ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

入試結果が出るとき

2014年03月10日 | ●セルフコーチング

 


今日は3月10日。東京大空襲の日。

二度と同じことが起きないことを祈りつつ、

亡くなった方々の霊に祈りを捧げました。


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さて、そんな日でもありましたが、

一方、今日で国立大学の合格発表も一段落の様子。

フェースブックなどでは、あちこちから、

お子さんの入試結果のニュースが届きました。


わが家は現在、ひさ~しぶりに入試のない時期を過ごしています。

4人も子どもがいると、いつも誰かしらが

何かしらの入試を控えているような感じで、

春は緊張が抜けない季節でした。

でもここ3年ほどは入試もお休み。

ちょっと感覚が遠のいていましたが、

あちこちから伝わってくる入試の結果に、

合格の嬉しさや、第1志望を逸した悔しさ……

そんな感覚を思い出しました。




お子さんたち、そして親御さんたち、本当におつかれさまでした~!!


合格した方々、ほんとにおめでとうございます。

思いっきり喜んでください!


そして、第1志望には振られてしまった方、

悔し泣きもありだと思います。たとえ男の子でも。

ともかく、本人が自分の感情を

まずはそのまま受け止めてほしいなあ、と思います。

次に進むために。



結果の持つ意味をいちばんよく知っているのは、きっと本人ですよね。

親は当事者ではないし、当事者にはなれない。

一緒に喜ぶのはしやすいけれど、その逆の場合はちょっと難しい。



でも、結果がどうであれ、

「正解は選んだあとの行動で決まる」のだと思います。

第1志望に受かったから幸せ、落ちたから不幸せ……そんなものではない。

悔しさはどうしたってあるけれど、人生がそこで終わるわけじゃない。

その悔しさをどこにどう向けるか、その喜びをどこにどう向けるか。




わが家の子どもたちの入試の結果もそれぞれでしたが、

親ができることは、

いつでも子どもたちがその時できるベストの選択を

してくれることを応援するだけ、でした。

そして、親が幸せを感じるのは、

どこにいても最善を尽くしている

子どもの姿を見ることだと思います。



みなさまに、そしてご家族に、

この春からもたくさんの幸せが感じられますように。


先日送ってもらったパリの桜の写真をシェアしま~す!



 


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短時間で成果の出るもの

2014年03月06日 | ●セルフコーチング

 

 

お昼ご飯は家で一人で食べることが多い私です。

忙しいと、ついついPCを打ちながら食べるとか、

ひどいときは出がけに立ったまま食べるとか、

ってこともあります。

 

でも、忙しくても、自分のためだけでも、

けっこう手作りしています

 

安全なものを食べたい、という思いもあるからなのですが、

でも、それがなぜなのか、最近気づきました。

 

 

それは、料理が私にとっての大切な気分転換だから、です。

 

 

料理って、

短時間で必ず結果が出て、

そして必ず誰かを喜ばせます



見た目にもわかりやすいし、ね。

そんなこともあって、精神衛生上、とってもいいんだと思うなあ。


写真は昨日のマイランチ♪   気づいたら、作ってました・・・

 




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次々やってくる案件を、乗り切るコツとは・・・

2014年03月05日 | ●セルフコーチング

 

 

このところ、毎日何かしらの案件が入っていて、

それにはそれなりに何時間~何十時間もの準備が必要。

 

こんなに立て込んでしまう前から、

わかっていたので準備はしてきているのだけれど、

結局のところ、まとめは直前となってしまいます。

 

なので、結局のところ、

完了するのは、あたりまえだけど、一つずつ

 

 

この間、なかなか気が抜けず、

時には、眠りながら考えていたりして、

寝る前と目が覚めてからで、感覚がまったく一緒だったりします。

 

これは本当はよくないなあ、と思います。

寝るときは、意識じゃなくて、無意識に預けなくっちゃね

 

 

とはいえ、

この1個ずつ、集中して仕上げて行くこの感覚が

同時に快感でもあります。

 

時間的に間に合わな~い! というのでもなく、

かといって、締切がなくて時間あり過ぎでかけ過ぎで

穴に陥るというのでもなく。

 

エネルギーコントロールをするのに、

ちょうどいい感じなのかもしれません。

 





そして、こんな波乗りみたいなことをしていく上で

何より大切だなあ、と思うのが、

かなり切羽詰まっていたとしても

「大丈夫、私にはできる!」と自分を信じること

だと思います。

(別名、自己暗示をかけるとか、アファーメーションをするとか、

 ポジティブに考える、とか言いますね)

