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くろやなぎ農園 農園便り

長野県上水内郡飯綱町で自然農法の米、野菜、果物を育てています。援農、農作業体験したい方大歓迎、後継者募集中。

くろやなぎ流自然農法

2014-06-10 | くろやなぎ流自然農法


こだわりの土作り
「くろやなぎ流自然農法」にたどり着くまでの経過を簡単に紹介します

 
1994年48歳のとき公務員をやめ農業を始める。

無農薬で野菜作りを試みるがうまくいったのは1年目だけで
 
2年目からは病害虫の被害が多くなり、しかも年々悪くなるばかりで

4年目には満足な野菜は皆無となってしまう。
 
一方野菜の他に、現金収入を得るために栽培していたタラの木も、4年目にはほとんど枯れてしまい、
 
このまま農業を続けることが困難な状態に追い込まれる。
 
その年の秋の終りに畑全体を見渡せる所に腰を下ろし、失意のどん底でぼんやりと畑をながめていた時、
 
山際のタラの木だけが枯れていない事に気付く。なぜだろうと思いそのタラの木の根を掘ってみると、
 
その根は山の方へ伸びていて腐葉土の中に広がっていたのだ。

腐葉土の中にはタラの木が生きて行くうえで、
欠かすことのできないものがあるに違いない。

野菜作りにも腐葉土を使えばうまくいくのではないかと思い立ち、
 
雪の降る前に大量の腐葉土を畑に入れて祈るような気持ちで春を待つ。

翌年、なんと病害虫の発生が
ほとんど無く、良い野菜ができたのである。
 
腐葉土を畑に入れる方法を「腐葉土農法」と名づける。
 
 
 「腐葉土農法」から「自然農法」へ
 
腐葉土農法は畑の規模が小さい場合は何とかなるが、規模が大きくなると物理的に無理なため
 
他によい方法が無いか模索する。そこで思いついたのが畑に腐葉土ができる状態を再現する方法である。
 
山の腐葉土は落ち葉が堆積して地面を覆っている状態が続くことによりできる
 
このことにヒントを得て畑の地面に落ち葉や刈草を敷きつめる、

補助的に米ぬかやストーブの灰、台所のごみなどを入れる。
 
ただ全面に敷きつめてしまうと作付けができないので、畑の半分に上記のことを実施する。
 
1年では分解が不充分なので2年待って作付けをする。

今度は前年まで作付けしていた半分に同じ事ことを繰り返す。
 
敷きつめた落ち葉や刈草の下を覗くとミミズがうようよしていて、良好な土になっていることがわかる。
 
そして野菜も病害虫の被害がほとんど無く良いものができることから、

無農薬栽培が成功したと思われる
 
この方法を「くろやなぎ流自然農法」と名づける。
 
 

詳しくは健康な野菜を求めて その1

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「健康な野菜を求めて」その1  

2014-06-09 | くろやなぎ流自然農法

1994年脱サラをして無農薬野菜作りを始める、

そしてその野菜作りが軌道に乗るまでを記述した「健康な野菜を求めて」をシリーズでお伝えします。
 
これは2002年に書いたものです。
 
 
「健康な野菜を求めて」その1
 
1994年冬(何かが変だ決断の時)
 
