あるクリスチャン理学療法士の思いつき日記

クリスチャン理学療法士の私
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御嶽山の噴火のニュースに思うこと

2014年09月27日 | 気になるニュース

最近まめに更新していないのですが、訪問してくださった方々ありがとうございます。
更新していないにもかかわらず、毎日アクセスがあってビックリしています。

今日は御嶽山の大噴火がありましたね。
本当に心が痛みます。
今も苦しみの中にいらっしゃる方、救助を待っておられる方がおられるんでしょうね。
命の危機の中におられる方もいらっしゃるかもしれません。
神様に助けと癒しを祈ります。

下山して、インタビューに答えている多くの方を見て、何かおかしいなと、違和感を感じる方はおられないですか?
私だけでしょうか?(私だけでなければ、レスをいただけますか?)

なんだか人ごとのような雰囲気を醸(かも)し出している人が多いと感じるんです。
「私は山小屋へ避難して助かりましたが、外にいた他の方が心配です」という悲壮な思いの方がいないのか?
「一歩間違えば、無事に帰って来られなかったのは自分だったかもしれない」と紙一重の命の儚さを思う人がいない?
「私とすれ違って、あの時頂上へ登っていった方はどうなったのだろう」と思いを向ける人がいない?
自分が恐怖だったってことは、直撃した人はどうなったのか?っていう人もいない?

こんなこと考えたのが私だけだったらすみません。
ただ惨状を知らないだけかもしれません。
悪気がないのも分かっています。

でも何だかみんな淡々としていて・・・。
落ち着き過ぎ、なんだか当事者でなかったような。
東日本震災や雲仙普賢岳の時は、こんな感じではなかったような気がするのです・・・。

行方不明の方、意識不明の方、ご家族の方、「うちの人は無事じゃない」と悲しんでおられる方、
どう思われるでしょうか?
そう思うと、なんだか辛いのです。
同じ山に同じ時間にいた仲間じゃないですか。
みんなで心配しようよって、思うんです。

ひき逃げや殺人事件などのインタビューを受ける人も、
「こんな悲鳴や音を聞きました」って言うけど、
なぜ自分が通報しなかったことを悔やまないんだろう??ってすごく疑問だったんです。
自分じゃなかったから良かった・・・かもしれないけど、
それを聞いた被害者のご家族はなんて思います?

「なんであなたがすぐに通報しなかったの?出てみなかったの?」って。
「助かったかもしれないのに。」ってご遺族が思わないのかな?って。

何にも知らない私がこんなこと、生意気に言ってすみません・・・。