社会人も、年数が、経って?
と言うか?他人に、厳しい環境であったのか?
厳しい仕事を、求められ、信仰の心が、
ぼんやりとした、イメージのみに、なっていた、今日この頃、
久しぶりの、深い、回心によって、神への信頼が、回復しました。
「回心」とは、「改心」と似てますが、神に、心を、向ける
と言う意味の、キリスト教(カトリック)用語ですが、
本当に、その通りだな~、と感じております。
死からの復活や、昇天など、現在の科学では、良く解らない
言葉も、多いのですが、医学の世界では、復活は、どこかで、
信じつつ、公式には、否定していると言った感じがします。
本当に、聖書5千ページを、十分に、何度も味わいながらも、
心理学同様、非常に奥深く、幅の広い問題だと思います。
だからこそ、若い私が、かつて、宗教学者は、司祭を含めて、
自分には、縁の無い、不可能な世界と思っておりました。
それでも、この54年の人生の中で、何度も、
騙されたに近い状況で、強引に、そうであるように、
強要された経験によって、多くの、社会問題を、
理解するようになり、不思議も実感でき、
神の愛が、人間のそれに、非常に、似ている状況で、
行われることを、心から、実感するようになりました。
日本の「天皇制」的「平和」感とは、かなり、違う印象です。
このように、このことを、教えることを、
目的と、されていたか、のような、苦労でした。
さて、それでは、今日も、この世界中の、全ての人々に、
神の豊かな恵みと祝福と平安があり、
神への賛美と誉れと栄光とが、限りなく、この世界を、
清く、聖く、美しく、力に満ちて、
支配できますように、心から、お祈り致します。
Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.