 

これがあるから、

ちゃんとタイムリミットに合わせて、

それなりのクオリティで、

自分らしい仕事ができるんだと思います。

 

自分を信じるということは、

それをイメージして、

そこに向かっていくということですからね。

 

 

たとえば、午後の3時30分に渋谷のハチ公前について、

友達と出会っている自分、

というものを頭においているから

私たちはそれに合わせて家を出る、といった行動を

とっているわけですが、

それと同じことです。

 

そりゃあ、途中、予定外に電車が止まることだってありますが、

それは考えても仕方ないこと。

多少の想定外も想定に入れつつ、

ともかく、3時30分に渋谷のハチ公前に着くようにするには、

それに間に合うように家を出るのです。

 

自分を信じるというのは、

つまりそういうこと。

3時30分には渋谷に着くつもりで、家を出るということ。

そのために、行動するということです。

 

 

そんなことが、体感的にフィットしてきた感じがします。

 

 

今まで、楽しすぎてたってことでしょうかね・・・・

 






 

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センス・オブ・オーナーシップ

2014年01月30日 | ●セルフコーチング

 

『クーリエ・ジャポン』3月号が

「言葉」こそがあなたの武器である。 

という特集を組んでいます。

 

どの記事も、とっても面白くて、

ご紹介したいものばかり。

 

今日は、その中から一つ、

「センス・オブ・オーナーシップ」というものについて

書きたいと思います。

 

これは、「交渉」について

島田久仁彦さんという方が書いていた記事に

登場していた言葉です。

 

島田さんは、国連紛争調停官、日本政府交渉官を経て、

現在は内外の政府や企業の交渉アドバイザーをされているという方。

文字通り「交渉」のプロフェッショナル。

 

海外では、ネゴシエーターという職業が当たり前に存在し、

大学では交渉の理論や具体的テクニック、

心構えなどを教える実践的な学問として

「交渉学」という科目もあると言います。

 

 

島田さんのような人の仕事は、もちろん、

自分の依頼人の希望が通るように交渉を成立させること。

で、その仕事において大切なのが

「センス・オブ・オーナーシップ」なのだと言います。

 

「オーナーシップ」(ownership)とは、

所有権、といった意味のほか、

当事者意識、責任感、という意味を持ちます。

Sence of ownershipは、つまり

「物事の意思決定を行う立場にあるという感覚」

ということになります。

 

 

たとえば、友達と外食をする時に、何を食べるか

決めるとします。

その時、そこにいる誰もが、店選びに自分も参加した、

自分の意見も最終決定に生かされている、

そんな感覚になれることが重要だ、というのです。

要するに、交渉の時には、

相談して自分も一緒に決めた、という感覚を持てることが大切

なんですね。

 


その時に大事なこととしては、

「アンカー(船の碇)」を打つことだそうです。

たとえば、外食の例で言うと、

自分は焼き肉を食べたい、

でもほかの人は何が食べたいかわからない、としたら、

「なんか、肉を食べたいね」

というように、やんわりと相手に知らせておく

というような行動が「アンカーを打つ」ことになります。

 

すると、最終的には「焼き肉」にならなくても、

しゃぶしゃぶやステーキに落ち着く可能性は高まるわけです。

波が来て船が流されそうになっても、

アンカーが基点となって一定の範囲に収まるようになる

というわけです。


また、当然ながら、

事前の情報収集とそれに基づいた根回し

をしておくことも大切。


予め、他の人の好きなものや嫌いなものを把握しておく、

最近お祝い事があった人はいないかチェックしておく、

などでしょうか。

 

そしてもし、誕生日が近い人が外食メンバーにいるのだったら、

寄せ書き用のカードを用意しておくとか、

ちょっとしたプレゼントを用意しておく、

といったことができればいいということになりますね。

 

  

また、交渉の中で書類などをまとめたりする必要がある場合は、

それをはじめから自分1人で完璧に仕上げようとしないこと

大事だと言います。

6割くらいの出来のものをたたき台として出して、

他のメンバーに突っ込みを入れてもらう。

そうやって仕上げていく。

そうすると、参加者みんなが、

「自分で作った」感覚を持てる、というわけです。

 

 

「交渉」は、自分の優秀さをアピールする場でもなければ、

勝ち負けを決める場でもありません。

相手も自分もハッピーになれる、

Win-Winの関係をいかにして築くか、ということ。

 

