事を引き受けたのですが、
それに「振り回されていた」1年だった気がします。
ま、当然のことではあるのです。
そして、それは楽しい経験でもあるのですが、
とにかくバタバタには違いなかったわけです。 



父の死と向かい合うことから始まった昨年は、
一年を通して、家族それぞれに、大きな変化がありました。

それはそれとして、プラスした新しい仕事は
その間をずっと貫くように続いてきました。

マヤ暦で言うと、昨年は私にとってちょうど還暦の歳、ということでした。
そうだからなのか、わかりませんが・・・
(マヤ暦のことはちっとも詳しくありません)
私の中では、いろいろと旅(修行?)に出ていた私の心が
再び、本来の自分の居場所に戻ってきた、
そんな年であったようにも思います。

だから、「還」の字。

修行は終わったわけではなく、引き続き続くのだと思いますが、
やり方が変わるような気がします。 


そして、そうやってバタバタと引きずられるように走りながら
私は、本来の自分に戻ってきていると感じると同時に、
やはり、あるステージから別のステージへと
移行し、遷(うつ)っている感覚もあります。

だから、「還」や「遷」の字。



昨年、年初に思い抱いたのは「統合」。
なので、漢字にすると「統」っていうところだったのでしょう。

「統合」感も、もちろんあります。
だからこそ、戻って来た感覚があるのでしょう。
ただ、結果としては、上述のような文字となりました。 

 


 

 

で、今年はどうしたいかと言えば・・・・ 

」そして「」。

 

これまで、狭いところに小さくたたんでたたんで押し込めていた羽を
丁寧に、開き、広げて、展げて
等身大にしてゆっくり陽に当ててあげたい、
そんな気分です。

「翔 」とまではいかないのですが、飛べるようにする。
スタンバイする、みたいな感覚に近いかもしれません。

 

そして、
これまでインプットに終始しがちだった私の重心を
もっともっとアウトプットに移したいと思います。
それも、ただ、アウトプットするのではなく、
ちゃんと、必要な人に届き、伝わる形にして。

出すだけじゃなく、必要なものを届ける、
そんなイメージです。

 


さて、あなたの今年の一文字はなんでしょう?

 

今年もはや、2週間を過ぎましたが、
あらためて、今年をどんなイメージで進みたいか、
想像してみてはいかがでしょうか。



光と闇 〜コンプレックス万歳!〜

2015年01月16日 | ●セルフコーチング

 

 

今日のタイトルを書いてみて、
なんだか、小説の題名みたいだなあ、と思いました。笑

 

最近、「闇があるからこそ、光がわかる」といった趣旨のことを読み、
なるほどなあ、と思っているので、
こんなタイトルで、書いてみたくなりました。 



そう、確かに、
本物を知っているからこそ偽物がわかる、とか、 
重い物を知っているから軽い感覚がわかる、とか、
ということ、ありますよね。


それと同じで、
悲しみを知っているからこそ、嬉しさがわかるとか、
ひもじさを知っているから、お腹いっぱい食べられる幸せを感じられるとか、
そうことがあると思います。


相反する二つの物事があるとき、
どちらか一方だけを知っていても、
そのものの持つ意味とか、価値とかをわからない、
ということになるのだろうと思います。

だから、両方を知って初めて、片方のありがたさや価値をわかる、
もしくは、それではいけない、といった思いを持つ、
ということになります。

 

失って初めて、なんでもない日常のありがたさを知る、
世界では、日々、そんなことが起きていますね。



そう考えてみると、
もし、いま、とっても苦しんでいること、
辛いと思っていること、足りないと思っていること、
抜け出したいのに抜け出せない状況などがあるとしたら、
それって、見方を変えれば、その逆のことを味わうための
運命の伏線 かもしれない・・・
そんなふうに考えられなくもないのではないでしょうか?



