荒川区 街の電気屋中年オヤジ?です。
(何年後かの 石巻市)
その晩
東日本大震災
宮城県石巻市の知人と 連絡が取れたのは、震災後 かなり時間が経ってからだと思う
約1か月後
仲間達にも物資を募り 後輩と2人 荷台が一杯になった軽トラで 石巻へ とても複雑な想いで 車を走らせた。
(何年後かの 石巻市)
まだまだ 電気も付かず
道路の脇には、瓦礫が山積みにされ 到着した天気の良い早朝でも 埃が舞い テレビでは、伝わらない現実を目にした。
手伝いの主な作業は、瓦礫の片付けと、ヘドロかきだった。
何日目だったか いつもの様に ヘドロ除去をしていた時
石巻の知人(以外、Sさん)が 年配の女性と嗚咽混じりに話し込んでいた、、、
翌日 やはり 年配の男性とSさんが話をしていた。
石巻市大川小学校の悲劇は、御存知の人も多いと思う
その晩
Sさんから 話を伺った
「毎日 亡くなった児童のお宅へ お詫びに歩いてるんです。」
「先生と言われていても 私にとっては、息子で 子供なんですよ…」
その年配の男性の息子さんは、大川小学校で先生をされていて 命を落としていまったそうです。
私の様な部外者が 難しい話をするつもりは、ありませんが こんな事もあったと 思い返しました。
改めて
2011,3,11東日本大震災
亡くなられた方 遺族の皆様
謹んで御悔やみ申し上げます。
そして 被災された大勢の皆様へ
これからも 東北へ 足を運びますので 宜しくお願い致します。