1990年代パチンコ・パチスロ実戦記「バラのつぼみ」

私が学生時代に書き留めていたパチンコ・パチスロの実戦データをベースに当時を懐かしむブログにしようと思っています。

私の楽しんだ平成のパチスロ その②

2020-12-29 00:27:27 | 機種情報他
2019年6月に「私が楽しんだ平成のパチスロ」というタイトルで初4号機チェリーバー登場まで語りましたがその後が滞っていましたのでその②として書きます。

1992年末にエレクトロコインジャパンより初4号機チェリーバーがA-Cタイプとして発売されました。2号機3号機のA-Cタイプとは違い規制によりパンク確率が1/150以上になったため一撃長打の破壊力がなくなり不満が残りました。その後も集中時のシングル確率を高め集中時1Gあたりの増加枚数を増やしたり(ユニバーサル販売のソレックス等)、B-Cタイプにしたり(ユニバーサル販売のキングオブカリブ、ハリケーン等)して集中役の存在感を向上させようとしていましたがユーザーを満足させるに至らず、4号機でBIG以外の役がメイン役となるのはAT機の獣王の発売を待たなければいけません。また4号機には付き物のリプレイ外し攻略法も通用しました。チェリーバーは他機種と違い2枚掛けにするとジャックイン確率が上がるというおまけもついていたので小役ゲームを25Gくらいまで引っ張れたように記憶しています。元祖4号機のチェリーバーから続くリプレイ外し攻略ですが1995年8月にクランキーコンドルが発売されるまではBIG1回あたりの増加枚数10枚~30枚程度で割と地味攻略法扱いというか実践者がそこまで多くない攻略法として存続していきます。

チェリーバーに続く4号機はメーシー販売のBタイプ機トロピカーナや高砂電器産業の同じくBタイプ機ロイヤルタカシーが発売されました。Bタイプは2号機の頃からあったと思いますが、2号機3号機は各メーカー2機種までしか発売できませんでしたので保守的なAタイプの発売が多く、4号機からメーカーごとの発売機種の制約がなくなったためある意味奇抜なBタイプも積極的に開発・発売されるようになります。と、Bタイプが2機種発売されるのですがユーザーはやはりAタイプを望んでいたようで2機種とも大ヒットとはいきませんでした。そんな時に山佐から満を持して発売されたAタイプがニューパルサーです(1993年4月頃の発売だったと思います)。ゲーム性自体は2-2号機のビッグパルサー、3-1号機のスーパープラネットと概ね違わないのですが、ユーザーがオーソドックスなAタイプを求めていたからか大ヒット機種となります。確かに4号機初期のチェリーバー、トロピカーナ、ザンガス、オリエンタルⅡ、ソレックス、ペガサスワープG等々ほとんどの機種が何らかの告知機能を有しており、当時のパチスロの醍醐味の一つであったリーチ目を楽しめる機種が少なかった事もあってニューパルは他メーカーの機種と一線を画す完成度だったと思います。その後当分はどのお店に行ってもニューパルサーが設置してあるといった状態でニューパル(山佐)天下が続きました。
その他メーカーはオリンピアがプレイガールVを発売しますがこちらもレギュラーなしのA-Cタイプだったため中途半端な感じが否めませんでした。ユニバがリールフラッシュの呪縛から逃れられなかったのと同様にオリンピアはバニーシリーズにあったフルーツの集中の呪縛から逃れられていなかった印象を受けます。3号機で唯一小役ゲームが期待値方式だったミラクルで存在感を示した尚球社の4-1号機は他メーカーより一歩遅れましたがその分満を持した感じでジャックポットⅡを発売しました。ミラクル譲りのMAXBETボタン搭載で操作性も良くリプレイ外しは出来ませんでしたがなかなか楽しい台でした。
で、山佐対抗の大本命のユニバーサルグループですがリールフラッシュへのこだわりが災いしたのか山佐の後塵を拝す事になってしまいました。じりじり山佐にシュアを奪われたであろうユニバーサルグループはこだわりのリールフラッシュを捨てイブXやフリッパー3といった代役絵柄を利用したリーチ目機種が発売します。ですが出目テーブルを使った山佐機と違い単純なコントロール方式で基本的に一直線系かテンパイ系のリーチ目しかなくテーブル方式リーチ目の奥深さに及ばず大ヒットには至りません。テーブル方式のリーチ目を搭載した機種は1995年8月に発売されたクランキーコンドルまでまたなければいけないのですが、この機種が皆さんご存じの通り一世を風靡する事となります。

疲れたのでクランキーコンドル後のパチスロ事情はその③にします。


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