だいたい、何かで成功している人は、
その前に、一度、そのことでめっちゃ辛い時期を味わっています。

たとえば、起業したけどうまくいかずに破産した
だからこそ、何をしちゃダメかを知っているとか、
病気のせいで顔色が悪くて、それがコンンプレックスだったので、
それを克服しようとして、メイクの分野で一流になったとか、
お母さんが大変そうなのを見て、なんとか楽にしてあげたくて
発明をしたとか・・・。


そう思うと、足りなくて困っていることとか、
コンプレックスに思っていることって、
実はその人の大切な人生のミッションの源泉なのかもしれないと思います。

神様が書いた、人生の脚本が、
そういう伏線を用意しているんじゃあないでしょうか? 

 


逆に言えば、ミッションに関係することには、
心が疼くのだと思います。
だからこそ、コンプレックスを感じたり、
羨望を感じたりするのだと思います。


 

たとえば、ピアノが弾けるんだけど、そんなにうまくない、
という人は、
「ああ、もっとピアノが上手だったらなあ」と思います。

でも、ピアノが全く弾けなかったり、
そもそもピアノに関心がない人は、
そんなこと、みじんも思わないでしょう。

どうでもいいので、心が疼くことも、動くこともないわけです。


そんなふうに、全く関係ないことであれば、
疼くこともなく、目に入ることも、耳に聞こえてくることもなく、
スルーです。


心にひっかかる、目に止まる、耳に入る、
ということは、何か意味があるわけです。 


そう思うと、コンプレックスって、
実は自分の敵じゃなくて、ものすごく愛すべき味方
なのかもしれませんね。 

 

同様に、嫌いな人、腹が立つこと、なども、
実はそこには、自分にとって、
とても重要なことが隠されている。


・・・だとしたら・・・


自分が今、
心に引っかかることは、
それを「闇」とした場合の「光」の部分を手にするための
準備ということになる。


そう考えると、
悩んでいること、気になること、
わだかまっている感情・・・
そうしたものが、これまでと違って見えてくる気がしませんか?


 


非カゼ3原則

2015年01月15日 | ●セルフコーチング

 

今年の大寒は1月20日とのこと。

一番寒い時期に向かっていますね。

 

寒さとともに、インフルエンザも流行ってきているようです。
皆さんは大丈夫でしょうか?

 

我が家では、
私を始め、家族の誰もが風邪で寝込む、といったことは、
おかげさまで、まず、ほとんどありません。 

私は、勝手に
「非カゼ3原則」を唱えています

 

ひかず、うつらず、うつさせず。 


ん? なんかまずいかも・・・と思った時は、
まず、「葛根湯」か「麻黄湯」を飲みます。

そして、左右の首の付け根のところにカイロを貼って寝ます。

だいたい、これで、ひかずにすみます。

 

麻黄湯は、かつてインフルエンザにかかった時に、
かかりつけのお医者が処方してくれたもの。
インフルエンザにも効く漢方です。


・・・なんですが、それが知れ渡ると、
材料が足りなくなるからって、
一般には知られてないけど、
と、そのお医者は言ってましたが・・・

以来、我が家では「麻黄湯」は 常備薬となりました。


さて、そんなわけで、ふだんは風邪にはあまり悩まない我が家ですが、
お正月以来、久々に夫が風邪ッピキ。

寝込むほどではないのですが、低空飛行から脱しません。

もともと西洋系の薬は好きでない人なので、
家に帰ってくると、「なんか、漢方系のものない?」と言って、
太田胃散まで飲んでます・・・

意味不明。


住宅事情により、同じ部屋で寝なくてはならない私は、
「マスクして寝てね」
って言ってるんですが、
「僕は大丈夫だから」
と言って、一切スルー。

マスクは自分のためだけのものじゃないんですけどね・・・。

 

 

以前、彼が明らかにインフルエンザにかかった時、
医者にも行かず、マスクもせずにいて、
一晩一緒の部屋で寝た私は、翌日ダウン。
彼と同じ症状に。

お医者に行くと、「インフルエンザ」と判定されました。

ですが、夫の方は、そんな状態でも、
医者にも行かず、無理やり出勤。
なんとか、その状態をつづけつつ、
やがて治してしまいました。

大したもの、といえば大したものですが、
私だけでなく、彼の職場でも次々インフルエンザの人が出た原因は、
明らかに夫なんじゃないかな、と思いました。

 

まったく、迷惑きわまりないですよね 


「ひかず、うつらず、うつさせず」と思うものの、
なかなかつらいところです・・・

仕方がないので、私自身がマスクをして寝ようと思います。


なんか納得できませんが、
人は変わらない、わけです。はい。 

ならば、自分ができることをするしかありませんね。苦笑。



皆様も、ご自愛ください。

 


大人とは?

