前回のブログで、フランシスコ1世教皇様まで、御心配なメールを頂、感謝申し上げます。
もちろん私の理解でも、教皇様と同意見です。しかし、今や、このような田舎とは言え30万人も越えた町で、全くの無知な人々が、私の家族を裁くために、大変苦しむ母の姿は、見たものにしか分かりません。
何の解決方法も無いどころか、不正に近い状態で、安定化している人々に、一方的に意見を認めさせられることは、もう出来ません。結果を知っています。
それに、カテキズムにあるとおり、最低限の求めには応じて、他者に悪用されない程度には、ミサへの出席はすることをお約束いたします。1年に何回かも決められませんが、全てカテキズムに沿う様にいたしますので御安心ください。
しかし、多くの皆様が、ちょっと不信になったと思います。それについては、なんとも言いようもありませんが、カテキズムだけは守ります。
あまり子供だと思わないように願いたいものです。
その繰り返しで、熱心に教会に通ったのに、私には、長い間「孤独」だけが残った年月があります。ずっと年下の者の甘えを赦すために、その結婚を面倒見て、さらに独身を続けて、年老いた親の死にさえ立会うことのできない生活を強要しますか?
この言葉の意味は、地域の独特の問題もあって、理解できる人はいないと思います。だから私ももう説明しません。
とにかくカテキズムは、何が何でも守ります。そして日々の日課も守ります。
では、あまり邪推の無いようにお願い致します。私自身もそうならないように気をつけます。
だから、「オバマ大統領に恨まれた」と言うメッセージは、信じないで、相応しい時を待ちます。
それに、オバマ大統領を私に縛り付けることは当然出来ないのですから、そのことも御心配なく。もし、大統領が、私を憎まざるを得ないならばそれも仕方のないことでしょう。しかし、私自身が努力を止めない必要があります。
今は、まだ、私の意見が、本当に正しく社会に出ているのではなく、他人の勝手な私としての意見が出ています。
とにかく、少なくとも、大学での授業が、4/7、8 4/14、15の2週に授業ありませんでした。ミサに出席の予定です。しかし、考えます。無理な要求は聞きません。
皆様の、神様の恵みと平安と祝福を祈ります。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.