そのためには、7~8割は相手に話をさせる、というのも

大事なポイントだと言います。

そして、問題点(What)がわかったからと言って

すぐに解決法(How)を考えようとせず、

なぜ、相手はそう主張するのかの理由(Why)を

突き止めることが大事なのだそうです。

なぜなら、本当によい解決策のヒントは、そこにあるから。

 

 

 

さて、「交渉」というと、

なんだか、対外的なもの、というイメージを持ちますが、

人と人とが何かをうまくやっていこうという場合、

そこには大なり小なり、「交渉」が存在するのだと、

この記事を読んでいて改めて思いました。

 

仕事でも家庭でも、

すべてが決まってから自分のところに話が来た、

というケースでは、

やる気が起きなかったり、

時には怒りが湧いてきたり、

という経験をお持ちの方も少なくないと思います。

それは、

自分には意思決定権がなかった=自分の存在価値を認められていない、

という感じになるからなのでしょう。

 

Sence of ownership

心に刻みたいと思います。

 

 

 

 

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何よりも効く「福」のお守り

2014年01月27日 | ●セルフコーチング

 

このところ、父の容態のこともあり、

外出を極力控え、

気づけばなんとなく笑うことさえ控え気味で

暮らしていました。

 

かといって、毎日朝から晩まで病院にいるわけにも行かず

(母はそうやって2ヵ月を過ごしていますが)、

昨日は思い切って、家族の誕生日の会で、外出しました。

 

そして、ひさ~しぶりに、思い切り笑いました

 

写真もいっぱい撮りました

 

中に、大きなお皿を持ち上げながら、

私が大きな口を開け、目をつぶりながら

バカみたい顔で思いっきり笑っている1ショットがありました。

 

息子「お母さん、毎朝それを見たらいいよ」

夫「僕の胸に貼っておくよ」

 

家族がそんなことを言いました。

 

え~、そんな~~

 

と思った私ですが、

確かに笑えます。

あまりにばかばかしくて。

 

それで、密かに手帳に入れておくことにしました

 

取り出して見ると、

「ばっかみたい!」と思いながら、

ついつい笑ってしまいます。

 

 

そうして、つくづく実感します。

楽しいから笑うんじゃなく、笑うから楽しいんだ、

って言うのは、本当にありうる、ということを。

 

 

皆さんも、どんな時にもそれを見ると笑っちゃえるアイテム、

持つといいかもしれません。

笑う門には福来る、と言いますが、

どんなお守りより、福の神様の役目を果たしてくれるかも。

 

 

 

・・・とここまで書いたらその写真を公開しないわけにはいかなそうですが、

残念ながらヒミツです。

代わりに、昨日のおいしそうな写真をアップしま~す!

 

 

 

 

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背中トラブルの原因解明!

2014年01月21日 | ●セルフコーチング

 

 

実はここ数年、冬になると

背中がカサカサ、ザラザラしていました

 

「乾燥してるからなあ」と思っていたのですが、

その度合いは、増していくようで……

今年はずいぶんとひどいなあ、と思っていました。

 

「身体から潤いってモノがなくなる歳になったからかしら…?」

そんな諦め感もだんだんと増してきていました

 

でも、ちょっと待って

 

ある時、ふと、これは何かに反応しているのではないか、

と思ったのです。

もしかすると、冬になるとお世話になっている、

某ハイテク保温下着と何か関係あるのでは??

 

そう思って、ある晩、その下着は着ないで、

ちょっと寒いけれど、ごく普通のTシャツを着用してみました。

ハイテク下着と同じブランドのものです。

 

すると……

 

なんと、翌朝、背中のカサカサ、ザラザラは、

劇的に改善していたのです

 

 

そっかー、と思い、

残念だけれど、

寒いけれど、

その愛用の下着とはお別れし、

セーターの下には、

ハイテク保温ではない、Tシャツ類を着ることにしました。

 

 

で、ずいぶんとよくなったなあ、と思いながら、

それでも、背中のピリピリ感とカサカサ感が

どうもなくならないなあ、と思ったので、

Tシャツたちの製品内容を書いたタグを見てみました。

 

そして、納得。

 

たとえば、ハイテク下着のブランドとは別の、

某カジュアルショップのTシャツは、

デザインが気に入って、同じシリーズで赤と白と2枚買ったのですが、

赤は「綿100%」なのに、

白は「綿60%、レーヨン40%」でした。

 

赤を着ているときはいいのだけれど

白を着ているときは、肌がピリピリと反応していたのですね。

 

 

つまり、私の背中は、どうも化学繊維に反応していた、

ということのようです。

 

もし、同じような症状の方がいらしたら、

それは、化学繊維のせいかもしれません。

一度確認されてみてくださいね。

 

 

 

 

原因がわかって、なんかスッキリ。

 

・・・ではありますが・・・

これまで大丈夫だったものにも反応してしまう、というのは、

私自身の「感受性」が強くなったということなのでしょうか?

