最近の日経新聞の政治欄を読んでいると
どうもしっくりこない
なんでもかんでも自分の考えと違うから
という質ではなく、民主党のやり方に
閣僚が様子見であると同時に、政治記者
自身がよくわかっていないのでは
ないだろうか?
民主の決定に対しては、必ずと行って良いほど
「~~としたが、問題は山積している。」
といった表現が目立つ。
また、それに対しての具体的な批判はなく
読者レベルでの ? なのである
民主党が主張していることは、何の問題もなく
何でもスムーズに事が運ぶなんて
少なくとも俺は思っていなかった。
だから、いちいちこの「問題が残っている」発言は
しゃくにさわるのである。
どうせいうなら、その山積している問題を
どうクリアしていくかの意見でも述べてもらった
方が、素直に読むことができそうだし、
それをおざなりにしたから、後で、それ見たことか!
とかぶせられるのである。
今は、その自信がないのかわからないが、
具体的な指摘は避けておいて、失敗したあとの
結果論で語ろうとしているとしか思えない。
今日、それを感じたのは、自民党の役員人事に
ついての記事。
これが、いままでの自民党の歴史やら人と人との
相関関係とか、やたら詳しいのである。
中堅、若手議員の不満などは取り上げられず
記者の知識を存分に振りまいているような
気がしてならない。
新聞は何を伝えるのが正しいのか?
事実のみを正確に伝えるのか?
事実に記者の感情を込めて伝えるのか?
最近の新聞は、論説委員の記事の
押し売りか?って感じ
ここは日経新聞に変わる新しい経済新聞に
出現してもらって、日経に振り回されている
最近の経済から脱却すべきかも。
権力は長いと良いことがないのは
新聞も例外ではない。
なんて書き方が多いねー。
どうもしっくりこない
なんでもかんでも自分の考えと違うから
という質ではなく、民主党のやり方に
閣僚が様子見であると同時に、政治記者
自身がよくわかっていないのでは
ないだろうか?
民主の決定に対しては、必ずと行って良いほど
「~~としたが、問題は山積している。」
といった表現が目立つ。
また、それに対しての具体的な批判はなく
読者レベルでの ? なのである
民主党が主張していることは、何の問題もなく
何でもスムーズに事が運ぶなんて
少なくとも俺は思っていなかった。
だから、いちいちこの「問題が残っている」発言は
しゃくにさわるのである。
どうせいうなら、その山積している問題を
どうクリアしていくかの意見でも述べてもらった
方が、素直に読むことができそうだし、
それをおざなりにしたから、後で、それ見たことか!
とかぶせられるのである。
今は、その自信がないのかわからないが、
具体的な指摘は避けておいて、失敗したあとの
結果論で語ろうとしているとしか思えない。
今日、それを感じたのは、自民党の役員人事に
ついての記事。
これが、いままでの自民党の歴史やら人と人との
相関関係とか、やたら詳しいのである。
中堅、若手議員の不満などは取り上げられず
記者の知識を存分に振りまいているような
気がしてならない。
新聞は何を伝えるのが正しいのか?
事実のみを正確に伝えるのか?
事実に記者の感情を込めて伝えるのか?
最近の新聞は、論説委員の記事の
押し売りか?って感じ
ここは日経新聞に変わる新しい経済新聞に
出現してもらって、日経に振り回されている
最近の経済から脱却すべきかも。
権力は長いと良いことがないのは
新聞も例外ではない。
なんて書き方が多いねー。