素敵な話ですね!!
父親がこんなスーパースターとマッチアップしたことは息子さんも自慢でしょう😘
「おかげで息子が学校で一番に…」イブラが敵マーカーにユニホームを手渡した意外な理由とは?(SOCCER DIGEST Web) - Yahoo!ニュース
スウェーデンのレジェンドが見せた行動が話題を呼んでいる。 現地時間9月17日に開催されたヨーロッパリーグ予選2回戦で、ミランはアイルランドの古豪シャムロック・ローバーズに2-0で勝利した。
脚光が集まっているのは、豪快な先制点を決めたズラタン・イブラヒモビッチの振る舞いだ。スウェーデンの英雄は、試合後に相手FWのアーロン・グリーンへユニホームを与えたのだが、最初はシャツを交換するつもりはなかったという。 では、なぜイブラヒモビッチはユニホームを手渡したのか。地元紙『Irish Sun』によれば、試合終了後、この日のゴール裏でボールパーソンを務めていた愛息を見つめていたグリーンのもとへ「何を見てるんだ?」と歩み寄った38歳は、相手FWから事情を聴き、「俺のユニホームをあげるよ。あんたの息子を喜ばせてあげてほしい」とすかさず行動に出たのだという。
この出来事をシャムロックのエースであるグリーンは、「思わず笑うことしかできなかった」と振り返っている。 「ワールドクラスの選手と対戦しているときに、『君のユニホームが欲しい』なんて言えやしない。でも、それを察して、彼のほうから言ってくれたんだ。もちろん、僕は『ノー。いらないよ』とは言えなかった。家に帰った後も笑みがこぼれてしまったよ。やっぱり彼はレジェンドだ。おかげで息子は翌朝、学校で一番の人気者になれたんだ」 シャムロックのチームメイトたちも驚嘆している。この試合でスタメン出場していたゲイリー・オニールは、「グリーンはコーナーキックの時にイブラヒモビッチをマークしていたからその大役の恩恵を受けたんだね」と明かしている。
「グリーンな本当に幸せそうだったし、見ていて素晴らしい瞬間だと思ったね。もちろん彼らに負けたことは悔しい。とくにイブラヒモビッチは僕らの2枚も、3枚も、上手だった。本当に凄い選手だったよ」
歯に衣着せぬ発言で物議を醸すこともあるイブラヒモビッチだが、シャムロック戦で見せた振る舞いは、「好漢」と呼ぶに相応しいものだった。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
内閣府、新婚生活60万円補助へ 少子化対策で倍増、条件も緩和
対象は「結婚新生活支援事業」を実施する市区町村に住み、新たに婚姻届を出した夫婦。現行は(1)婚姻日の年齢が夫婦とも34歳以下(2)世帯年収が約480万円未満―などの条件に当てはまれば、30万円を上限に補助を受けることができる。
年齢の条件を39歳以下に緩和し、世帯年収も約540万円未満に拡大する。
久々の更新です。見に来てくださっていた方、ありがとうございました。ヤフーニュースで見かけた記事からコメントをしていきたいなと思います。
10万円給付の話題です。
高校生がマスクホルダーの贈り物 罵声浴びる区職員、涙(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
まず、区役所職員に罵声を浴びせる大人へ言いたい!!
自分が稼いだわけではないのに、何を威張っているんでしょうね。
役所が怠けているような言い草ですね。腹が立ちます。
時がくればきちんともらえるってわかっているでしょうに、15時のおやつが待てないで「今すぐじゃなきゃいやだ」ぐずっている子供かと思います。
なぜ「大変だね。ありがとう」の一言が出ないのかな?
自分の一言で相手の気持ちがどん底になったり、頑張る力がわいてきたりする。
この青年たちの方がずっと大人で、周りの人を人を幸せにしてくれるよ。
ありがとう。君たちの行為は区役所だけでなく、このニュースを見た数えきれない人にさわやかな気持ちを届けてくれたよ。
俺と遊ぶかカカーの宗教か、どちらか選べ」 快速FWを動揺させた“番長”ロナウドの誘惑
theWORLD(ザ・ワールド) 11/8(火) 20:31配信
ミラン時代を回想
ロナウドか、それともカカーか。元ブラジル代表のアレシャンドレ・パトは、かつて偉大なる先輩から“究極の選択”を迫られたようだ。
2007年にブラジルの名門インテルナシオナルからミランへ移籍したパトが、多くの馴染み深い同胞たちと共に華やかなフットボールを楽しんでいたことは記憶に新しい。若くして欧州参戦を果たし、その華奢な体型からか幾度も負傷に悩まされてきたものの、カカーやロナウジーニョ、そしてロナウドらと共に過ごしたミラノでの生活は思い出深いものだろう。しかしながら『Fox Sports』のインタビューに応じたパトは、初めてミランのロッカールームへ入ったときの“奇妙な体験談”を明かしている。
「あれは僕が17歳の時だ。僕の座る席はロナウドとマルディーニに挟まれていて、前にはカカーがいたね。するとロナウドがこっちへやってきて『調子はどうだい?』と聞いてきて、僕にプレイボーイ雑誌を見せながらこう言ってきた。『俺とカカー、どちらかを選べ。遊びと宗教、どっちが好きなんだ? 俺のグループか、カカーのグループのどちらかに入るんだよ』ってね。僕は戸惑ったよ。ロナウドは僕が昔プレステで遊んでた選手だし、そんなことになるなんて想像もしてなかった。でもこの出来事は忘れられない瞬間さ」
最終的にパトが“ロナウド派”に属したのか、それとも堅気なグループへ入門したのかは分からないが、ピッチ上においてはカカーとの連携により深いシンパシーを感じていたように思える。
http://www.theworldmagazine.jp
今の時代を象徴している発言だと思います。
(カカーは熱心なクリスチャンである。)
“番長”ロナウドの誘惑はサタンの誘惑にしか聞こえないのである。
おはようございます。
今日は3.11
5年前も金曜日でしたね…。
曜日がひと巡りして、「時代がちょっと流れたな」、
って少し思うのと同時に、
あの時のことを忘れちゃいけない、忘れられないって思います。
神様って、ほんとうにいるのかな?