2015年01月13日 | ●セルフコーチング

 

昨日は「成人の日」でしたね。


私の周りでも、お子さんが成人されるという方が
たくさんいらっしゃいました。
みなさん、それぞれのご家庭で成人を祝う姿が、
フェースブックなどで報告されていて、
私自身、感慨深いものがありました。

 

その中で、お一人の、先輩コーチの方のコメントに、
深く頷きました。

 

 

「大人は上手くまわりの助けを借ります。
 己の責任を果たします。
 どんな瞬間も、ベストは尽くしましたと言えるコトを重ねて欲しい。
 人は人に迷惑をかけながら生きる。
 だから、常に人の助けをしていなさい。

 ありがとうございます、すみません、こんにちは、これを忘れずに。」



ほんとに、そうだと思います。


大人は、なんでも一人でできる人のように誤解しがちだけれど、
本当の大人は、
人間は一人では生きていけない、
人は支え合い、協力し合って生きている生き物だということを知っています。
自分一人でできることは、所詮、ほんの小さなことであることを。
自分の力が、いかに小さいかを。

自分が、そういうものである、ということを認め
受け容れるところから、
本当の人生が始まるんだと思います。

それができる人が、
人に「助けてください、お願いします」
と言える人が、
本当の大人なのだと、今頃になって思います。

そして、本当の大人は、ごきげんになるコツを知っている、と。

 

 

 

さて、先輩コーチのコメントは続きます。 

 

「母は愛情だけは注いで育てたから、自信を持って歩んで行きなさい。
 何かあったら必ず助けるから。」


・・・涙が出ます。。。。



我が家も、4人のうち、成人式がまだこれから、という子は
あと一人となりました。


先輩コーチのように、「大人とは何か」を
ちゃんと伝えてきたのだろうか・・・
疑問が残ります。

 

これって、すなわち、自分が本当に大人になっているのかしら?
という疑問と、一緒でもあります・・・

 

大人に成りそこなったまま、老人へと向かっていきそうですが、
今からでも大人になって、
そして、無邪気な子どもになりたいと思っています。

 

 

全国の成人式を迎えた皆さ〜ん!

おめでとうございま〜す!

 

どうぞ、自分を愛せる大人になってくださいね 

 


 

 

 


「引き寄せ」実感中!

2015年01月12日 | ●セルフコーチング

 

このところ、ラッキーな出来事が続いています。

今年は、ピピっと来たら乗ってみる、ってことを
意識的にやってみる、
と何度かすでに書いていますが、
それをやっていると、本当に次々と
「引き寄せ」が起こるような感覚を味わうことができます。

 

たとえば、


・母に靴を買おうと思って歩き始めたら、目の前に
足のトラブル解消専門の靴屋さんがあった 

・走りたい、お風呂でゆっくりしたい・・・と思っていたら
走ってお風呂に入る練習会のメーリスを発見、翌日実行

なんてことがあったわけですが、
先日、こんなこともありました。

 

お財布。

欲しかったお財布を買ったのですが・・・

 

こんな物語(?)がありました。 笑

 

 

実はほぼ1年前の誕生日に、お財布を新調しました。 
いろいろ見たけれど、思い描いたものがなくて、
最後はネットで注文。

でも、届いてみると、やっぱり画面で見るのと実物とは違うのでした。
思っていた色とやはり違うし、
なにより、分厚い・・・

よっぽど返品しちゃおうかな、と思ったのですが、
送ってくれたお店が、それはそれは真心のこもった発送元で、
その行為についてはとても感激で。
どうも返品する気になれず、
約1年余り、共に過ごしてきました。