それとも、もろもろと「耐性」が弱くなったということなのでしょうか?

そしてそれを「老化」と呼ぶのでしょうか……?

 

 

う~ん。

ちょっと複雑な気持ち。

 

 

 


2014年のキャッチコピー

2014年01月03日 | ●セルフコーチング

 

 

三が日も終わろうとしています。

今年の目標は決まりましたでしょうか?

 

私は毎年、その年に実現したいことを表す

キャッチコピーのようなものを決めます。

 

今年のキャッチコピーは「統合」です。

ここに込めた意味は、

頭・心・身体を一つにして、前進する、ということです。

 

「思考」と「感情」そして「行動」を

すべて一致させていきたい、そう思っています。

頭ではそう考えていても、気持ちのどこかで、

「そんなことは無理かもしれない」と思っていたりすると、

エネルギーがそこで漏れてしまいます。

また、どんなに考えても、そうしたいと思っても、

行動しないことには何も生まれません。

 

そこで、それらのベクトルを合わせ、

一つの方向にエネルギーを集めて、ぐっと前に進みたい、

そう思うのです。

 

 

これまでもそうは思うものの、それぞれが少しずつ

違う方向を向いていたようにも思います。

 

これがいい、と聞けば「そうかなあ」と思って、

かじってみる。

「あなたのその考え方は違う」と言われれば、

「そうなのかなあ」と立ち止まる。

そんなことの連続だったかも、と思います。

 

たしかに、人の話を素直に聞いてみる、やってみる、

というのは大事なことだと思います。

 

ただ、そうしてジグザグしながら、

というか、そうしたから、

自分に合う、合わない、ということも見えてきた、

のかもしれませんね。

 

 

誰かには合っていても、自分に合っているとは限らない。

だから、自分でも納得できるやり方で、

納得できることをする、

そんなふうに思えたから、

「統合」という言葉が浮かんだのかもしれません。

 

 

今年は、もっともっと自分と自分の直感を信じて、

自分が心地よいと思うかどうかを自分に聞きながら、

迷いを捨てながら、

前進していきたいと思います。

 

 

 

 

 


「クリぼっち」

2013年12月25日 | ●セルフコーチング

 

 

今日はクリスマス。

昨日のイブは、いかが過ごされましたか?

 

 

実は・・・

昨日初めて「クリぼっち」という言葉を知りました。

 

あえて書くまでもないと思いますが、

クリぼっち」とは、「クリスマスをひとりぼっちで過ごすこと(人?)」

の意味だそうです。

 

 

 

それを聞いて、あれこれ、また頭の中で考えちゃいました。

 

そもそも、クリスマスって、

パートナーと過ごさなくちゃならないものなのか?

 

クリスチャンでもない人たちが、

クリスマスにパートナーと過ごす、という発想は

どこから来たんだ?

 

 

とか。

 

 

 

クリスチャンにとって、

あるいは西洋文化圏の一部の人にとっては

このシーズンを家族で祝うということは、

ずっとずっと昔から

それこそ、イエス・キリストが生まれる前からも、

あったようです。

 

 

でも、キリスト教や、クリスマスに関する宗教には無関係の

日本において、

クリスマスを祝うっていのは、どういう意味があるんだろう?

 

 

誰かといるのにふさわしい日ということなら、

誕生日とか、日本ならお正月とか、お盆とか

という日が取り上げられてもいいはずなのに、

そんな動きはありません。

たぶん、「しょうぼっち」とか「ぼんぼっち」っていう言葉は

生まれないでしょう。。。

 

 

そんなことを考えると、

クリスマスに一人でいるってことが、どうして問題なんだ!?

それ、無責任な商業主義によって、

そう思い込まされてるだけなんじゃない??

