ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

目標達成の3つのポイント (2)

2015年01月05日 | ●セルフコーチング

 

 昨日は、目標達成の3つのポイントについて書きました。


で、自分自身、それができてなかったなあ、
ということに改めて気づいたのですが、
どう気づいたか、ということについて。

 

それは・・・


「具体的でなければいけない」という思いから、
何をするか、ということばかりに気を取られ、
ポイント3(何をするか)ばかりを考えていたかも・・・
そして、肝心のポイント1(ビジョンを明確に描く)と
2(具体的な目標を設定する)が甘かったかも・・・
ということです。

これって、裏を返せば、
こうしたい、こうなりたい、ということを宣言することに
躊躇があった、
つまり自信がなかった、
ということでもあるな、と思います。

私の場合、コミットしたからにはやりきらないとイヤ、
という性分もあるものだから、
決める、ということは、かなり重いものを背負うことになります。

・・・
そう書いて、思いましたが、
そう、「重いものを背負う」という捉え方をしちゃうんですね、私。


それもまた、裏を返せば、
失敗しちゃいけない失敗はいけない失敗したくない、
だから、コミットしない
という図式があるんですよネ・・・ 苦笑
やらなければ、失敗もしないわけですから。

 

 

そんなわけで、何をするか、具体的に決めるのだけれど、
それでもって何をしたいのか、達成するのか、
そこが曖昧なものだから、
結局、モチベーションが高まらずに、
やろうとする意欲も、途中で消えていく・・・
そんなことが起きるわけです。


たとえば、健康面では、毎年
週2回は走る、みたいなことを決めてみるわけですが、
結局、去年は実行できませんでした。

予定外に忙しいことが入ってしまい、
それに振り回された1年でしたが、
そんなことで、根こそぎぶっ飛んじゃうわけです・・・


でも、初めてフルマラソンを走ることにした2010年は、
とにかく、週2回走ることは2月に決めてから11月の末まで、
本当の例外を除いては、きっちり実行しました。

それは、目標が明確だったから。
そして、その奥には、
「完走したい」ではなく 
「コミットしたことを果たさないのは嫌だ」
という、不快を避けたい思いが働いていました。
(この部分については、こちらをご参照ください) 


やはり、プロセスよりも、
どうなりたいかの最終形が明確なことが、 
ずっと大事だなあ、と改めて思います。


そして、
大事なのは、
目標を達成すること、ではなく、
達成しようと行動し続けること、
なんでした・・・。 

 

目標は、あくまで目指し続けるためのものなんですね。

 

わかっているつもりだったのに、
やはり、いざってときには、
安全なゾーンに止まっていようとする本能が働いちゃいますね・・・。

 

前進するには、自分のコンフォートゾーンを踏み出すこと。
チャレンジ、というのは、そのことを言うのだと思います。

 

 

う〜ん。

 

やり直し

 

 


目標達成の3つのポイント (1)

2015年01月04日 | ●セルフコーチング

 

 

新しい年。

新しい手帳に、決まって書くことがあります。

それは、その年の目標。


今年も三が日の間に考えたり、
マインドマップ的なものを書いたりしつつ、
まとめて、決めたものがありますが、
改めてそれを眺めてみて、気づいたことがあります。


それは、 自分の決め方が、
とても不完全だったなあ、ということです。 
「目標」と思っていたものは、
ただのキャッチコピーに過ぎなかったと思うのです。


目標を設定するには、次のように
3つのポイントがあると思います。



ポイント その1:どうなりたいか、ビジョンを持つ

これは、別の言い方をすると、
「最終形のイメージを描く」ということです。

旅にたとえるならば、
その旅で何を手に入れたいのか、
旅を終えたら自分はどうなっていたいのか、
それを考えるということです

イメージというのはとても強力で、
それがあると、顕在意識のみならず、
潜在意識も、そのイメージを求めて、
それを実現しようとして働くと言われます。 

また、イメージが描けるということは、
かなり明確にありたい姿を思い描けている、
ということにもなります。

ですから、ともかくも、それだけをいつも思い描ければ、
そこまでのプロセスを事細かに決められなくとも、
自然とそれを実現する方向に行くと言われます。 



ポイント その2:何ができたら、それを実現したことになるのか、
          具体的な目標を設定する

イメージが大事、なのですが、
イメージを言葉化することもまた大事です。

これは、言い換えると、
自分が目指す、ありたい状態は、
どうなったらそれが実現したと言えるのか、
誰が見てもそれが実現したかどうかがわかるように、
言葉としても明確にしておく、ということです。

言葉として明確にする、というのは、
たとえば、いつ、どれくらい、何を達成すればいいのか、
ということを決めることでもあります。

この部分が「目標」を決めるということ。
「目標」は、「めじるし」でもあります。
抽象的でなく、具体的で目に見えること。

イメージは自分の頭にしかありませんが、
言葉にしたり、あるいは実際に絵に描いて、 
目に見えて、人にもわかるものにすること。

旅でたとえるなら、どこに行くのか、
目的地を決めるということです

たとえば、「パリに行く」と言えば、
その人がしようとしていることは誰にでもわかりますし、
パリに行ったのかどうかも、明らかにわかります。


実際に達成できたかどうか、はっきりできた方が気持ちがいいですし、
自分の潜在意識も納得感を持てますね。
 



ポイント その3: 目標達成のために、何をするか決める

ポイント1で、ビジョンが描ければ、プロセスは決めなくてもいい、
と書きましたが、
それは、「決められないのなら」決めなくてもいい、ということ。
そのプロセスが描けるならば、描くに越したことはありません。
ただ、それに固執しすぎない、
流れに身をまかせる、ということも大切、という条件つきです。