蛍を見なくなって何年がたつだろう。田んぼのドジョウやタニシ、小川の蟹や魚はどこかへ行ってしまった。

野原では蜂やトンボがめっきり少なくなった。
 
山のきのこが少なくなり、特に本シメジは幻のきのことなってしまう。
 
松が枯れ始める。昔食べた美味しい野菜はどうなってしまったのだろうか。
 
小動物、微生物、植物に何か異変が起きている。同じ生物としての人間だけが例外ということはありえない。

既にその兆候は現れている。

癌、アトピー、糖尿病・・・・・・
 
国民年間医療費が30兆円に迫ろうとしている、この事が何よりの証拠。

4人家族で100万円。年々増え続ける医療費、多くの人が健康を害しているのではないだろうか。

何か悪いほうに進んでいるような気がしてならない。
 
原因はいろいろあるだろうが、食べ物が決定的に影響を及ぼしているに違いない。
 
農薬が残留している農産物、ミネラル不足な野菜、合成化学物質の入った加工食品
 
生態系を無視して飼育された畜産物、汚染の進んだ水道水・・・・・・・
 
このままではいけない、自分の健康は自分で守るしかない。

今、物質的には充分豊だこれ以上ほしい物はあまりない、健康でさえあれば充分だ。

自分で食べるものは自分で作りたい。脱サラをして農業をやりたい、しかし収入が心配だ。
 
「かごの鳥ではあるまいしなぜ羽ばたかぬ大空を」
 
1994年3月、定年まで10数年を残して公務員を辞め、そして完全無農薬野菜作りに挑戦した。

以下はその記録である。


「健康な野菜を求めて」その2
 
 