そんなふうにも思えてきます。

 

 

 

ちなみに、ネオマーケティング2011年調べでは、

「クリぼっち」率は 男性72.6%、女性56.7% だとか。

 

(つまり「クリぼっち」のほうがメジャーってことじゃないですか

 

 

 

 とは言え。



世の中的に特別な日を、特別な人と一緒に過ごしたい

と思うことは、

自然な気持ちだと思います。



私も昔、初めての子どもの初めてのクリスマスの晩。

待てど暮らせど夫が帰らず、

まだ一人では座ることもできない子どもと二人で、

写真を撮ったりしながら、

「さびしいなあ」と思ったことをよく覚えています。

 

その時の写真を見ると、今でもその時の気持ちが甦ってきます。

 

 

でも。

いまになれば、夫だって、

たぶんその日は、早く帰りたいのに帰れないジレンマの中で、

ストレスフルな時間を過ごしていたんだろうな、と思います。

 

 

本来あるはずのものがない、と思うと

「不足感」が芽生えます。

こうあるといいと願うものが手に入らない、と思うと

「不十分感」が芽生えます。

 

どちらも、幸せじゃないですね。

 

 

 

そういうときって、

たぶん、誰かに何かを与えてほしい、

何かが自分に何かをくれるはず、

そう思っているのだと思います。

 

 

たとえば、クリスマスに、

夫には早く帰って家族サービスをしてほしい、

妻にはおいしいごちそうを作って待っていてほしい……

 

でも。

人はコントロール不可能なもの。

そして、自分はコントロールできるもの。


そして、喜びは、

たぶん、もらう時にではなく

「与える」「分かち合う」ときにこそ、

生まれるものだと考えたら、

相手がどうであれ、

必ず自分で生み出すことができるのかもしれません。

 

 

クリスマスは、そのことを思い出すためにあるのかも。。。

 

 

そんなことを考えました。

 

 

 

ともかくも、

 Merry Christmas  

 

 

 

 

 

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外から気分を変える!

2013年12月22日 | ●セルフコーチング

 

 

クリスマスが近づいてきましたね~。

といっても、子どもはみんな家にいないし、

それらしいことが何も感じられないわが家・・・。

 

ま、リースをかけたり、

所々にそれらしい飾りを置いているくらいですかね・・・。

 

そんな感じなんで、ふと目に止まったブログのテンプレートを

クリスマス仕様にしてみました。。。

 

 

気持ちっていう内のものを

外側から変えていくっていうのも、

とっても大事だよね、と思います。

 

 

 

 

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不安妄想を止めるには

2013年12月18日 | ●セルフコーチング

 

このところ、毎日、父のいる病院に行っています。

 

父の身体にはさまざまな管が取り付けられ、

それが「ベッドサイドモニター」というものにもつながっています。

 

このモニターは、

心電図、心拍数、血圧、血液中の酸素、そんなものの状態を示しています。

 

それぞれの値には、「正常範囲」というものがあるようで、

それを逸脱すると、ランプが点滅して、

それをナースセンターの看護師さんなどにも知らせています。

 

ランプが点滅してアラーム音が鳴ることは、珍しいことではなく、

何かの拍子に、よく鳴っています。

昨日も、母とともに帰ろうと父の病室を出ようとすると、

そんな状態になりました。

 

母は、ある数値を見て、それが血圧だと思い、

「こんなに低いなんて大変」と、一時ものすごく心配しました。

看護師さんに知らせにいきましたが、

看護師さんは、平然としていました。

 

そんなことがあったのと、

私自身もベッドサイドのモニターで何がわかるのか

気になったので、家に帰って調べてみました。

 

すると、母が見て心配していた数値は、

血圧ではなく心拍数だということがわかりました。

心拍数だとすれば、それは正常範囲でした。

 

 

今は状況からして、何が起きても不思議ではなく

母の心配はよくわかります。

ただ、前述の話は、日頃の私たちのことを振り返るのに、

いい例だなあ、と感じました。

 

 

つまり、私たちは事実を確認することもなく、

勝手に間違った思い込みを持ち、

それ故に心配したり、悲観したりしているのではないかな、

ということです。

 

それって、まったくもってムダな心配です。

そもそも、前提が間違っているので、

その後に続く仮説も、意味をなさなくなります。

 

考えてみれば本当はわかることです。

 

にもかかわらず……

つい、妄想のなかで不安になったり

心配に時間を使ったりしてしまうこと、

あるよなあ、と思います。

 

 

そんなときってどうすればいいのでしょうか?