で、ビジョンと目標が決まったら、
やはり、その達成のために何をするのか、
という具体的にやることも、
一応は決めるわけです。

そうしないと、今日から、明日から、
何をしていいかわからない、
ということになります。

旅にたとえると、コースを決めたり、
チケットの手配をしたりする、ということです。 

 

 

 

・・・さて、
私自身、何が不完全だったのか、を書こうと思いましたが、
長くなったので、続きはまた明日に。。。

 

 

 

 


2種類のモチベーションを活用する

2015年01月03日 | ●セルフコーチング

 

前回、「仕組み化」ということを書きましたが・・・(こちら) 

仕組み化するにしても、
根本のところで、
「なぜ、それをやりたいのか?」
という気持ちって重要です。



それが強ければ、行動が持続します。

その気持ちのことについて、ちょっと書いてみます。

 

 

人の行動は、つまるところ「快/不快」で決まると言われます。
そして、その強さは、
「快」をもとめるより「不快」を避ける気持ちの方が強い、
と言われます。

「こうなりたい」という気持ちより、
「こうなるのはいやだ」という気持ちの方が 、
動機としては強いということのようです。

 

たとえば、
「〜のように速く走りたい」といった気持ちより、
「ライオンに食べられないように、速く逃げたい!」
という気持ちで走る方が、速く走れる、ということです。 



思えば、私自身、
かつてトライアスロンのリレーに出ることになり、
沼で1.5キロを泳ぐことになった時も、
練習したのは、1番を取りたいとか、そんな気持ちではなく、
かなり本気で、「溺れて死にたくない!」と思ったからです。苦笑 

あまりにも、できないことだったんですね。
どうしたらいいか、見当もつかない感じで
こんな感じ、という体感覚が皆無なわけです。
だから、恐怖がありました。
そこから逃れるために、練習した、というわけです。


 

自分を変えたい、自己変革したい、
といった気持ちを持っている場合も、
「こうなりたい」という気持ちより、
「こうなりたくない!」という気持ちからの方が、
実際の行動に結びつく確率は高いのかも、
なんて、思います。 


トイレに行きたい! と思うときは
トイレが好きだからじゃなく、
トイレじゃない場所でお漏らししてしまうのはありえない!
と思うからですよね  


そういう意味では、
ああ、もうダメだ! ここにいるのはいやだ!
このままでは自分がダメになる! 
といった思いを持つこと、
ある意味、追い詰められることは、
バネをぐんと縮めているようなもので、
次のステージへの脱皮のエネルギーを
貯めているのに等しいのかもしれません。



「〜したくない」というネガティブ系の思いは、
持ってはいけないように誤解されることもありますが、
それも人間にとっては、当たり前の一つの大切な気持ちです。
それをなかったかのようにしようとすることこそ、
してはいけないことかもしれません。
それと正面から向き合うこと、受け止めることこそ必要です。 


ただ、何かを避けるエネルギーは、
どこかから抜け出すには有用ですが、
いつまでもそれをエネルギー源として動くのは大変かもしれません。

ライオンには食べられたくない!
なのにこのまま北に行くとライオンに出会っちゃう・・・
と気づいて、南に走る。
ふ〜、助かった、と思ってとぼとぼ歩いて行くと
今度はそのまま行くと、トラに出会うことになる。
それで、またそこから逃げる・・・

そうした状況では、逃げ足は速いかもしれませんが、
いつまでも休まらないですよね。

そんなことを繰り返していないで、もっと別の
安全でのびのび暮らせる場所に行ったほうがいいですよね。


そうなると、どこなら安全でのびのびできるか、
考える必要が出てきます。

そして、そうしたどこかを目的地に設定して、
そこに向かって出発する、ということになるかと思います。 


これって、
人生での様々な選択を、他人任せにせず、
自分自身で選んで決める、
自分軸を持つ、ということにもつながります。 



向かおうとする場所が魅力的であればあるほど、
そこに行きたい気持ちは強まります。

そのとき、その場所が一度行ったことがあったり、
行ったことがある場所からの連想が働く、
体感覚として感じられる場所だと、
さらにモチベーションは強まるのではないかと思います。 


 


「〜したい」気持ち
「〜したくない」気持ち
どちらも大きなモチベーションになります。

効果的に使っていきたいですね。




 

 

 


今年という旅を計画する

2015年01月02日 | ●セルフコーチング

 

年のはじめは、いろいろな決意をする時期ですね。

私も元旦、
地元の氏神様周りをして、初詣をしつつ
走り初めをしましたが、
いつもより、走っている人たちが多いなあ、と感じました。
おそらく皆さん、
今年こそ「ランニングをするぞ」というふうに決意をして、
走り初めをしていたのではないかな、と思いました。

 



今年をどうデザインするか、何にフォーカスするのか、
といったことを、
12月からずっと考えていましたので、
おおよその方向はできていますが、
それを具体的に、明確にして、
こうしたいな、という希望を
こうする、という計画に、置き換える作業を
このお正月の間にしたいと思っています。



何かを成し遂げるには、
結局のところ、最後は行動するしかありません。

どんなに考えても、それは夢のなかでどこかに行っているようなもので、
目を覚ましてみると、まだベッドの中だった、
というふうに、
実際に目的地には到達しません。


どこかに行きたければ、
どこに行くかをはっきり決めて、
そこまでどんな経路で行くのか、
何で行くのか、
列車なのか、船なのか飛行機なのか、
何時の便にするのか、
といったことを決めて、 
予約をしたり、必要な準備をしたりする必要があります。