罪でいっぱいの国が…、っていうならまだ分かるけど、
なんで、よりによって、
純朴な、真面目な人が多い東北が…って、多くの人が思ったでしょう。
私ももちろん、なぜ東北が?っていう答えは分かりません。
もっと違う人を、人殺しを平気でしているような者を・・・って、
(いけないと思いつつも)思ってしまいます。
何で、残虐な殺人をしても、少年法で命を守られているような人がいるのに?
真面目な人が、いきなり命を奪われるのだろう?
無駄なことに税金を使わず、高い壁をお金をいくら払ってでも造って、
津波から守ってもらえなかったのだろう?
真面目に税金を納めていた人が、税金で守られないなんて・・・。
殺人者は塀の中で、逆に税金で守られているのに・・・。
でも、神様はいる。
天国で答えは分かると確信している。
自動的に全世界の全員が救われるって信じてるわけじゃないけど、
震災で亡くなられた多くの人、多くの魂が、
今は天国で憩いを得ているということは信じてるし、そう願っている。
津波は怖くて、苦しかったでしょうね。
避難生活はつらかった(今もお辛い)でしょうね。
体験していない私には共感できないし、
分かったようなことは軽々しく言わないけれど、
心だけは震災に遭われた皆さんに向けます。
(別に是非も何もない、当たり前のこと、将来を考えれば仕方ないこと)
実際はここか・・・、秘密保護法案と抱き合わせで一本をとる。
政府の中枢だけが情報を持ち、秘密裏に決定して国民をコントロールする。
やっぱりな、がっかりだな、そして怒りしか覚えません。
総選挙をやるなら今でしょ。前回じゃなく。
国民投票にすべきでしょ。憲法改正として。
改悪かどうか関係なく自分を通す安部の強引さと、
弁護士として悪人を弁護するような法律の抜け目をつく高村と、
取り巻き連中。
高村は論理がなっていないことに気づいていないなら末期症状ですね。
(分かっていて屁理屈を通そうとしているなら、悪い人ですね。)
ほんとうに危ないですね…。
安部、高村帝国か・・・ここは。と怒りでTVも見たくありません。
国民を信頼していないのに、「国民を信頼している」と言う安部、
「賢い人なら分かりますよね」と。
自分を賢くないと言われたくないから、
分からなくても「分かりました」と言ってしまうような愚かな国民なのでしょうか??
裸の王様じゃないですよ。
分からない論理だから、論理になっていないから分からないのです。
屁理屈を言う人とは、国民は永久に同じ土俵には立てないのです。
「人に親切にするべきである」は法律になりますか?