 

 

一つには、事実は何かを確認することでしょう。

そして、どこまでが事実で、

どこからは想像なのか、思いなのか、

見極めることは、やっぱり大事だと思います。

 

もう一つには、

自分がコントロールできることとできないことを分ける

ことだと思います。

そして、自分がコントロールできることだけに注力する

ということです。

 

相手があること、決定権が自分にないことなどは、

自分だけの行動や意志では結果を100%コントロールする、

ということはできません。

 

さまざまな場合をシュミレーションすることは必要です。

そして、この場合はこう、あの場合はこう、

と考えて、できる準備をしておくのはいいでしょう。

なぜかと言えば、それがその時自分にできるベストだから。

でも、実際にはシュミレーションにないことが起きるのかもしれません。

 

その時自分にできることに専心していれば、

その結果も、それ以外のことも、

あとは手放してしまうしかありません。

 

 

とはいえ・・・

そういかないのが人の情なのですけれど。。。

 

 

今、私にできることは、父に付き添う母の送り迎えをすること、

そして、その時に少しでも長く父といて、

父をマッサージしたり、顔をふいてあげることくらいです。

 

あとは、祈ることくらいかなあ・・

 

 

 

 

 

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人に教えられる2つのこと

2013年12月16日 | ●セルフコーチング

 

 

2013年も、だんだんと残りが少なくなってきましたね。

この時期は、今年を振り返りつつ来年のことを考える、

そんなときかなあ、と思います。

 

さて、新しい年は、何か新しいことを始めたい、

と考えている人も少なくないのではないでしょうか?

 

私自身は、来年、私のもともとの仕事である

「書くこと」について、

もっと発信していきたいなあ、と考えています。

 

 

これを読んでくださっている方の中にも、

誰かに何かを教えたり伝えたりする、

ということをしたいという方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

 

 

思うに、人に伝えたり教えたりできることには

 

2通りのものがあると思います。

 

 

 

一つは、得意なこと

とくに頑張らなくても、人よりうまくできてしまうこと。

 

もう一つは、不得意だったこと

自分ができなくて悩んで、苦労して身につけたこと。

 

両者に共通点があるとすれば、

どちらも「好きなこと」かもしれません。

 

得意でも嫌いなこと、というのもあるかもしれません。

不得意を克服したけれど、やっぱり嫌い、

というものもあるかもしれません。

誰でも、そういうものとは、

進んでかかわりたいとは思わないと思います。

ですから、人に伝えることを進んでするという時には、

「好き」ということはポイントになると思います。

 

 

私の場合で言うと

前者の得意なことは、「書くこと」「モノを構成すること」。

書いたり、いわゆる編集をしたりすることは、

とくに頑張らなくてもできます。

 

私にとっての後者は、たとえば「自分を肯定すること」。

それができなくて、ずっと苦しんでいました。

今も完璧にできるようになったかと言うと、そうではなくて、

昔の心のクセが出てしまうことはあります。

 

で、それらが好きか、というと、

前者は好きです。

後者については「自分を肯定すること」が好きか?

と言われれば、「???」ですが、

「どうやったら自分を好きになれるのか?」

というテーマを追究することは好きでした。

 

 

面白いと思うのは、

人に教えるのなら、

断然「得意」なことのほうがうまくできそうですが、

どうもそうではない、ということです。

 

なぜなら、得意なものというのは、

人は何の苦労もなく当たり前にできてしまうので、

それが不得意な人がどこでつまずくのか、

何がわからないのか、

得意な人にはわからないからです。

だから、説明ができないのです。

 

一方、不得意だったけれど、それを克服した、というものは、

自分ができなかったから、

どこができないのか、どこでつまずくのか、

どうやったらわかるようになるのか、

そういうことがわかるのです。

自分が通ってきた道だからです。

 

優秀なスポーツ選手だった人が、

必ずしも優秀な指導者になれるとは限らない、というのも、

こういう理由によるものだと思います。

(自分ができないままだったことを教える、というのも

やはりナンセンスだとは思いますが)

 

 

得意で好きなものを伝える・教える、ということは

誰もが思いつくかもしれませんが、

不得意を克服したものについては、

克服したとはいえ、得意とは言えないという思いもあり、

なかなか人に伝える・教える、という気持ちになることは

ないかもしれません。

 

けれど、それも実はとても大きなその人の財産であると思います。

 

 

来年、新しいことを始めるというときに、

そんなことも、ちらりと思ってみると、

なにか新しいアイディアが生まれるかもしれませんね。

 

 

 

追記:

得意なことを人に伝えるのは難しい、と言ってしまったようですが、

それを伝える術を持つと、

得意なことはやっぱりとっても素晴らしいパワーになると思います。

 

もっか、その術を磨き中。

頑張ります!