もちろん、行き当たりばったりの旅、というのも
いいと思いますし、私はけっこう好きなのですが(笑)、
それは時間がたっぷりあれば、という話。

持ち時間が少なかったり、
行きたい明確な場所がさらにたくさんあるならば、
目的地には最短で行きたいもの。

 

そんな場合には、
やっぱり、あらかじめ計画を立てるのがいいと思います。


そうでなくても、計画はあくまで計画で、
必ず、修正が必要になってくるのですから。


 

で、目的地も、成田からダイレクト便で、
飛行機に1回乗ればそれで着く、というところならいいのですが、
なかなかそうは行かなくて、
乗り換えが必要だったり、バス移動が必要だったり。


つまり、取らなくてはならない行動が、
1回えいやっ!と動けばいいことで、
それで目的が達成されるのであればいいのですが、
ほとんどの場合は、
たった1回ではなく、毎日のように何度も何度も繰り返し、
少しずつ進めていかなくてはならないものです。


どこかで居心地のいい場所があって、
多くの誘惑があって、
ああ、もうここにいてもいいや、と思えば、
当初の目的地には行かずに終わるわけです。

 

となると、
いかに目的地までいく意思を持ち続けるかどうか、
結局は、その行動の積み重ねができるかどうかが、
重要になりますね。


つまり、
目的達成は、そこに至るまでの行動を
いかに習慣化できるかにかかっています。

そして、習慣化するには、そうできる「仕組み」を作ることが
必要になります。


フルマラソンを完走しようと思えば、
それなりに練習が必要です。
その練習の時間やモチベーションをどう作り出すか、
いかに日常生活に組み込むか、ということ
つまり、仕組み化がポイントになります。 


仕組みができて、それが生活の一部になってしまえば、
かなりこっちのものです。

 



とはいえ、やはり状況は変化します。
日常の生活に変化が起きます。
人生の優先順位が変わります。

そうなると、仕組みにも変更が必要になります。




・・・ってなわけで、仕組みを見直したり、
優先順位を入れ替えたりするわけですね。

 

家や職場の大掃除は年末にやりますが、
気持ちと頭の棚卸しと大掃除と整理整頓、
それを年始にやる、そんなイメージかもしれません。
 


まずは、仕組み化。
そして仕組みの見直し。


やってなかった、という方は、今年、
やってみませんか? 

 

 

 


今にいる

2014年12月27日 | ●セルフコーチング

 

今日は12月27日、土曜日。

今年は多くの方が、昨日が仕事納めだったのではないでしょうか?
今年も、皆さま、それぞれの場で、
本当にお疲れ様でした


今年も飛び飛びながら、こうして自分が書いてきたものを
改めて振り返ってみると、
その時々で自分がどうしたいと思っているのか、
もがいているのか、
それがよくわかります。苦笑

 

そして、
私が言いたいのは、
言い換えると、自分が自分に言い聞かせているのは、
結局はこういうことだなと思いました。 

 

それは、

”ごきげんで毎日を過ごすためのポイントは、
ただひとつ、

「今にいる」

それに尽きる” ということ。

 そのために、「練習」しているわけです。
ある意味、修行かもしれません。 

 

 

今にいる。
過去を悔やむでもなく、未練がましく思うのでもなく
未来を心配するでもなく、過度に期待するでもなく。


なぜなら、それらは思考(またの名を「エゴ」)というものが
作り出した、妄想に過ぎないから。
本当にあるのは、「今」だけだからです。

 

でも、人間ですから、つい、
心がさまよい出ます。
そうして、
怒りたくなる。
悲しみたくなる。
妬みたくなる。
わかってほしいと思う。
相手に変わってほしいと思う。
過去を変えたくなる。


そう思ったとたん、心は「今」を抜け出して、
過去や未来を、頭の中で幽霊のように、フラフラと
さまよい始めます。 

理性では
「過去と他人は変えられない。
 変えられるのは、未来と自分」
そうわかっているのに、 
感情はそれを受け入れられないのですね。


解決策は、執着を手放すこと。
またの名を断捨離。 

握った手を開くように、ただ、手放す。


それもわかっています。理性では。

でも、なかなかできない。
なぜなら、人には、思考と感情があるから。 

なので、日々、練習。

 

ただ、それは、
頭だけじゃ、できないんだと思います。

手を開くのは、からだの仕事。 
またの名を、行動。 

 

頭と体、左脳と右脳、
そうしたものが繋がって一致した時、
両方の脳を結ぶ「脳梁」から繋がっているとされる腸(腑)に
ピピッと何かが落ちていく。

それが「腑に落ちる」ということだと言います。

すると、人は納得して動けるようになります。

 

そうやって、
頭(思考)と体(行動)、そして心(感情)が一致したとき、
人は「今にいる」ことができるのではないか、
そう思います。

逆に、今にいるとき、人は思考と感情と行動が一致しているのかもしれません。



そういえば、嬉しい時、感動した時、幸せだな〜と思う時、
多分、思考も感情も体も、その瞬間を思い切り味わっているのではないでしょうか。



今年の私のテーマは「一致感」でした。
ずいぶん一致してきたなあ、と感じます。

でも、まだまだ、いける余地がありありです。

来年は「行動」の量を増やしていきたいな、と思っています。



これを読んでくださっている皆様の今年は、
どんな年だったのでしょうか?