それなりに愛着もわいています。

 

でも、いかんせん、重い・・・

 

これまでは、気に入ったものを、ボロボロになるまで、
あるいは無くすまで(これまでは、大体このパターンでしたね 
使ってきましたが、
今回は、だんだん我慢できなくなってきました。

 

次のような持ち物がデフォルト状態の私のバッグは、
とにかく重いんです。 

スマホ、スマホ用充電コード、名刺入れ、
目薬・ハンドクリームなどの小物類ポーチ、
タオルハンカチ、ティッシュ、
メガネ&コンタクトケース、
そして、スケジュール帳(B6サイズ)のほか、薄めのノート、 
Kindleまたは紙の本、お財布 

 

軽くするには、持ち物の数を減らすか、
それぞれの重さを減らすかしかありません。

中でも、ガンはお財布だなあ、と思うにつけ、
取り替えを考えるようになりました。

 

実は1年前に探した時に、一目惚れしたお財布がありました。
その時は、ちょっと薄くて、入れたいものが入らなそう・・・
ということが心配で見送ったのですが、
軽くしたい、スリムにしたいという気持ちが強まってくるいにしたがい、
だんだんと、そのお財布が恋しくなってきたのです。

でも、すぐ買い換えるのもなあ・・・と思い、
経理の書類整理をして、システムを整えたら買いに行こう、
と、「ご褒美」化していたのです・・・。


ところが、先日たまたまネットでそのお財布を見たら、
なんと、そのブランドが新春セール中! 
おまけに、私が欲しかったものは品切れで入荷待ち状態。

ってことは、私が「ご褒美」をもらえる状況を待っていたら、
無くなるってこと

そう思ったら、とりあえず、入荷のお知らせ依頼登録だけしました。
(なくなりそう、となると、欲しくなるものですね。苦笑 

 

そんな状態だったそのお財布、
先日、出かけた時に、以前それを置いてあったお店にふと、
寄りたくなりました。
お店には、あるかも・・・

 

すると、見事に、ちゃんと、あったのです。そこに。

 

もちろん、買ってきました。
そして、使い始めを「ご褒美」にしました。笑

 

 

↑ 左が今使っているもの。右が新しく買ったもの。
 まだしばらく、ピンクを楽しみたいと思っています。
 次は、もっとスリムで違う色になるんだろうな、という予感はあります・・・ 

 

 

この一件も、「ピピっと来たら即実行」で「引き寄せ」
というパターンの例だと思いますが、
ある意味、象徴的だな、と思います。

 

お財布を、「運」にたとえるなら、
ピピっときた時点で即、買って(ゲット)しておけば、
それを自分のものにできたわけです。
でも、その時、あれが終わったら、これが済んだら、
こんな私になったら・・・みたいに我慢して、
思いにブレーキをかけてしまっていたら、
おそらく、そのお財布(運)は、どこか別の人に買われてしまい、
もう手には入らなくなっていたでしょう。 

ピピっと来たら、取りに行く。

だいじだなあ、 と思いました。

 

整ったら・・・と思っていた条件は、
なかなか整わないかもしれません。
そして、整った時には、手遅れかもしれません。

タイミング、というもの一つの大事な要素なんでしょうね。
流れに乗る、流れを作る、ということでもあると思います。 

逆に、先に手に入れると、整えたいと思っていた条件が
それに合わせて整っていくようにも思います。
 

 

やっぱり、好きなものと一緒だと、テンション上がります。
その状態だと、何かをするエネルギーもわきます。
ある意味、鼻先に人参がぶら下がっているようなものかもしれませんが、
自分でその状態を作っていく、というのは
大切な自己コントロールの一つだと思います。

 

それがなきゃ幸せな気分になれない、というのであれば、
そのものにコントロールされてしまうことになりますから、
あくまで、まずは自分自身ですけれど。 

 

 


 




 

 

 

 

  

 

 



 


自分をねぎらう

2015年01月10日 | ●セルフコーチング

 

あなたにとって、いちばん身近な人って、
どなたですか?