 

 

 

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アルファ波状態でコーチング

2013年12月09日 | ●セルフコーチング

 

 

昨日は、主催メンバーともなっているコーチングの勉強会に

1日参加してきました。

 

コーチング、といっても、

昨日、午前中は「ヨガ」。

そして午後は、五感を使ってマインドフルな状態で「聞く」

というワークショップ。

 

一日中、半分寝ているかのような、

アルファ波が出まくりのような時間でした。

 

 

いずれの時間も、深~い気づきをもらえた時間でしたが、

何を受け取ったかと言うと、

 身体は感じるためにあるんだ、ということです。

 

どんなに頭で想像しても、本当の感覚はなかなか得られません。

私たちがこの世に、身体を伴って生まれてきたということは、

その身体を使って、色々なものを感じ、吸収し、体験するためなんだなあ、

と、改めて思ったのです。

 

 

ちなみに、なぜ、ヨガやマインドフルとコーチング? ということですが、

コーチングでは、究極的にはその人がその人らしく、

ハッピーに、生きられることを目指します。

(クライアントさん本人がそれを望んでいるかどうかにもよりますが・・・。)

そうすると、頭だけとか、身体だけ、とかということはありえないわけです。

すべてが一致すること、っていうのが大事なんですね。


そして、コーチ自身もそうした状態でクライアントさんの話を聞くことが

とても大事、ということです。

そういう状態であることで、

クライアントさんから見えてくるもの、聞こえてくるものが

コーチ自身のエゴで曇って歪んでしまうことを

少なくすることができると考えられるからです。



実際、そうした状態でセッションをしてみたところ

聞き手の自分自身はなんだか透明なカプセルの中にいて

話し手を遠い宇宙からでも見ているような気がしました。

そして話し手は、

何を言っても、それがそのまま自分に返ってくるような、

そんな感じを持った、と言っていました。

 

 

ヨガでは人間を「馬車」にたとえています。

(こんな説明を見つけました→ヨガとは

そして馬車のことを英語で「コーチ」(coach)とも言います。

こんなところでも、

ヨガとコーチング、実は深い関係なんだなあ、と思いました。

 

 

 

 

 

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人間は「動く物」

2013年11月29日 | ●セルフコーチング

 

父が10日ほど前から入院しています。

直接的には「肺炎」という理由ですが、

いかにせよ、87歳という高齢なので、

何があってもおかしくありません。

 

昨夜は、「担当のお医者さまから家族への説明」というのを

聞いてきました。

 

現状と、入院時からの変化。

病状が上向いた場合、どうなったら退院できるか。

病状がこのまま、もしくは下向きとなった場合、

どういう選択肢があるか。

家族はどの選択肢を選ぶか?

という内容でした。

 

母は、尊厳死というものを考え、

10年以上前からそうした会にも所属し、

自分の最期は自分で決めていますが、

父は、母が水を向けても、その話自体をいやがり、

その時々で答えが変わるようで、

父の意思はこれまでのところ確認できていません。

 

結局は、母の決断に任せようと思いますが……

 

 

こういう状況が現実的になり、

「いかに死ぬか」を見つめる時間ができてくると、

それとともに、「いかに生きるか」をいやでも考えます。

 

親や、先の世代の人たちの死に様=生き様が、

次の世代に生き様を考えさせることになるんだなあ、と思います。

 

そんな中、

昨日、母がお医者様に質問をしたときのお医者様の答えに

なるほどなあ、と思うことがありました。

 

母は、入院する少し前から父が食事を摂らなくなっていたことについて、

その原因が「肺炎」なのか、そうでないのかを知りたかったようです。

すると、お医者は、こう答えました。

 

「人は動物です。動物というのは『動く物』です。

 だから、動かなくなると、いろいろ支障が出てきます。

 寝てばかりいたら、食欲もなくなるのは当然。

 それに、食べなくならなかったら、人間はいつまででも生きてます。

 人間は死ぬものなんだから、いつかは食べなくなります」

 

ざっと、こんな趣旨でした。

 

それを聞いて、

「そうか、動物って、動くことが前提なんだ~

というところに、感心した私でした。

 

座って、パソコンに向かってばかりだったり、

っていうのは、やはり動物として不自然なんだ、

最期まで健康的に動物として機能するには、

身体を動かすことってとても大切なんだ!