今年を振り返りながら、
来年をどうするか、考えながら、
2014年の残り4日をお過ごしください。 

 



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江戸の人々の生き方って素敵。

2014年12月27日 | ●セルフコーチング

 

昨日は、江戸の文化を研究している方と
話をすることがありました。

江戸という時代は、
人が生きていく上での多くの点で、
ある意味、理想的な時代でもあったということは
かねがね見聞きしてきました。

たとえば、暮らし方がエコでサステナビリティ(持続可能性)に富むものだったり、
「江戸しぐさ」に代表されるように、
人々の配慮や気遣いが行き届いていたり。

そこで花開いた文化も、
たとえば、浮世絵などにみられるように、
世界的に見ても高度で豊かなものだったり。

 

で。
今日、その方との話の中で、そんな江戸の人々のあり方を、
改めて素敵だな、と思いました。

どこが「素敵」なのかと言えば、 
江戸の人々の多くは、「今」に生きていた、
ということです。 



その方の今日のお話のなかに、
職人さんたちが連係プレイで仕事をしていた、ということがありました。
今なら工場で機械がやることを、
人がやっていたんですね。 

浮世絵なんかも、絵師が絵柄を描いた後は、
彫り師や刷り師がそれぞれの役割を分担して
あの芸術的な作品を作り上げていました。



そんなふうに、たとえば手ぬぐいを作るにしても、
餅つきで、杵で餅をつく人と、
その餅を返す人との呼吸とリズムが大切なように、
職人たちの間には、見えない阿吽の呼吸があったと言います。


おそらく、その手際は、まさにプロであり、
芸術的な域まで高められていたんだろうと想像します。


とは言え。
人間ですから、誰にでも失敗はあります。
そして、そんな連係プレーの手仕事のなかで、なにか失敗をすると
その影響はいやでも全体に及びます。

一度に、せっかくの手ぬぐいが20本くらい、
おじゃんになったりしたようです。


そんなとき。
江戸の職人さんがしたことは、
「ああ、俺ってダメなやつ」
なんて言って自分にダメ出しをしたり、 落ち込んだりすることでは
ありませんでした。


何をしたかというと、
彼らは『にっ』って笑って、ただそれだけだったと言います。

後悔したり、落ち込んだり、先を心配したりしない。
そんなことをしても全体の生産性にいい影響があるわけない、
ということを彼等は知っていたわけです。
 

そして、そうした失敗は、誰にでも起こり得ることも
十分に承知していたのです。

まさに「おたがいさま」

人間なんて、だれもみな、完璧でなんてありえません。
失敗もするし、弱い部分もたくさんある。
でも、それをデフォルトとして
あなたも、あなたも、そして自分も、そうなんだ、
と、あるがままに認めるところからスタートしているんですね。 


だから、許し合える。
そして、無駄に落ち込まない。


その時、その時が真剣勝負だったということもあります。

多くの人は、貧しかった。
その日その日を生きることに一生懸命。
娯楽だって、今みたいにあったわけじゃない。

だからこそ、今あることを最大限に楽しんで、
過去を思い悩んだり、
未来を心配したりすることなく、
その時その時を懸命に生きていた、と。


そんな人間たちがつくる社会は、
「人情」が通っていたのも頷けます。


もちろん、江戸の時代が桃源郷かといえば、
そんなこともないでしょう。
たくさんの苦しみや、現実の厳しさがあったことは当然です。


でも。

なんか、江戸の人々の生きる姿勢、
素敵だなあって、そう思いました。 


 

 

 


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生きている喜びを感じる瞬間

2014年11月28日 | ●セルフコーチング

 

突然ですが、私がこれまでに
「今まででいちばん嬉しかった瞬間は?」みたいなことを聞かれて
いつも思い出すのは、
大学生になって、高校時代の友人たちと
オペラを上演した時のことでした。

何か目的があったわけでもなく、
ただ、自分たちがやりたいからやった、というそれだけ。

赤字を出すわけにはいかなかったので、
そこは考えて、組織づくりに時間をかけ、
設立趣意書なんかも作って配ったりしてました・・・

赤字は出さなかったけれど、儲けなくてもよかったし、
自由になる時間があったし・・・
状況や気持ち、そんな一切合切を含めて、
「若かったなあ」と思います。
だから、できた。

 

ただ、その時の気持ちを知ってしまうと、
それが自分の100%状態のように思えて、
そうじゃないと生きてる気がしない、
みたいに思ってしまっていたんですね。 どっか・・・

でも現実の毎日は、そうしたスペシャルな瞬間の連続
というわけにもいきませんから、
スペシャルな、麻薬のような時にまためぐり合えることを夢見つつ、
毎日を送っている。
なので、ふだんの毎日は、あまりにも色あせて見える、
正直、そんな感じを持っていたかもしれません。 

 

でね。

その瞬間て何だったのか、ってことを、
ふと、思ったんですね。

そうすると、その時、
その「100%生きてる!」みたいに感じられた瞬間は、
自分の体を使って、魂の喜びを感じている、
そんな瞬間だったのではないか、と思うのです。

 

多くの場合、考えているだけで、体は
たとえば椅子に座りっぱなしだったりします。
そして、思考だけが過去や未来に飛んでいます。
でも、体は使ってないんです。
せいぜいPCを打つ指先くらい。

 

逆のほうがいいですね。
たとえばスポーツしている時。 
体がどんどん動いています。
もちろん思考も使ったりするのですが、
思考が追い出されて、体とマインドというのか、感覚だけになると、
プレイがうまくいきます。

 会心のワンショット、キックなどのときのことは、
選手はよく覚えていなかったりします。
そんな瞬間を「ゾーン」なんて言いますね。

 

結局、体を使うことで、体という五感装置を通して、
痛みやつらさ、あるいは快感を感じることができ、
そうした快・不快を感じることができるから、
喜怒哀楽などの感情を、感じることができる。

