合気道の呼吸力
合気道の技
四方投げ、天地投げ、呼吸投げ、小手返し
また、
呼吸力は合気道の根幹、とも言われたりします。
四方投げの技を出す(使う)には
相手が四方投げにされている体勢じゃないと
掛けられません。
四方投げをうつ側(投げ)は
力ずくでその体勢に持ち込み
技を出すことは可能です。
四方投げと言う技を使うということは
合気道では
とくに合気で相手を崩してから
たまたま、出した技が
結果的に四方投げだったというだけなんです。
呼吸力を使って投げるというのはちょっと正確な表現化ではなく
呼吸力はどれだけ自分の空間に相手を巻き込んでしまうかという
ものです。丹田力といってもいいわのですが
呼吸力。
しかも丹田力は意識が大きな役割をもって
そのクオリティーを決定しています‼️
また、
呼吸力は相手と自分をいかに
合同な図形みたいにぴったり重ねる
か、一体になれるかという尺度でもあります。
合気道に
呼吸力がないとどうなるか
たとえば、大人が小学校低学年の
子どもを無理やり四方投げの形にして
投げるという、力ONLY合気道になります。
合気道では相手と組んで稽古していますね
大きくはですが、
稽古のほんとうのところを体得するには、
本質は、ひとり稽古です。
ひとりで呼吸力からむすび、合気、技の
習得までできます。
但し、初めての方はダメです、じゃあないですよ。
初めての方ももちろん可能です。
それには条件があります。それは、
先生とのマンツーマンでの習得レッスンの
時間をもてることです。
お茶の世界も同じです。
武術と茶道はちがうよ!って言ってたものです私の
若い頃は。
でも気付いたんです。
茶道の世界では和室
それは広間と小間(4.5畳以下)の2種類に大別されます。
小間でお茶を立てるのは
武術の"先"にあたります。
どうしてあんな狭いところでお茶を点てるのか?
長いこと疑問でした。
それが武術で空間(操作)を教えていて、わかる時がやってきました。
なんだ、そうだったのか?
どうして江戸時代に広間でお茶を点てるように移り変わったのかも判りました。
≪室町時代にも8畳でも茶は点てられていました≫
ヒントは武術の世界も茶道の世界も
おんなじやんか!!
空間が狭いという事は手数が限られてきます。
手数が限られてくるという事は
緊張状態(氣が密)を相手と生まれ、作ることになります。
一体感が生まれます。
それを広義のムスビと言い換えています(私の中では)
さらに二畳半、一畳半となると
武術で言うところの「恐怖」と「奮闘・氣」の結節点とでもいう空間に
位置していることになり
そういうギリギリのところの世界をどちらも(武術も茶も)あるということなんです。
無茶苦茶な難しいことを書いているようですが、本当は単純なことなんです(文章だからややこしいだけですよ)
ひとり稽古をもつということは
それを感覚して、体感レベルを磨く絶好の時間なんです。
合気道の技
四方投げ、天地投げ、呼吸投げ、小手返し
また、
呼吸力は合気道の根幹、とも言われたりします。
四方投げの技を出す(使う)には
相手が四方投げにされている体勢じゃないと
掛けられません。
四方投げをうつ側(投げ)は
力ずくでその体勢に持ち込み
技を出すことは可能です。
四方投げと言う技を使うということは
合気道では
とくに合気で相手を崩してから
たまたま、出した技が
結果的に四方投げだったというだけなんです。
呼吸力を使って投げるというのはちょっと正確な表現化ではなく
呼吸力はどれだけ自分の空間に相手を巻き込んでしまうかという
ものです。丹田力といってもいいわのですが
呼吸力。
しかも丹田力は意識が大きな役割をもって
そのクオリティーを決定しています‼️
また、
呼吸力は相手と自分をいかに
合同な図形みたいにぴったり重ねる
か、一体になれるかという尺度でもあります。
合気道に
呼吸力がないとどうなるか
たとえば、大人が小学校低学年の
子どもを無理やり四方投げの形にして
投げるという、力ONLY合気道になります。
合気道では相手と組んで稽古していますね
大きくはですが、
稽古のほんとうのところを体得するには、
本質は、ひとり稽古です。
ひとりで呼吸力からむすび、合気、技の
習得までできます。
但し、初めての方はダメです、じゃあないですよ。
初めての方ももちろん可能です。
それには条件があります。それは、
先生とのマンツーマンでの習得レッスンの
時間をもてることです。
お茶の世界も同じです。
武術と茶道はちがうよ!って言ってたものです私の
若い頃は。
でも気付いたんです。
茶道の世界では和室
それは広間と小間(4.5畳以下)の2種類に大別されます。
小間でお茶を立てるのは
武術の"先"にあたります。
どうしてあんな狭いところでお茶を点てるのか?
長いこと疑問でした。
それが武術で空間(操作)を教えていて、わかる時がやってきました。
なんだ、そうだったのか?
どうして江戸時代に広間でお茶を点てるように移り変わったのかも判りました。
≪室町時代にも8畳でも茶は点てられていました≫
ヒントは武術の世界も茶道の世界も
おんなじやんか!!
空間が狭いという事は手数が限られてきます。
手数が限られてくるという事は
緊張状態(氣が密)を相手と生まれ、作ることになります。
一体感が生まれます。
それを広義のムスビと言い換えています(私の中では)
さらに二畳半、一畳半となると
武術で言うところの「恐怖」と「奮闘・氣」の結節点とでもいう空間に
位置していることになり
そういうギリギリのところの世界をどちらも(武術も茶も)あるということなんです。
無茶苦茶な難しいことを書いているようですが、本当は単純なことなんです(文章だからややこしいだけですよ)
ひとり稽古をもつということは
それを感覚して、体感レベルを磨く絶好の時間なんです。