と、思ったのでありました。

 

ま、父は退職してからの四半世紀あまり、

ほっとんど座って過ごしましたけれどね……。

 

 

 

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仕事をするときの体感覚

2013年11月19日 | ●セルフコーチング

 

 

しばらく、のんびりペースで仕事をしていましたが、

ここのところ、ぱたぱたと、色々な物事や仕事が

重なっています。

 

やることが増えたからと言って、

自分に与えられた時間が、

1日24時間から30時間になるわけではありません。

 

限られた時間の中でやることを増やすには、

時間の密度を濃くすることしかありません。

 

過去を振り返っていたり、

未来を待っているわけにはいきません。

ゴールが見えていたとしても、

そこまでは、淡々とやることをやっていくしかないわけです。

 

そんな時、最近は面白いことに、

走っているときや泳いでいるときの体感覚が湧いてくるのです。

 

 

私は3年ほど前からランニング

そして半年くらい前からスイミングを、

時々するようになりましたが、

決して速くはありません。

レースに出ても、いつも目標は「制限時間内での完走・完泳」。

 

そんな実力の低い自分ですから、

どんなに気持ちが焦ったところで、

その気持ちに呑まれて急いでしまうと、

結局、完走すらできないことだけはわかっています。

ですから、レースでも、ただひたすら、

その時その時の一歩、一掻き一蹴りに思いを向けて、

その一瞬その一瞬を味わっていくしかありません。


ランニングやスイミングを練習するようになって身についたことは、

そうした体感覚だと思います。

 

そしてその感覚があると、

たとえば仕事が立て込んだり、やることが重なったりしてくればくるほど、

私の中ではその身体の感覚が冴えてくるように思います。

 

さあ、仕事しよう、と思うと、

まるで水の中にいるときのような、

まるでランニングのレースに臨むときのような、

そんな精神統一をしようとしている自分に気づきます。

 

そして、その感覚、とても好きだなあ、と思います。

 

 

 

 

 

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ダメ元でチャレンジ

2013年11月16日 | ●セルフコーチング

 

 

今日は髪を切ってきました

 

担当してくれた店長さんが、

「先日、美容師のコンテストに出て、賞を取ったんですよ

と、嬉しそうに話してくれました。

 

普段の仕事にプラスして、

余計なエネルギーと時間をかける挑戦。

別にやらなければならないわけじゃない。

 

でも、

「何もしないと、そこで止まっちゃうから」

と、彼は言っていました。

 

本当にその通りですよね、と

深くうなずきながら、彼の話を聞きました。

 

 

何もしなければ現状と変わらない。

逆に言えば、何かを試みて失敗したところで、

最悪、現状維持です。

 

ならば、ダメ元でチャレンジすればいい、と

私も思います。

仮に、目標とするものをゲットできなかったとしても、

そこに向かっていく中で手に入れた

技術や体力や知識や方法……

そんなものは、すべて自分の財産になります。

 

それに・・・

よく考えてみれば、私などの場合は、

日に日に、体力も、視力も、記憶力とかも、

衰退していくばかりです。

 

何もしなければ現状維持、ではなく、退化している

と思ったほうがいいかもしれません。

 

ならば、やっぱりチャレンジだよなあ、と思った次第。

 

 

店長さんは、

「特に、クリエイティブなことにかかわっている僕たちは、

 生み出していかないと」

と言っていました。

 

そして、彼がそうした挑戦をするのを見て、

それを真似て育っていく後輩が増えたのだとか。

やはり「ロールモデル」があるというのはいいことだなあ、

と思いました。

職場も活気が出そうですね。

 

 

なるほど、と思ったのは、

「そうは言っても、すべてゼロから生み出せるものでもない。

 やはり、何かを元に、それをアレンジしていくんです」

と言っていたことです。

コンテストでつくりあげるモードを考えるには、

何かからヒントを得てくるのだそうです。

 

 

どんな世界でも、まったく新しいことは

そうそう生まれるものではありません。

革新的と言われるものも、実は既存のもののどこかをちょっと変えただけ、

というのはよくあること。

でもそうするうちに、少しずつの変化が、

全体の変化へとつながっていったりするのでしょうね。

 

 

 

新しいモノが生み出せないと言って止まっているより、

既存のものをまずよく真似してみる。

失敗が怖いと言って止まっているより、

ともかくやってみて、一歩でも前に行く。

 

やっぱりそれだよね、と思いました。

 

次は、もっと世界的な規模のものに挑戦したい、

と言っていた店長さんの笑顔がさわやかでした~

 

 

 

 

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