たぶん、快か不快、ポジティブかネガティブ、
どちらかだけしか知らないと、もう片方も知ることができません。

そして、生きている喜びを知る。 

だから、
生きている喜びを知る瞬間というのは、
体も、心も、魂も、すべてが一致しているんじゃないかな、
そう思います。

それを「今にいる」という表現で表したりしますね。  

なので、今にいることができれば、
日々、いつでも、「生きている喜び」を感じることができる、
そういうことになりますね。  

さて、今日も「今」に精一杯、全力投球しよっと

 


(c) .foto project

 



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感情の種類

2014年11月23日 | ●セルフコーチング

 

いま、たまたま片づけモノの途中です。

で、その途中で出てきた本を
例によってついつい読んでしまっていたら
(私が買った本じゃなかったのですが、タイトルにひかれて)
感情にはどんな種類があるか、ということが書いてありました。 

そう言えば、感情を大きく二つに分けて
ポジティブな感情、ネガティブな感情、などと言ったり、
「喜怒哀楽」 なんて言葉を使ったりしてますが、
その中には何があるか、まとめたことなかったなあ・・・


ってことで、

備忘録がてら、書いておくことにしました。


その1:ダーウィンの言った感情(7つ)

幸福、驚き、恐怖、怒り、悲しみ、嫌悪、軽蔑 

※チャールズ・ダーウィン(1809.2.12-1882.4.19)は、
『進化論』で有名なイギリスの生物学者・地質学者


その2:エクマン(6つ)

幸福、驚き、恐怖、怒り、悲しみ、嫌悪

※ポール・エクマン(1934-)は、感情と表情との研究で有名な
 アメリカの心理学者 


ちなみに、「幸福」は「喜び」と訳している場合もあります。
原語は、"happiness"のようです。 

 

いずれにしろ、面白いのは、
いわゆるポジティブな感情は「幸福」一つだけで、
あとはいわゆるネガティブ感情、ということ。。。

 

 

ちなみに、エクマンは、上記の感情を表情から分類したようですが、
1990年代になってから、表情から読み取れる感情として、
次のものを追加しているらしいです。

おもしろさ
軽蔑
満足
困惑
興奮
罪悪感
功績に基づく自負心
安心
納得感
喜び

 

これだと、もう少し、ポジティブ感情が増えますね。

 

 

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日産スタジアム見学で感激したこと

2014年11月22日 | ●セルフコーチング

 

昨日、日産スタジアムを見学する機会をいただきました。

正直、何の期待もしていなくて、
スタジアムの何を見るんだろう? と思っていたのですが、
これが、けっこうぐっと来ました。

ある程度お歳をめされたボランティアの方が、
一緒について歩いて、いろいろと説明してくださるのですが、
スタジアムにある、モニュメントの説明だとか、
写真の説明だとか、部屋の説明だとか、
教えていただかないとわからない、その裏の思いやドラマを
知ることができました。

選手のロッカールーム、シャワー室、ロイヤルボックス席なんかを
実際に見せていただいたり、
しかも、そこに、ワールドカップのときの選手のユニフォームが
それらしくかけてあったり。 

 

(ふだん、ホームのチームが使うときは、蓋がしてあるんだとか)


ゴールのサイズやPKのキック位置とゴールとの関係を、
蹴る選手や、キーパーになって体験できる部屋で、
その感覚を体験したり。

いろいろとシンプルに感激しました。
サッカー少年とかには、本当にたまらないだろうな、
と思いました。


自分でも驚くくらいジーンとしたのは、
選手が入場する場面を、実際に音楽をかけてもらって体験できたときでした。

胸がいやでも高鳴ってしまう音楽に合わせ、階段を上がり、
ひろ〜いコートと7万人入るという観客席が見えたときには、
本当に特別な気分になりました 


あんな場所でプレイができる状況になったとしたら、
もう、自分でそれをつかんだというより、
なんだか大きな力によって、そこにいさせてもらうことになった、
そんなふうに感じてしまうんじゃないかな、と思いました。


そして私だったら、
自分の背に、チームだとか、日本だとかを感じてしまうなあ・・・

その人たちのために頑張りたい、と思ってしまう。笑

で、その時、思うようにプレイができればいいのだけれど、
できない、あるいは期待に応えられない、
そんなふうになると、きっととても苦しいんだろうな、
と思いました。

 

だからこそ、スポーツ選手は、本当に、通常とは違う
一線を越えた心理状態で、自分を鍛えていくのかもしれないな、
そんなことを思いました。

そのあたりは、人それぞれなのだと思いますが


 

感動的なシーンと、その感覚を自分の体と脳裏に刻むこと
そしてそれをいつでも思い出せて、自分のエネルギー源とすること、
それを「アンカリング」と言いますが、

それって、すごく大切だな、
と改めて実感・体感した日でした。 

 


判断と決断

2014年11月20日 | ●セルフコーチング

 

何かを決める時、どんなふうにしていますか?

