自分なりにゆっくりでも確実に目標を達成してきているわけですが、案外、神様の愛故に、こんなに時間が、かかったのかもしれないと妙に納得しています。
そうなると先ほどまでかかっていた「アニメ」の「医者の息子」と聞いたとたんに、豹変するシーンを見ると、案外「歳を取ったから、もう独身で、少しでも健康に生きよう!」と思うまで、医学部と結婚は、お預けになるかもしれないとも思います。
もしかすると、この日本の奇妙な男尊女卑を、神様としては、残したくないのかもしれません。
しかし、そんなこと自分の環境的には考えられないのですが、自分と社会共同体の本質を、一人前に守れるようになれば、確かに個人の生活は、小さなものになってしまいそうな今の社会です。
とは言え、もう十分にそれと同じ気持ちになっているし、社会的にも知らないこと、わからないことが、ほとんど無い状態になりつつある私自身である。
やっぱり、少子化が加速する日本では、やっぱりしっかりとした理想に根ざした結婚が必要だし、模範的な結婚とその生活とを子育てと自分の死に至るまで、模範を示す必要があることはまちがいありません。そんなにも堕落した時代とも言えます。
そう言えば、はじめの頃・・24年前には、本当にそれを理想として、そのように生きたいと沢山神に祈っていました。
これもまた祈りに答えていただいた結果に違いないとも感じます。
確かに、アブラハム、ヤコブ、ヨナ、洗礼者ヨハネの両親、と主立った方々は、皆そうであったなと思い当たるわけですが、やっぱり歳を取ることは不安にもなるものです。それがまた、心を強め、模範的な信仰を生むのでしょうけれど。
実際にアブラハムが、勇敢に、甥のロトの家族を悪い王達から救い出すのは、かなり高齢になってからであり、文字通りならば、100歳を間違いなく超えていたのですから不思議なこととはいえません。
こう考えると、私は、この生まれ育ったところの人々に、深い信仰心や誠実さを抱いて、活躍していた他の地域でのかなり上の地位まで捨てて、戻ってきて、現実の状態に、失望して、4面楚歌になって、初めて、心の深いところから固まって、教会共同体を過信するでなく、自分自身を過信するでなく、日本を過信するでなく、今の、未来に十分な希望が持てる時間に到達したともいえます。
ただ、自分の健康がどのくらい制御できているかも問題になりますが、・・・つまり、これから厳しく衣食住についても考えを深くして、完全な毎日の習慣を、創造しようとしています。
理想的な日常を考えつつ、今与えられている介護の学習、自然科学の学習、語学学習について、しっかりとまとめて行かなければなりません。
その一つの要素に結婚が、あります。無理して考えても仕方ないので、正義と秩序と平安と正しい活力のために、祈りつつ結婚を、果たそうと思います。
それでは!世界中の皆様の、相応しい皆様への神様の恵みと平安と祝福を心より祈ります。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.