配偶者でしょうか?
お子さんでしょうか?
それとも、ご両親?
あるいは、恋人?
職場の人?
・・・・

 

そう問われて思い浮かぶ人は、人それぞれだと思います。
でも、誰にとっても必ずいちばん身近な人がいます。

それは、自分自身という人



誰でも、大切な人のことは、大事にするし、応援します。
その人がやりたい、ということがあれば、
できるように、最大限、できることをしてあげるでしょう。

きっとできるよ、と、声をかけるかもしれません。 
くじけそうになっていたら、頑張れ、と言うかもしれません。

あんなやつなんて、どうせ・・・
どうなっても知るもんか、
なんてことは思わないはずです。



ところが・・・。


いちばん身近で大切な人であるはずに自分には、
応援の言葉をかけることがない、
励ますこともなく、
ああ、どうせできないよなあ、
なんて思ったりする人、意外と多いのではないかな、
と思います。

かく言う私も、そういう面がありました。
いまでも、まだまだ・・・。


なんで、そうなんでしょうか?


生きていく上で身につけた、一種の知恵なのかもしれません。
自分が傷つかなくていいように、自分を守るために・・・。


でも、それって、
たとえは、小さな鳥かごの中から外を見ている
小鳥の目から見た見方かな、と思います。

しかも、その鳥かご、
格子があるのは実は360度全てじゃなくて、
小鳥のいる後ろの方は、すっかり開いていて、
小鳥はいつでもそこから抜け出すことはできるのです。

でも、小鳥はいつも同じ方ばかり見ているから、
その目には格子が必ず映っていて、
自分は「カゴの鳥」なわけです。


くるりと後ろを向けば、そこには広い世界が広がっています。

そして、その鳥かごと鳥とを、
小鳥の目ではなく、
外からの目で見てみるならば、
小鳥がどういう状況にいるかは、一目瞭然です。


そんなふうに、くるりと向きを変えたり、
あるいは、鳥かごと小鳥とを、外から眺めてみたりできると、
きっと自分自身を応援できるんじゃないかな、
そう思います。 

 

そのためには、今考えている自分(つまり思考/頭)と
行動している自分(つまり行動/体)とを
分けてしまう、というのが有効かな、と思います。


頭の自分が、体の自分に、
「おつかれさま。いつもありがとう」
「よくやってくれてるね」
「頑張ってるね」
そんな労(ねぎら)いの言葉をかけてあげると、
きっと、「自分」といういちばん身近な人は、
とても嬉しい気持ちになると思います。


体の自分に伝えるわけですから、
黙って、頭のなかでそれをしてもダメ。
ちゃんと、声に出して気持ちを込めて言ってみる。


そうすると、きっと自分のなかに、
何かあったかいものがじんわり広がるのを感じることでしょう。
頭の自分は、誰かほかの人から応援されているのと同じように、
味方の力を感じるのではないでしょうか?

自分を味方にしてみる。

それは、自分自身を客観的に見ることにもなり、

思考から生じる感情をコントロールできいない子どもから 
コントロールできる大人へと、 
自分を成長させることにもつながるのではないかな、
そう思います。 

 


畳替えをしました!

2015年01月09日 | ●セルフコーチング

 

 

今日、畳替えをしました。
正確に言うと、畳の表替えです。

告白しますが、
我が家の畳は、なんとこの家に越してきてから
恥ずかしながら一度も替えていませんでした

 

子ども4人が、柔道場よろしくドタンバタン転げ回った畳
(といっても、ほんの6枚分ですが・・・

見たこともないくらい、ボッロボロでした。 


畳替えしなくちゃなあ、しなくちゃなあ、しなくちゃなあああ・・・・
と思うこと、何年、いえ何十年!?