 

たとえば、ものを買う時。

私はいま、家をちょっとリフォームしたこともあり、
家具を一部、買い替えているのですが、
どんなダイニングテーブルを買うか、考え中。
ちょうど昨夜、どれにするか決めたところなのですが……

その過程では、思えばずいぶんと紆余曲折がありました。
最初に考えていたものと、いまは全然違うものになりました。
そのプロセスを振り返ってみると、
思考と直感を織り交ぜて使っているなあ、と思います。
そして、偶然(という名の必然)も、大きく関わっています。

具体的には、長方形のスペースに、
これまでそうだったように、平行する形で
長方形の大きなテーブルを置くつもりで探していたのですが、
いま、仮置きしているテーブルが小さいため、
そのスペースに水平な方向で置いてみたら、
これがすごくいい感じだったのです。

そこで、そのスペースに水平状態でテーブルを置くことにしました。
となると、探すもののサイズも、大きく変わることになりました。

 

そんな感じに、
はじめは、あれこれと条件からしぼっていくことは多いでしょう。
サイズだとか、色だとか、質だとか。

それをある程度しぼっていくものの、
必ずしもそれにドンピシャリと、100%一致するものがあるとは限りません。
そしてまた、条件的にはほぼクリアされているはずなんだけど、
どうも今ひとつピンと来るものがない、
ということもあります。
その逆で、条件からすると一つだけ合わないんだけれど、
グッと来てしまったり。

そんなとき、偶然(という名の必然)が大きな役割を果たしたりします。

 

私の場合、最終的には、直感で決めます。

そしてこれまでの経験では、
思考で「判断」したものより、直感で「決断」したもののほうが、
自分にとっての「正解」だった、と感じてきました。

 

 

ところで。
モノの場合はそんな感じで、
もし、やっぱり違った…となれば、買い替えることも可能ですが、
これが、もっと形のない、
仕事の選択だったり、事柄となると、
どうでしょう……?

 


先日、ある方に、私が進むべき方向性について「迷っています」と
お話する機会がありました。
すると、その方は、私の話を聞いて

「あなたがしようとしているのは、“判断”ですね。
 “決断” には、根拠はありません」

と言われました。

なるほど〜、と思った次第です……

 

 

人生の中での大きなことを決めようとするときは、やはり怖さが伴います。
だから、少しでも、「大丈夫」という確証を集めたい。
それで、あれこれと探そうとします。
行けそうな根拠。
無理だと納得したい根拠。

でも、「正解」なんてないんです。
答えがないものに、あたかも正解があるかのようにして
解法を探そうとしても、
それは所詮、無理な話です。 

それをやろうとすると、いつまでも終わりになりません。
だから、迷うんですね。

実は、モノも、コトも、同じなのでしょう。
迷ったら、直感に従って、買ってみる。
「しまった! 違った」と思ったら、買い替える。

この時、買い替える、つまり古いものを捨てられない、
手放せない、というのが、
つまり「捨てられない」ということなんですね。

捨てられない、というのは、つまり、
自分が失敗したということを認めたくない、ということ、
と断捨離の専門家に言われたことがあります。
至極、納得。

 

コトも同じで、
迷ったら、直感に従って、やってみる。
そして、
「しまった! 違った」と思ったら、やり直す。

やり直し、本当にきかないんでしょうか?

 

おそらく、命がなくなったりでもしない限り、
本当はやり直しがきかない、ということはないんだろうな、
と思います。

 

迷っていても、正解はわからない。

私の好きな言葉に、
「正解は、決めたあとの行動で決まる」
というものがあります。

大先輩コーチに言われた言葉で、
このブログにも何度か登場したかもしれません。

この言葉は、
その決断が正解となるように、行動しよう、
という意味だと思いますが、
もう一つ、
正解は、とにかく一度決めて、やってみないとわからない、
そんな意味もあるんだな、と思います。



確かに、「判断」は大事。
でも、「決断」は もっと大事かも。


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プライドとエゴ

2014年10月21日 | ●セルフコーチング

 

 

何かをしたいと思いながら、
なかなかそれを始められないこと、ありますよね。

阻んでいる理由はいろいろあるでしょう。
でも、要するに、突き詰めれば、
その理由は、本人の気持ち。
具体的に言えば、怖れ、とは言えないでしょうか。

失敗したらどうしよう?
人になんて言われるだろう?
生活ができなくなったらどうしよう?
何が起きるかわからない。。。

怖い。


怖さは、ある意味、生物として正常な反応です。
だって、何の警戒心もなく、ノーテンキにいつでも突き進んでいたら、
崖から落ちるかもしれないし、
天敵に食べられてしまうかもしれないから。

命を守るために、生物には
「ホメオスタシス」(恒常性)というものがあると言われます。
今ある状態を維持しようとする機能です。
それがあるから、体温を一定に保ったり、ということができるのです。


心も同じで、今ある状態を強力に維持しようとします。
仮に、今の状態が決して好ましくなくても、
今より悪い状態よりはましだと思ってしまうのでしょう。
そうして、今よりずっといい状態を手に入れるチャンスを
捨てていくわけです。 

今と違うものを選んだところで、
命を失うことは、ほぼないに等しいでしょう。
なのに、「恥ずかしい」などといったつまらない「プライド」が
邪魔をする。

プライドは、言ってみれば、心の命なのかもしれません。


でも。
それって、本当のプライドなんでしょうか?

本当の心の命であるプライドとは、なんなのでしょう? 


それは、
自分が、大切だと思う価値や人、
それらのためを考えたときに、
それらにとって真に大切で必要なものを守ったり、
育てたりすることではないでしょうか?
そうするのだという自分自身の思いや決意、
それがプライドでは……? 


たとえば、子どもを本当に大切だと思えば、
子どものした失敗を償うために
親として、誰かに頭を下げることが必要かもしれない。

あるいは、表面的に話の分かる親を演じて、
子どもとの間に波風を立てないようにして
何でも子どもの言うことを聞くのではなく、
たとえ子どもと取っ組み合いになっても、
ダメなものはダメ、
そう身をもって伝える必要があるかもしれない。

そっちのほうがずっとエネルギーがいります。
疲れます。
でも、だからと言ってそれを避けることは、
誰のためになりますか?

