013見出し
第2回目の舞鶴公園にこんなもんありますは、
福岡市指定文化財(建造物)名島門です。
【名島門】
奥にある舞鶴中学校のまるで正門代りの如く、中学生が入っていく光景があります。
【名島門の案内標識】
この門は天正16年(1588年)、小早川隆景(たかかげ)が多々良川口の名島(現在の東
区)に築いた名島城の門です。
福岡藩初代藩主・黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田二十四騎の一
人である林掃部(はやしかもん)に下げ渡され、邸宅の門として使用されていました。
名島城の建物や石垣は福岡城築城の際に再利用されましたが、この名島門は名島城の
数少ない遺構の一つです。
明治中期ごろ、名島門は長崎に移築されそうになったのを、当時の代議士・平岡浩太
郎氏によって買い戻され、天神の自宅の門として使用されていました。戦後、ビルの建
設に伴い、平岡浩氏(浩太郎氏の孫)によって現在地に移されました。
この門をくぐって、真直ぐ進むと大濠公園にいけます。
在り処は ココ です。平和台陸上競技場西側の道路を渡ったところです
第2回目の舞鶴公園にこんなもんありますは、
福岡市指定文化財(建造物)名島門です。
【名島門】
奥にある舞鶴中学校のまるで正門代りの如く、中学生が入っていく光景があります。
【名島門の案内標識】
この門は天正16年(1588年)、小早川隆景(たかかげ)が多々良川口の名島(現在の東
区)に築いた名島城の門です。
福岡藩初代藩主・黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田二十四騎の一
人である林掃部(はやしかもん)に下げ渡され、邸宅の門として使用されていました。
名島城の建物や石垣は福岡城築城の際に再利用されましたが、この名島門は名島城の
数少ない遺構の一つです。
明治中期ごろ、名島門は長崎に移築されそうになったのを、当時の代議士・平岡浩太
郎氏によって買い戻され、天神の自宅の門として使用されていました。戦後、ビルの建
設に伴い、平岡浩氏(浩太郎氏の孫)によって現在地に移されました。
この門をくぐって、真直ぐ進むと大濠公園にいけます。
在り処は ココ です。平和台陸上競技場西側の道路を渡ったところです
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