今度、今度、と後回しになって、
毎年の手帳更新のときには、
その年のやりたいことリストに入る常連さんでした 


昨秋からの我が家のプチリフォームに伴い、
この度やっと、本当に、替えることができました


わかっていましたが、やってしまえばなんてことないこと。

畳職人さんが、朝、うちに来て畳を諸々計測し、
なにやら印を書き込み、
畳を床(とこ)ごとまるまる持っていきます。

 

 

残された部屋は、板張りのがらんとしたものに。

 

そして、職人さんは、日中、
せっせと畳表を張り替える作業をして、
夕方、それを持ってきて、敷いてくれます。

部屋にはタンスが2棹ありましたので、
それは移動。


それだけのことです。



大変だったのは、畳を撤去した後の埃の掃除。

ほうきで掃いて、その後、掃除機をかけましたが、
畳を外すと部屋の4辺には、実はそれぞれ隙間があり、
そこに、なんとも驚くほどの埃が・・・

↑これは、畳の下にあった埃



畳替えを年末までにするつもりだったので、
その部屋だけは窓の掃除もしないでいましたので、
日中には、床とともに窓周りも掃除。 


結局、畳屋さんが行って、戻ってくるまで、
ほぼ、掃除し続けてました・・・


あ〜、疲れた〜〜〜〜〜


ですが、夕方には、畳が無事に入りました!

しかも、畳が変わっただけでなく、
部屋のすみずみまで埃をとったので、

なんだか、部屋の垢落しをした気分で、す〜っきり!


 


青畳、という表現がありますが、
ほんとに、青いな、と思いました。
そして、イグサの匂いが、なんともいい気持ち。



ずーっとずーっと懸案だったことを終えたら、
夕方には、なんだか急に疲れが出てきました。

それって、今日だけのものではなく、
この何年もの間、「ああ、やらなきゃ」と思うたびに
心に溜め込んでいた
心を疲弊させる「疲れ」じゃないか、と思いました。


こんなに無駄に疲れをためていたんだ、と思うと、
ほんと、バカみたいですね。




今年、「マイ・ルール」を新たに設定しましたが、 
その中に、


「するべきこと、したいこと、したほうがよいことをする」
 

というものを入れました。

 

淡々と実行していきたいと思います。
 

 

 


セレンディピティに乗ってみる

2015年01月07日 | ●セルフコーチング

 

 

今日は母と、母のパスポートを受け取りに行きました。
来月のハワイ旅行には、
80過ぎの母も一緒に行くのです。

母にとっては、生まれて初めての海外旅行です


ただ、足が弱い母のこと・・・
昨年の夏に一緒に行った旅行では、
雨上がりの橋の上で滑って転び、
腕を骨折してしまいました 

今回も、その点が心配です。


それで、ともかく、彼女がしっかり歩けることを考えています。


 

歩く、といえば、やはり靴。

母は、これまであまり、靴には注意を払ってきませんでした。
ただただ、足入れの感覚が楽なもの、という基準でしか
選んでこなかったのです。

そうなると、靴が足をホールドする力は弱く、
足自身が無駄に頑張っていることになるでしょう。 


キチンとした、歩くための機靴性が高い靴を履いてほしい、
靴をなんとかしなくちゃなあ、
そう思いました。

 

そこで、
パスポートを受け取り、二人でランチをした後、
「靴屋さんに行こう」と言って
そのビルを出ました。

すると、出たところに
たまたま、靴屋さんがありました。
しかも、普通の靴屋さんではなく、
歩くことの悩みを解決することをしていた人が、
結果として始めた、という靴屋さんでした。

さらに、その靴屋さん、
移転のため、今度の週末で店じまいをするところだというのです。 


まるで物語のような展開です。


そして、そこには、母の足にちょうどよい、という靴がありました。
金額的には、普段、母が買うものの、
何倍もするものでした。

確かに、安い買い物ではありません。
ですが、
足が痛い痛い、といって、
なんども整体などに通っていることを思えば、
靴1足で、それがなくなるのだとしたら、
決して高いとは言えません。