もし、それが自分のためだとしたら、
それは、自分のプライドなのでしょうか?

たぶん、それは、プライドと間違われやすい
「エゴ」 という名の生き物ではないのかと思います。


「プライド」が「心の命」であるとすれば、
それは、自分が自分の本当に大切なもののために生きる、
という決心や思い。
つまり、根底にあるのは「愛」ではないのかな、と思うのです。



状況は何時も白か黒かわかりやすいわけではく、
多くの場合、グレー。
そんな中で、自分が守るべきものを守るには、
どちらがいいのか、迷うこともあると思います。

たとえば、家族を大切にするためには、
家族との時間をまったく持てないこの仕事を続けるべきか否か、など。
でも仕事がなければ、根本的に家族を養えない。
そういうジレンマに陥るときもあるでしょう。

たしかに、簡単ではないのかもしれない。


でもきっと、根底に愛がある選択をすれば、
結果がどうであれ、
その先には愛があると思います。

根底に愛のない選択をすれば、
結果がどうであれ、
そこには、言い訳や、次なるエゴの塗り重ねが
生まれることになるのではないだろうか、
そう思います。


どうなんでしょうか……

 


周波数の同調

2014年10月20日 | ●セルフコーチング

 

 

テレビを見たいと思ったとき、ラジオを聞きたいと思ったとき、ボタンやダイヤルをその局に合わせると思います。つまり、その局固有の周波数をキャッチできるよう、チューニングするわけですね。そうすると、見たい画像が見えてきたり、聞きたい音が聞こえてきたりします。 

 

電波というものは目には見えませんが、こうした事象から電波というものが存在すること、そして違う周波数では違った局の違ったものが見えたり聞こえたりすることは、誰もがあたりまえのこととして、信じられると思います。

 

 

 

実は、ものにはすべて、固有の周波数があるのだそうです。そして、それは人の意識といったものにも存在するそうです。

 

そして、特定の局に周波数を合わせると特定のものが見えたり聞こえたりするように、 意識もどこに合わせるかによって、見えたり聞こえたりするものが変わってくるのです。

 

 

 

最近、私は、涙もろくなりました。ちょっとした動画とかを見て、思わず涙が流れたり。これまでは見ても感じられなかったものまで感じられているような、感情の皮膚が薄くなってでもいるかのようなそんな感覚を感じます。周波数が変わってきているのかな、そんな感覚です。 

 

 



洗濯物干しを新調しましたっ!

2014年09月29日 | ●セルフコーチング

 

前の記事で、「未完了の完了」という話を書きましたが、

いま、私自身も、「未完了完了月間」絶賛推進中

日々、何かしらを完了させることを意識しています。

 

で、昨日、ずっと気になっていたボロボロの洗濯物干しを新調しました!

これまでは必用に迫られてテキトーに選んでいたのですが、

今回は、ずっと長くお付き合いしていて、

日々、愛着が増しそうなものを選びました。


機能性、耐久性、重さ、メンテナンス……

色々考え、あとは触ってみて、持ってみて、

しっくりくるかときめくか、で決めました。

これです↓



同様の品を無印良品でも見て考えたのですが、

ちょっと重すぎて断念。

この手のオールステンレスは重いんだ~、

と諦めかけていましたが、

この製品(アイリスオーヤマさん)は重すぎず、

サイズも3パターンあって、気に入りました。



改めて見て思ったのは、これだとピンチ回りが壊れても、

おおいに自分で修理可能だな、ということ。

プラスチックは劣化して折れたり砕けたりすると

どうしようもないけれど、

ステンレスだとよほどのことがない限り

パーツが取れることはなさそう。

で、ピンチを止めてるリングが壊れたら、

単語カードをとめたりするリングで代用できそうだし、

ピンチはなんでもありそうだし。



こんなことを思ったのは、実は無印の同様の製品では、

ピンチを止めていたパーツが、ほぼゼムクリップだったから。

両方を見て、なんかこれ、文房具でできたの?って思ってしまったわけです。



あー、なんか私、どーでもいいところで

いつも「戦略性」と「着想」の強みを使ってるかも……




ま、いずれにしろ、未完了の完了は、気持ちがいい!


心は秋晴れです



心をありたい状態にするためには

2014年09月03日 | ●セルフコーチング

 

 

 

キッチンの片隅に貼ってあって、

もう壁紙の模様と化しているこのシート。

以前、とあるイベントをやったときの、

宣伝グッズですが、

それをふと見て、あの頃と自分が変わったなあ、

とあらためて思いました。

 

 

「笑顔になれば、心が変わる」

 

以前はこのフレーズを正直、信じられない、と思っていました。

そうは言っても、形だけ作ったとことで、

心の奥まではかわらないのでは? と思っていました。

そうありたい、と思いはするものの、

そうなれない自分と、いつも葛藤していた、

そんな感じです。

 

でも、いまは、その言葉が真実だと思っています。

もちろん、形だけの笑顔をたった1回だけしてみたところで、

根本的には心が変わることはないだろうと思います。

でも、体のどこかを変えることで、心も変わる、というのは、

事実だと思っています。

なぜなら、心と体はつながっているからです。

 

失敗したり、悲しいことがあったりしたら、

そのときの気持ちを味わっている体は、

おそらく下を向いていたり、背中が丸まっていたりするはずです。

顔も筋肉が全体的にしたに下がっているのではないかと思います。

その逆で、楽しいこと、嬉しいこと、誇らしいことなどを

感じているときの体は、

胸が開いていて、どちらかというと上を向いていて、

顔も口角が上がり気味だと思います。

 

やってみるとわかります。

試しに、楽しかったことや嬉しかったこと、

また、悲しかったことやつらかったことを思い出し、

その時の感情をじっくり味わってみてください。

体がどうなるか、わかると思います。

 

(私も実際、やっているところを見て、

その様子についてフィードバックをもらう、というワークを

つい先日やったのですが、

つらかったことを思い出しているときは、

顔のしわが目立った、

楽しいことを思い出しているときは、

顔のしわが消えた、

ということを伝えてもらい、かなりショックでした。笑)

 

そんなふうに、心(感情)と体は連動するのです。

であれば、体を先に動かしたら、

心も動く、のは当然ではないでしょうか?

