お道具を大切に扱うとーMusubi の世界を体感。
17才から茶道を町の教室(表千家)で習い始めました。
29才~38才ごろまで休止していてその間は
合気道をやり、40才~空手をはじめ
茶道の稽古を同じ先生について再開してのは40過ぎたったと思います。
ちょっと記憶が今はあいまいですが、
今も続けて稽古場に通っているわけですが
私が武道・武術の世界をのぞかせていただいて
狭い経験ですが
お茶に戻ろうと思ったのは、武術の世界を知ったからです。
武術の世界というのは、
歴史的な経緯をたどりますと、道具を操っての戦いとなります。
形意拳など中国拳法もそうだと聞いたことがありますが、
合気道や空手も武器術が源流となります。
それはそれとして、
茶道と武道をやっていくうちに
茶道と武道がいつのまにか相互浸透して
武術の口伝を茶道の点前で使っていました。
これが
刀(居合刀)を扱ううえでの感覚@@と同じものだと
それはそうです。
人間も物も扱いの本質は同じだと
私はですが、そういう方向に結論をだして今に至っています。
では、茶器を刀と同じように扱うと、何が起きるのか?
何が利点なのか?
その答えは、一般的ですが、無茶苦茶大切に扱うことができます。
おそらく、私が何を言いたいのかわかる方はそんなに多くはないと思います。
が、それからの稽古への姿勢は大きく変しました。
今まで、書や先生たちが述べていた
お道具の扱いについての教えが、感覚として実感できたのです。
17才から茶道を町の教室(表千家)で習い始めました。
29才~38才ごろまで休止していてその間は
合気道をやり、40才~空手をはじめ
茶道の稽古を同じ先生について再開してのは40過ぎたったと思います。
ちょっと記憶が今はあいまいですが、
今も続けて稽古場に通っているわけですが
私が武道・武術の世界をのぞかせていただいて
狭い経験ですが
お茶に戻ろうと思ったのは、武術の世界を知ったからです。
武術の世界というのは、
歴史的な経緯をたどりますと、道具を操っての戦いとなります。
形意拳など中国拳法もそうだと聞いたことがありますが、
合気道や空手も武器術が源流となります。
それはそれとして、
茶道と武道をやっていくうちに
茶道と武道がいつのまにか相互浸透して
武術の口伝を茶道の点前で使っていました。
これが
刀(居合刀)を扱ううえでの感覚@@と同じものだと
それはそうです。
人間も物も扱いの本質は同じだと
私はですが、そういう方向に結論をだして今に至っています。
では、茶器を刀と同じように扱うと、何が起きるのか?
何が利点なのか?
その答えは、一般的ですが、無茶苦茶大切に扱うことができます。
おそらく、私が何を言いたいのかわかる方はそんなに多くはないと思います。
が、それからの稽古への姿勢は大きく変しました。
今まで、書や先生たちが述べていた
お道具の扱いについての教えが、感覚として実感できたのです。