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「健康な野菜を求めて」その2

2014-05-27 | くろやなぎ流自然農法

1994年
 
 まず1年で結果が出る野菜を作ることにする。

 小規模で始めて うまく行くという見通しが付いた時点で規模を拡大して、さらに米や果物の栽培をすればよい。

 場所は山際の何年も放置された畑を使うことにする。この畑なら環境も良いしうまくいきそうだ。
 
 面積は約3反歩(900坪)。脱サラした時のことを考え 既に山菜(主にタラの木)が植えてある。

 このうち200坪ほどを 野菜畑として使うことにする。

 タラの木を伐採して、昨年の秋に作っておいた堆肥を入れ耕運機で耕す。
 
 3年前の秋に植えたタラの木は順調に成育している。
 
 5月の連休の頃になるとすくすくと芽が伸び始める。

 近くの蕎麦屋に売込みが成功して幸先良いスタートだ。
 
 野菜の栽培については、枝豆の虫食いが多かったこと、キャベツが青虫にやられたこと、

 トウモロコシには油虫が発生したこと以外は たいした病害虫の発生も無くまあまあのものが出来る。
 
 農業関係の本によると 堆肥を入れ続けると少しずつ良くなると書いてある。
 
 と言うことは 来年はかなり良いものが出来そうだ。無農薬野菜作りは案外簡単かもしれない。


「健康な野菜を求めて」その3

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「健康な野菜を求めて」その3

2014-05-22 | くろやなぎ流自然農法

1995年
 
 タラの木の様子が変だ、5月になっても10数本芽が出ないのだ。

 その他芽が弱々しいものとか、夏になって葉がしおれるものが続出する。
 
 野菜の成育は昨年より良くなると思ったが、逆に悪いような気がする。
 
 キャベツは昨年の反省から防虫ネットを掛ける。

 トマトは8月頃病気になり半分も収穫しないうちにだめになる。

 きゅうりは4段目を収穫した時点で病気になり枯れてしまう。

 トウモロコシと枝豆は油虫が多く発生し虫食いも多い。

 白菜は回りの葉が早く枯れてしまい良いものが出来ない。

 堆肥を入れるだけではだめなのだろうか、少し心配になってきた。
 
 秋の終わりに枯れたタラの木切ってみると、幹にはテッポウ虫(カミキリ虫の幼虫)が居るではないか。

 という事はテッポウ虫が侵入するから枯れるのだろう。
 
 それならカミキリムシが卵を産み付けないようにすれば良い。

 さくらんぼや梅の木をテッポウ虫の被害から守るため、幹に虫除けを塗る方法がある。

 この方法をタラの木で実施してみることにする。

 ちょっと手間が掛かったがこれで来年は大丈夫だろう。


「健康な野菜を求めて」その4

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「健康な野菜を求めて」その4

2014-05-14 | くろやなぎ流自然農法

1996年
 
 タラの木の様子はどうだろうか、期待と不安を胸に発芽の時期を迎える。
 
 なんということだ、全体の半分ほど全く芽が出ないではないか。

 しかも残りの大半は弱々しい芽ばかりだ。そしてその出始めた芽に無数の白い虫が付いている。

 虫は幹をよじ登ってきて新しく出てきた芽を食い尽くしてしまうのだ。
 
 どうしたらいいだろうか。殺虫剤を散布すれば簡単だが、無農薬野菜を志した者としてはそれは出来ない。

 この虫の名はゾウ虫と言い羽が無い、それならば幹をよじ登れないようにすれば良いのではないか。

 タラの木にビニールを巻き付けることにする。
 
 野菜の成育は年々悪くなる一方だ。トマトは収穫前に病気になり全滅、

 野沢菜は葉に斑点が出来て良いものが出来ない、白菜は若干根こぶ病が発生
 
 全般に害虫の発生が多いような気がする。堆肥を昨年より多めに入れる。

 来年は少し良くなってくれるといいのだが。
 

「健康な野菜をもとめて」その5

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「健康な野菜を求めて」その5

2014-05-06 | くろやなぎ流自然農法

1997年
 
 タラの木は、ゾウ虫よけのビニール巻の努力も空しく大半が枯れてしまい、残ったのはほんのわずかとなってしまった。
 
 野菜の出来は昨年より更に悪くなる。大根は葉がちじれたものが多い。枝豆には虫食いが目立つ。

 きゅうりはあまり採らないうちに葉に斑点ができて枯れてしまう。ナスは連作障害のようだ。白菜は大半が根こぶ病になる。
 
 4年間を振り返ってみて、これではプロの百姓とはいえない。

 ただ単に農薬を使わないと言うだけで、こんな事なら誰でもできる。

 いくら試験栽培とは言えショックは大きい。
 
 
 11月の上旬の晴れた日、畑全体を見渡せる所に腰を下ろしこれからのことを考えることにした。

 このまま来年も続けるなら結果は更に悪くなるだろう。
 
 収入源のタラの木は全滅に近い。それにも増して無農薬栽培の先が全く見えないことのほうが辛い。

 そもそも無農薬栽培は無理なのだろうか、いやそんなことはないはずだ。

 農薬を使い始めたのは、戦後たかだか4、50年ではないか。それ以前は無農薬栽培が当たり前であったはずだ。