だって、つながっているんですから。

どちらが先だとしても、互いに影響し合うのは当然ですね。

 

だからこそ。

心をありたい状態にするためには、

体を動かしていく。

ランナーズ・ハイ、というものなどは、

その状態の一つの代表ですね。

 

もちろん、なにも42キロを走らなくてもいいのです。

でも、今の状態から少しでも動く。

座っているなら立つ。

立っているなら歩く。走る。

場所を移動する、というだけでもいいと思います。

 

体を動かすことで、

動かさないとわからない感覚を知っていくことになり、

そうすると、動かないでいたときにはわからなかったことが

見えてくるようになります。

 

つまり、

考えているだけじゃなく、行動する。

やってみる。

 

 

 

私が自分で変わった、と思うのは、

行動できるようになったということだと思います。

 

以前は、考えてばかりでやらなかった。

シナリオがちゃんと描けないと、

結末までいちおう見えないと、

動く気にならなかったのです。

後始末しなくちゃ、誰かに迷惑かけちゃいけない、

そんな思いもありました。

終わり方まで考えないと、始められなかったんですね・・・。

 

やれない理由、失敗する理由を考えていたつもりは

ないのだけれど、

結局は、失敗を恐れてやらない、ということと

変わりはない、と言われてもし方がない状態でした。

 

でも、結末までのシナリオを描けなくても、

始めてしまってもいいではないか、

ということを、自分に許可したんですね。

そのとき、それをやりたい、と思ったら、

そこが真実なら、始めてみればいい、と。

 

もし、それが連続ドラマだとしたら、

もしかして1回目で終わっても、3回目で終わっても、

それでいいではないか、と。

 

ドラマというのは、つくる側にも、それを見る側にも

自分以外の人がいます。

他人が絡む以上、自分が「こうしたい」と思っていても、

そのとおりにはいかないことが多々あります。

自分がコントロールできない要素が必ず含まれるのです。

そして、それは、やってみないとわからないのです。

そこまで、コントロールしようとするのは、

他人をコントロールすることにもなりますし、

そもそもできないことだし、

それこそエゴというものかもしれません。

 

 

見る側の反応にいたっては、見てもらわないことには

まったくわからない。

修正することもできません。

でも見てもらい、フィードバックをもらえれば、

どこをどう修正したらいいのか、

何を喜んでくれて、何はつまらないのか、

そんなことがわかります。

 

自分一人でつくって、自分で演じて、自分で見る、

というわけではない限り、

アウトプットして、フィードバックをもらわないと、

進まないし、良くしていくこともできない。

 

そんなことにも、やってみることで、気づけるのだと思います。

 

 

大切なのは、感覚。

そして感覚は、頭だけじゃなくて体のものです。

 

『自転車の乗り方』、『クロールの上達法』、

そんな本をどんだけ読んでも、

自転車に乗れるようにも、クロールが上達することにも

ならないのと同じです。

頭でわかっていることも、実際に体を使ってやってみること。

それによって、「ああ、この感覚」というのを

自分の腑に落とすこと。

 

そこなんだなあ、と思います。

 

だから、自転車に乗りたければ、乗って、実際に練習してみる。

大事なのは、できると思えているときの、その「感覚」なのです。

 

なぜ、できないのか、の原因を知ることも

失敗を繰り返さないためには大切ですが、

なぜ、できるのか、の原因を知ることは、

成功を再現するために、

もっともっと大切。

そして、そこにあるのは「感覚」なんだと思います。

 

  

 

 

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未完了を一つずつ完了する

2014年04月03日 | ●セルフコーチング

 

 

ご無沙汰しています。

4月に入りました。

新年度ですね~

 

 

セルフコントロールとコミュニケーションのセミナーでの学びを

シェアしようと思いつつ・・・

バタバタと過ごしておりました。

おいおいご紹介しようと思いますので、

ちょっとお待ちください。

 

 

 

さて、書かずにいた2週間あまり、

父の納骨をしたり、

初めて沖縄に行ったり、

新しく始まった仕事を軌道に乗せるのに頑張ったり、

息子が大学を卒業したり、結婚したり、

色々ありました。

書きたいなあ、と思いながら、

時間って、ほんとにあっという間に過ぎていきますね

 

メールの返信も、タイミングを逸してしそびれてしまったものがあったり。

 

こうやって、日常の中で小さな「未完了」がたまっていきます。

その「未完了」は、心の中で「澱(おり)」のように

少しずつたまっていき・・・

いつの間にか、心のエネルギーを消費していくことになるんですね。

 

未完了を完了するには、

1)すぐやる、

2)今はやらないと決める、

3)もうずっとやらないと決める、

4)誰かにやってもらう、

なんていう選択肢があります。


で、自分でやるもので、すぐにできないものが

たまってしまっている場合には、

ともかく、ひとつひとつ、ただやる、

それしかありません。

 

片づけ、なんていうのが最も典型的なものですね。

 

 

 

ってことで、

いろんなことが一段落して、

ともかく一つひとつ、やっていこうと思います。