父さん 母さん ごめんね

父さん これでよかったのかな 
母さん 何もできなくてごめんね

大家族はいい

2009-05-25 11:35:51 | Weblog
父さん。

土日曜日は息子と3号くんだけが来ました。

お嫁ちゃんは 熱を出していたようで・・・

大家族の良さをつくづく考えさせられました。

看に行ってあげるにはちと遠すぎます。

3号クンが具合が悪くても預かってあげられない。

誰が具合悪くても 大家族はいい。

父さん。

長女は正解 でしたね。

胸キュン  ウルウル

2009-05-23 16:54:39 | Weblog
父さん。

今日は 何年ぶりかに 誰も来ません。

夫君も散歩に行きました。

絶好の勉強タイムです。

が youtube で「舟木一夫」オンパレード。

なぜか 胸キュン で ウルウル きています。

車の中でCD聞いても

居間で聞いても

仕事場で聞いても

胸キュン  ウルウル 

不思議です。

ゆとりができたら

いつか・・・・

コンサートに行きたい。

やめたくなる。

2009-05-19 11:45:51 | Weblog
父さん。

諦めたくなる。やめたくなる。

チンプンカンプン チンプンカンプン チンプンカンプン

時間の無駄だ!無駄だ!無駄だ!

シゴトシロ~~~~~

なんでべんきょうしてんだ~~~

パニック パニック パニック

で べんきょうする

変だ おかしい

けど もういちど やってみる。

アタマ 空っぽっぽ

2009-05-18 17:51:10 | Weblog
父さん。

今日はよいお天気です。

月曜日は 疲れています。

でも PCには向かえています。

アタマは 空っぽ。

練習問題をやってみましたが さっぱりです。

断面二次 断面係数・・・

答えをみると納得ですが。

仕事の準備もしなければ・・・

そちらも頭の中カラッポ。

どうなりますことやら。

なんということでしょう

2009-05-15 22:35:00 | Weblog
父さん。

なんということでしょう。

不思議です。

今日は2件も連絡がありました。

まあ 1件はボランティアですけどね。

仕事です。

どうしましょう。

お断りするわけにはいかないのですが

勉強がァァァ

(仕事が)なければないで それでイイノカナアって

あればあるで 困ったーーー

生活を気にしないで

勉強したーーーーィ。

休日は 3号クンの子守です。

毎週毎週よく続くものだと感心します。

でも歩くようになりましたよ。

食欲旺盛でつくり甲斐があります。

ジイ様がいてくれないとトイレも行けません。

ジイ様! どこかへ逃げないで~

長女もとっても元気になりました。

ひょっこりひょっこり1号クン2号クンを連れて来ます。

何も用意していないので慌てます。

元気になって五月蝿くなりました。

無駄な事 やってます。

2009-05-15 10:43:27 | Weblog
父さん。

わたし 何やってんだろうね。

勉強したからって何になるんだろうね。

この年で仕事に結びつく事はないだろうし

受かったからって何になるんだろうね。

ただ 夢だったから

40年前の目標だったから

ただそれだけで・・・

棺おけに持っていきたい唯一つの免許状。

それだけのために

仕事がないことをいいことに・・・

試験が終わってからどうするの?

収入はどうするの?

困った 困った。

こんなことしてていいのかな?

と おもいつつ

勉強します、受かるはずがないのに。

ただ 机にむかっているだけですが・・・

父さん

ごめんなさい。

無駄な事 やってます。

時間がない

2009-05-14 00:51:38 | Weblog
父さん。

法規 構造が面白いです。

でも さっぱりわかりません。

練習問題に入りたいけれど

ドキドキ

怖ろしい・・・

勇気を出して

深呼吸して

練習問題に早く入らなければ

時間がない!


そもそもの間違いであった

2009-05-11 16:25:26 | Weblog
私が生まれた頃

父方の祖父 母方の祖父母はなく

父方の祖母も多分病気であったろう・・

私が1歳になって数ヵ月後に亡くなっている。

兄は4歳。

子守がいないから農繁期は藁で作った“ミ”なのか“ビク”なのか

そういうようなものに入れられていたそうな。

3年後 7年後に妹が生まれ

水のみ百姓 昔なら小作人の貧しい農家。

その頃は 収穫もよくなくて・・・


妹が生まれた年に父は会社務めをするようになり

毎日 自転車で決まった時間に行き 帰る生活。

母は 土地改良でスコップとかをもって力仕事をしていた。

小学校の行き帰りにはよく見かけた。

近所のお母さんたちはほとんど働いていて

大変だな と思うことはなかったが

今になって「きつかったろう」と思う。

母さん、よく働いてくださいました。

改めて感謝です。



身体の弱かった父さんを労わり

父さんだけに お刺身。

「父さんが一番大事。」

「父さんのおかげ。」

私達子供は ツマをいただいた。

庭の鶏が産んだ1個の卵で卵かけご飯を4人分。

そういえば

幼稚園の遠足は 父が付き添ってくれてた。

小学校の参観も父だった。

最近 気がついた・・・

妹達がいたからだってこと。

教科書の名前はいつも父が書いてくれ

毎年その度に担任の先生がほめてくれた。

「お父さんは字が上手だね。」

自慢でした。

 

よく自転車の前に私 後ろに兄を乗せて

数キロはなれたおばさんちに連れて行ってもらった・・・

いつも三人だった。

なぜ兄と私だけだったのか・・・

妹達が小さかったから・・・それだけのこと。

最近 ようやくわかった。


今でも 電車もバスも通っていない。



ほとんどの家は おじいさん おばあさんがいて

うらやましいとか は なかったけれど


小学校高学年にからは 学校を休んで田植えを手伝ったりしてた。

夜 星空の下で母と田んぼを耕した事もある。

兄とリヤカーを引いて1キロほどの農道を何往復もした。

何を積んでいたか・・・

藁だったり 脱穀したばかりのお米だったり

農機具だったり かな?

よそ様が 耕運機やら ミゼットやら を使うようになっても

うちは なかった。

よそ様が どんどん車に乗るようになっても

兄が 社会人になって車に乗るようになるまで

うちだけは 車がなかった。

でも それを貧乏と思わなかった。

比較 をしない子供だったように思う。

友達たちが 一日10円のおこづかいをもらっていても

1ヶ月の小遣いを千円と聞いても欲しいとは思わなかった。

うらやましいとかの感情もなかった。



祖父母がなかったから 学校を休んで田んぼを手伝った。

田植えや稲刈り どうかすると 親戚の人が手伝いに来てくれた。

祖母の妹だったり 知らない人?だったり

高校生まで学校を休んで田んぼを手伝った。

もともと 学校は好きでなかったから よかった。

喜んで手伝った。

でも 農家は 好きではなかった。

両親の反対を押し切って都会の会社に就職をした。

「小ぬか雨フル御堂筋・・・」

なんて曲が流行っていたころ。

それが そもそもの間違いであった。

しなくてもよい苦労の始まりだった、ね。

親の言うことは 聞くもんだ。

実感。

あめふり です

2009-05-08 11:50:27 | Weblog
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン