あるクリスチャン理学療法士の思いつき日記

クリスチャン理学療法士の私
聖書のこと、日々ニュースに思うこと、大好きな野球の話など
気ままにアップしています。

最近会った困った患者さま 私自身のことでもあるかな…

2015年04月17日 | 日記
>

最近、こんな風変わりな、やや困った患者さまに対応しました。
松葉杖を指導してほしいと医師から依頼があり、そのAさんは来られました。

Aさんは私がAさんの身長に合わせた高さの松葉杖に対し、
「こんなに長くされたら困る。もっと低くしてください。」と厳しい口調で言われます。
1段階(2cmくらい)なら理学療法士の設定と人の好みの違いがあることもよくあります。
1段階下げてみましたが、「もっと低く」と言われます。
結局、私が「これでは低すぎて、脇の下から杖が外れて危ないです」と言う高さでしかAさんは納得しません。

「脇から杖が外れないように気をつけること」を念を押して、すり足で歩くように練習し、杖の高さ調節法も指導して帰られました。

それから数日後、「やはり杖を高くしてほしい」と行って来られました。
私は「高い方が良かったじゃないですか」と言いながら(きつくではなく、笑顔で)、高さを変えました。
(数段階高くすべきと思われでしたが、「1段階だけでいい」と強く言われるので、1段階のみとしました。
 依然身長に対しては低いままの高さで帰りました)

その後、
「病院の玄関で転倒した。リハビリの人は不親切で、練習もさせずに帰した。
 それに、杖の高さを変えてもらいに行ったら、リハビリの人は『自分の言う通りにしなかったからだ』と怒った。」
とAさんから苦情が来たのです。

ひどい言いがかりだな、とスタッフ一同で思うとともに、
「人はこういう風にとることがあるんだ」、ということを考えさせられました。

理学療法士は自分(Aさん)のやりたいように指導すべきだ、やりたい方法を最優先させるべきだ、
「杖の最適の高さは自分(Aさん)の方が理学療法士よりもよく分かっている」という態度、
その方には適切なアドバイスも何の効果もありません。
その方のやりたい範囲で、最善を尽くすしかなくなり、危険性はかなり残ったままです。
私としてはもっと安全な方法を指導したいのに、指導させてくれませんでした。


でも、これが人間の神様への態度かな、と思わされるのです。
私自身のことでもあるのです。

自分がやりたいように、自分がやりたいところで、やりたいタイミングでやって、
うまくいかないと文句を言う。
「何でこうなるんですか」
「私をサポートするのが神様の仕事じゃないですか」
「あんなに初詣でお願いしたじゃないですか」と。

でも、失敗する方法を頑固にやろうとしたのは私自身です。
すべての失敗が私の責任というわけではなく、私の責任であったり、ほかの人の責任でもあったりします。
でも、失敗は神様の側の失敗ではなく、人間自身が失敗の責任を負うべきであることがほとんどです。

今日もどんなことがあるのでしょうか。
どんな人に会うのでしょうか。
散歩しながら
「今日の一日の私の態度はこれから決めることができるんだ。私の側はまだ何も束縛されてはいない」
という思いが出てきました。
では、行ってきます!!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