今日は、朝のミサが、ありませんでした。
しかし、私は、出かけて、聖堂での、朝の祈りを、
少しして、帰ってきたところです。
しかし、それにしても、日々の暮らしの、緩やかな変化と、
急な変化が、人の心には、不思議に、働くことを、
改めて、気づかされます。
聖書を学ぶなどの、大変な作業と学習ではなくても、
日常生活においては、大人ならば、日々、
実践的な、新しいことばかりで、周りの人々への気遣いは、
しないほうがいいか?お互いの、気遣いから、時間的に、
遅れて、反応せざるを得ない、緊張の瞬間の連続です。
互いの会話や態度が、その瞬間に、一致して、言動できる、
そんなことは、一般的に、神でない限りは、不可能です。
だからこそ、平和に感じる日々が、送れるのかもしれません。
日本の現状を、真に考えるならば、
目先の数字にばかり、気を取られて、
長い歴史や戦争や復興の中で、培った、大切にすべきことを、
軽んじて、大きく、基礎的な問題や心の問題の実績と成果を、
失ってしまったことに、気づいた時には、遅いのかもしれません。
心から、この世界中に、今共生している全ての皆様に、
神の豊かな恵みと祝福を、お祈り致します。
また、私自身と私たちの、幸せと、
日々の神様の恵みと祝福と平安が、豊かにありますよう
心からお祈りいたします。
Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.