完全な法律にしようとしても、決してなりません。
でも、親切にはするべきです。
これを「法律になる」という人と、「ならない」という人は同じ土俵には立てないでしょう。
「法律になる」という人は、親切とはどのような場合を指すか延々と定義づけし続けるでしょう。
「この場合は親切か?」「それともお節介か?」
これを定義づけし続けようとしても、終わりません。
はっきりとここからここまでと判決で言っていない(自衛の定義)ことなら、
こう解釈してもいいじゃないか、高村の論理です。
親切と言ったら、人間の常識範囲で判断すべきことです。
屁理屈で、これも何とか親切と言える、というものではありません。
強盗だって、悪い人を襲えば親切の範囲になれるかもしれません。
それにしても「感じ悪いよね、自民党」のプラカードはレベル低いです・・・・。
政府は14日、首相官邸で臨時閣議を開き、自衛隊活動の拡大を図る安全保障関連法案を決定した。集団的自衛権の行使を可能にし、憲法9条に基づく専守防衛を根幹としてきた安全保障政策の歴史的な転換に道を開く内容だ。米軍への後方支援など、自衛隊の海外活動も飛躍的に拡大される。15日に国会に提出し、政権は夏までの成立を目指す。安倍晋三首相は記者会見し「厳格な歯止めを掛けた」と強調したが、民主党など野党は反発を強めており、激しい国会論戦になるのは必至だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150514-00000112-mai-pol
ついに始まりましたね。
あえて消費増税選挙に打って出て、予想通り勝利して、
その奢りから、支持されている政党として最もやりたかったことに手をつけ始めました。
憲法の精神を解釈で変えられるなら、憲法自体が骨抜きになる。
やるならば国民にこの件について直接問うて、憲法を変えてからやって欲しい。
解釈を変えて良いなら、憲法改正の手続きは不要となる。
(この手続きがあることによって、よほどの改悪はできなくなる。
しかし、そもそも改悪は明らかな形ではやって来ない。ひっそり来る。
明らかに基本的人権の条文をなくすことはないが、人権侵害はひっそりと起こってくる。)
いったん法律が出来てしまったら、今後はよほどのことがない限りこれらの法律はなくならないだろう。
自分の意図を超えた暴走をし始めても、法律を廃止するか法律を作らない限り止められない。
それは間に合わない。
「法律がある」「法にのっとっている」という一言は覆すことのできないものすごい力である。
勝てば官軍、それが正義になる。
それが太平洋戦争だったのではないか。
明治維新もある意味そうで、長州の思惑がどんどんまかり通って国家神道にまで行ってしまったと私は考えている。
素晴らしいもの、と見える先には何かコントロールできなくなる力につながってしまう。
抑止力は外に向けて発揮されるかもしれないが、国内の力(人間の思惑、欲)の抑止はできなくなる。
集団的自衛権はないと発言した中曽根元首相にどう伝えますか?しっかり説得できますか?
元兵士の方々、沖縄で多くの親族を亡くされた方に堂々と言えますか?
自衛隊は軍だと発言している安部首相、その精神で何をやっても、どう良いことだと見せようとも、
自分が主体的に動いているようでも実は外国や時代、テロに流されているだけ。
(そして時間の流れで、戦争の反省が記憶からなくなっているだけ。)
あとはどのようにしっぺ返しが来るか、この2015年を後悔する日が来ないだろうか、不安で仕方がないです。
最近、こんな風変わりな、やや困った患者さまに対応しました。
松葉杖を指導してほしいと医師から依頼があり、そのAさんは来られました。
Aさんは私がAさんの身長に合わせた高さの松葉杖に対し、
「こんなに長くされたら困る。もっと低くしてください。」と厳しい口調で言われます。
1段階(2cmくらい)なら理学療法士の設定と人の好みの違いがあることもよくあります。
1段階下げてみましたが、「もっと低く」と言われます。
結局、私が「これでは低すぎて、脇の下から杖が外れて危ないです」と言う高さでしかAさんは納得しません。
「脇から杖が外れないように気をつけること」を念を押して、すり足で歩くように練習し、杖の高さ調節法も指導して帰られました。
それから数日後、「やはり杖を高くしてほしい」と行って来られました。
私は「高い方が良かったじゃないですか」と言いながら(きつくではなく、笑顔で)、高さを変えました。
(数段階高くすべきと思われでしたが、「1段階だけでいい」と強く言われるので、1段階のみとしました。
依然身長に対しては低いままの高さで帰りました)
その後、
「病院の玄関で転倒した。リハビリの人は不親切で、練習もさせずに帰した。
それに、杖の高さを変えてもらいに行ったら、リハビリの人は『自分の言う通りにしなかったからだ』と怒った。」
とAさんから苦情が来たのです。
ひどい言いがかりだな、とスタッフ一同で思うとともに、
「人はこういう風にとることがあるんだ」、ということを考えさせられました。
理学療法士は自分(Aさん)のやりたいように指導すべきだ、やりたい方法を最優先させるべきだ、
「杖の最適の高さは自分(Aさん)の方が理学療法士よりもよく分かっている」という態度、
その方には適切なアドバイスも何の効果もありません。
その方のやりたい範囲で、最善を尽くすしかなくなり、危険性はかなり残ったままです。
私としてはもっと安全な方法を指導したいのに、指導させてくれませんでした。
でも、これが人間の神様への態度かな、と思わされるのです。
私自身のことでもあるのです。
自分がやりたいように、自分がやりたいところで、やりたいタイミングでやって、
うまくいかないと文句を言う。
「何でこうなるんですか」
「私をサポートするのが神様の仕事じゃないですか」
「あんなに初詣でお願いしたじゃないですか」と。
でも、失敗する方法を頑固にやろうとしたのは私自身です。
すべての失敗が私の責任というわけではなく、私の責任であったり、ほかの人の責任でもあったりします。
でも、失敗は神様の側の失敗ではなく、人間自身が失敗の責任を負うべきであることがほとんどです。
今日もどんなことがあるのでしょうか。
どんな人に会うのでしょうか。
散歩しながら
「今日の一日の私の態度はこれから決めることができるんだ。私の側はまだ何も束縛されてはいない」
という思いが出てきました。
では、行ってきます!!