香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ   慈恵蹟  新年に向けてもう一言

2015年12月31日 09時29分07秒 | Weblog
天皇陛下、教皇パパ・フランチェスコ様、大・司教様方、主任司祭様方、主任司祭板垣神父様、そして皆さまおはようございます!!

ブログについて、今後、重きをなさないで、実社会での活躍に移行することは、書いたとおりです。


しかし、大幅に後退も考えられますから、時々は、文字通り、個人ブログの役割として、更新します。

その中で、今日は、もう一度、日本の皆さんに、キリスト教と仏教における人間同士の愛概念の違いを、明確にしておきます。


キリスト教において、聖書を丹念に読む限り、「輪廻」を現実に否定してはおりません。

むしろ、ほどんどの、神を知らない人々は、そのようなものです。


つまり、人々がどうあれ、「天国」はあり、その普遍性があり、そこを基準にしているのがキリスト教です。

ですから、キリストの教えを忠実に受け入れ、守るならば、確実に入れます。

しかも、他の宗教が言う他の神は決して存在していませんし、それ以外にはすべて理由があります。


また、キリストの教えを、生半可なものにして、生き続けたり、人を傷つけ続ければ、入れませんし、

その度合いに応じて、厳しい世界があるように読めます。

また同様に、仏教的な、ある意味強引な輪廻的な生まれ変わりも読み取れます。


そこで、本来の「夫と妻」を、形成する愛に大きな違いがあります。

キリスト教ならば、より純粋に愛し、その延長で他者への愛(きわめて理性的です。不浄を求めることではないです)が広がってゆきます。

そこにキリスト教社会を形成した場合の普遍性、同時に発展性、同時に極めて高いものを追い求めるようになるのが基本になります。


しかし、残念なことに、仏教においては、輪廻が、中心にあるため、キリスト教では、不浄に当たる次の世界での別の愛もまた

ある意味肯定されてしまいがちです。・・。とはいえキリスト教も人間を見たら同じようなものです。


しかし、キリスト教では、天国に当たる人々には、そのようなものを超えて、肉体もない愛だけの世界を想像していただければ良く判るかと思います。

つまり、「天使たちのよう」とキリストご自身も表現なさいました。


この非常に大きな流れは、キリスト教の初期における迫害から、その問題を大きく取り上げ、昇華させることで、

現在の世界宗教に発展してきましたので、どんな偉いキリスト教指導者が叫んでも、もし間違いがあれば、それは正されてゆきます。


ここに力の違いがあり、人間社会で生きていても広がりの違いがあります。

今までの日本仏教の苦しみ、変遷は、今まさに、このキリスト教世界化の流れと同じ問題にぶつかっています。


政治とて同じことです。むきにならないことをお勧めします。

日本はより差別化に進んで来ましたが、それは神の概念からは、罪ですから、いずれ裁かれます。

より問題を軽くしておいてください。罪に罪を重ねてしまうような現行政権のようなことは避けてください。

現行とは何も安倍総理ばかりを言ってはおりません。昭和からの政策です。

人々は、収入とキリスト教を結び付けつつ日本仏教なので、差別化も大いに栄えました。

しかし、それは罪に罪を重ねるようなものです。

極力正しくお互いを評価しなければなりません。仏教も輪廻観を除けば大いに良いものです。

私も今後社会での重責を目指してゆきますが、これらの日本特有の問題を、私に与えられた問題と思い頑張ります。

では、みなさんよろしくお願いします。素晴らしい一年を祈念しております。

私にも必要な就職と結婚と教会での重責と社会での重責が与えられるようお祈りお願いいたします。

洗礼もとても大事な行為と思います。私に下のようなたくさんの洗礼名があるように。

私が仙台市を特別視することもありません。他に対して好きになったと最近書いたことがありましたが、

むしろ誤りでした。正しく見つめ続けるだけです。皆様宜しくお願いいたします。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti  澤口宏行


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