喪乱帖がなぜ 今 日本の国宝なのかの議論は専門的すぎて説明できません
漢字は甲骨文から始まり 篆書 隷書 楷書 行書 草書と変遷しますが現在使われている行 草 楷の規範となったのが王羲之の書です 千数百年前の東晋 唐の時代です
以降新しい書体は出来ていません その歴史の中心が王羲之であり最も近いとされる臨模本(コピー)が喪乱帖です。
喪乱帖は奈良時代に日本に到来して弘法大師 小野道風等々が継承して現代に伝わっています 喪乱帖を稽古しない書家はいません 香石が敬愛する米山も生涯かけて修練した法帖です。改めて写真を撮りました 17行129文字
見慣れた書体だと感じられたでしょう そのはず千数百年来 書の規範として学んだ書体だからです。以上は香石の取り急ぎかいた王羲之と喪乱帖 説明です説明足らずを感じながら.
喪乱帖 の解釈
羲之頓首 喪乱の極み天下大乱で先祖の墓が再びひどいことになりました。 追思すれば誠に酷く 号泣して慕い 心は砕けるようで悲しい思いが肝を貫いてきます。この苦痛はいったいどうすれば良いのでしょうか すぐに修復はしましたが まだ馳せ参じることはできません 悲痛の心は益々深くなるばかりです
どうすれば良いのでしょうか どうすればいいのでしょうか
手紙を書きながら感極まって泣き なんといってよいのかわかりません
羲之が慎んで再拝致します
香石 師は何度も、何度も、喪乱帖 を臨書するも、納得いかない事が多い。