もちろん、靴一足で治るかどうかはわかりませんが・・・


ただ、このところずっと足を引きずって歩いていた母ですが、
その靴をはくと、引きずらなくても歩けるようになりました


この先、靴だけで彼女の足がよくなるかどうかは
まだわかりません。
ですが、今回の出会いは、本当に、引き寄せられたようなものだった、
と思います。


もちろん、買って、母にプレゼントしました






今年、私が意識し、実行しようとしていることにいくつかのものがありますが、
その中には、「直感にしたがう」というものがあります。

ピピっと来たら、躊躇せず、やってみる、乗ってみる、
考えないで、とにかく実行する、
ということです。


今回の靴の件は、それを実行したものでした。



驚くようなタイミングのよい出会い、
セレンディピティ、というものは、
実は日常に転がっています。

多分それは、誰にも同様に起きているのではないかと思います。

けれど、それをそうだ、と思って受け止めるかどうか、
乗るかどうか、
そこが、その後の展開を分けるんじゃないかな、と思います。


私も、これまでは、
「これって、そうだな」と思いながら、
それでも、乗っていけない何かがありました。
乗っていくことを、自分に許可していなかったんでしょうね。


今年は、そうだと思えば、乗ってみよう、
そう思っています。

すると、面白いもので、
やってみると、
「自分はついてる」
そんなふうに思えてきます。

逆に、そうかも、と思いながら
それに乗っていけないと、
その度に、自分で自分に対する信頼感
すなわち「自信」を失っていくように思います。
目には見えないのですが、
きっと、その度にエネルギーが落ちていくのだと思います。 



ピピっと来たら、きっとそれは神様からのメッセージ。
素直に受け止めて、
これってこういうことだよね、と思う行動をしてみる。
今年はどんどん実行してみたいと思います。



あなたも、ぜひ 



 

 







 

 


今年についての自分への質問

2015年01月06日 | ●セルフコーチング

 

 

突然ですが、
これを読んでくださっているあなたは、
今年、どこに行きたいですか?

 

私は、実は2月にハワイに行きます。
ハワイ島の、マウナ・ラニに1週間滞在する予定です

昨年内はバタバタして、
ガイドブックを読むなんてことも、
何もできませんでしたので、
今更ながら、読み始めました。


ハワイは、昔、トランジットで空港に降りたことがあるだけ。
滞在するのは、実は今回が初めてです。


『地球の歩き方』のハワイ編を見ていたら、
眠っていた血が騒ぎ出しました。 

 

元来、旅行は大好きで、
学生時代はニュージーランドやアメリカ、ベネスエラ、コロンビア、
インド・・・などを旅したものですが、
やはり子育て中は、ほとんど出られず、
海外旅行はおろか、国内旅行も、あまりできませんでした。 

旅行にはなかなか行けない、
そんな思いが染み付いてしまっていましたが、
もっと行きたい! 
そんな忘れていた思いが頭をもたげました。

 

 

そう、今年をどうするか、
これからをどうするか・・・
考えるときに、「チャレンジすること」
つまり、できそうなことを考えるのではなく、
自分の枠を出ることを考える、
そしてそれに向かって行こうとすることが大事、
と、昨日書きましたが、
まさにそれ。

 

行けるか行けないか、じゃなく、
どこに行きたいかを考えてみる。
すると、そのために、思考が動き出します。

 

自分に、楽しい質問を投げかけてみる。
それをやってみること。
新年はそれにふさわしい時ですね。 

 

 

今年、どこに行ってみたいですか?


今年、これができたら最高!っていうものは何ですか?


今年、何を始めますか?


今年、何をやめますか?

 

今年、新しくするものは何ですか?

 

今年、自分にプレゼントしたいものは何ですか?

 

今年のクリスマス、あなたにクリスマスカードを送るとしたら、
なんて書いて欲しいですか?

 

 

・・・

質問は、たくさん湧いてきます。

そして、質問の仕方一つで、
思考の行き先が変わります。 


何を思おうと、考えようと、自由です。

誰も止めませんし、言わなければ誰にもわかりません。

年の始めくらい、思い切り、
やりたい思いの翼を広げ、羽ばたかせてみましょう。


ワクワク感のスイッチを入れて、
今年を快調に滑り出しましょう。



よかったら、前述の質問に答えてみてくださいね。