 しかし目の前に広がる畑を見ているとそれは空しく響くだけだ。誰か教えてくれる人はいないだろうか。

 ああ来年からどうすればいいのか、諦めてやめるしかないのだろうか。
 
 「迷った時見上げてごらん飯綱山を」畑に来る途中にそんな標識がある。

 いつも見ている飯綱山、今日は心なし大きく見える。

 その時もう一度畑を見渡しているとおや変だなと気づく。

 「タラの木の枯れ方が一様でないのだ。畑の中央部分は全滅に近い。これに対して回りは少し残っている。

 しかも山際のタラの木はほとんど枯れずに生き生きとしているではないか」。なぜだろう?・・・

 その時頭の中にひらめきが走った。
 
 もしかしたら!なぜか体が興奮している。

 足早にスコップと鍬を取りに行き、はやる気持ちを抑えてその山際のタラの木の根を掘ってみた。

 予想通りだ。タラの木の根は山の方へ山の方へと伸びている、夢中でどんどん掘り進む、

 気が付いたら山の中へ10m以上も入っていた。

 同じように山際のタラの木を2,3本掘ってみた結果は同じだった。やはり山の方へ伸びている。
 
 念の為枯れたタラの木の根も掘ってみた。

 案の定その枯れたタラの木の根は畑の中だけで終わっていて、山の方へは伸びていない。

 これで決定的になった。タラの木は山の土が必要なのだ。

 山の中へ伸びているタラの木の根はごく浅いところを横へ横へと広がっていて、決して土の中深くへは入っていない。

 山の土の上層部は腐葉土で覆れている。
 
 タラの木の根はこの腐葉土の中を伸びていたのだ。

 畑に植えたタラの木は4,5年で土に含まれる何かを使い果たしてしまい、

 病気や害虫から自己を守る物質を作れなくなってしまう。その結果として病気になったり害虫に食われてしまう。

 テッポウ虫やゾウ虫にやられるから枯れるのではなく、土に原因があったのだ。結果と原因が逆だ。

 このように考えると全てが見えてくる。
 
 今までなぜこんな単純なことに気が付かなかったのだろう。

 目に付く地上部ばかりに気をとられ、土の中の根については考えが及ばなかった。

 愚かといえば愚か。きっと飯綱山が見るに見かねて教えてくれたのだろう。

 先が見えてきた。なんとも言えない嬉しさがこみ上げてくる。野菜にも同じことが言えるに違いない。

 腐葉土を野菜つくりに使おう。うまくいくかもしれない。いや必ずうまくいく。

 それは形容しがたい確信に近いものとなって心の中に広がってくる。

 先ほど腰を下ろした所へ戻り、もう一度畑を見渡しながら、飯綱山を見ていると思わず涙が出てきてどうすることもできない。
 
 
 「健康な野菜を求めて」その6
 

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「健康な野菜を求めて」その6

2014-05-02 | くろやなぎ流自然農法

山の不思議
 
 一旦山のことに考えが及ぶと、今まで気に止めなかった事が次々と浮かんでくる。
 
 なぜ、山の栗は農薬を使わないのに虫食いが少ないのだろうか。
 
 なぜ、山の中に入ると清々しい気持ちになるのだろうか。
 
 なぜ、山の中には良い香りが漂っているのだろうか。
 
 なぜ、山の木は病害虫に強いのだろうか。
 
 なぜ、山のきのこは工場で作ったものより美味しいのだろうか。
 
 なぜ、山際のワラビは良いものが出来るのだろうか。
 
 山の不思議は、タラの木の根からも明らかなように、腐葉土が大きく関わっていることは容易に想像が付く。

 そこできのこ狩りを兼ねて山の腐葉土を見て歩く。

 畑の近くに樹齢100年はあろうかと思われる雑木林があるではないか。
 
 なんと幸運なことか。ナラ、クヌギ等でこれだけ大きい木は、あまり見かけない。
 
 落ち葉がまるで厚いじゅうたんのようだ。このふかふかが心地良い。

 見上げればまるで尺玉花火のように、枝が大きく広がっている。ここに居るだけで心が洗われる思いがする。

 あたりを見渡すと、きのこが生えている。紫シメジ、チャナメツムタケ、その他名前の知らないきのこ。
 
 きのこを採りながら落ち葉を剥いで見ると、その下は白いカビのようなものが広がっている。



 半ば分解し始めた落ち葉に、その白い物がはびこっている感じだ。

 大きな木の根元には特に落ち葉が厚く堆積している。ここの落ち葉を剥いで見ると、

 ここだけ白さが違う、白い物の密度が一段と高い。

 ちょうど白い粉を撒き散らしたような感じだ。白い物を手で取ろうとしたがうまく取れない、
 
 なんと木の毛根がその白い物の所で、細かい網の目のようにびっしりと、異常に繁殖している。

 取ろうとすると木の毛根も一緒に付いてきてしまう。なぜ木の毛根は白い物の所で異常に繁殖しているのだろうか。

 それは木の毛根が白い物から養分をもらうためだと思われる。

 という事はこの白い物が木の成育に大きく影響していることは間違いない。

 ところで、この白い物の正体は。カビのような状態からして醗酵菌の仲間のような気がする。

 醗酵菌なら培養すれば増えるからそれでわかる。白い物を持ち帰り、米ぬか、糖蜜、水を加えてかき混ぜる。

 毛布で覆い保温と水分調整をする。数日すると昔、麹を作った時のような匂いがしてきた。醗酵を始めたのだ。

 これで白い物の正体はわかった、醗酵菌である。以下この白い物を[山の精]と呼ぶことにする。
 
 山の不思議は、[山の精]が大きく影響を及ぼしていることはほぼ間違いない。
 
 落ち葉の下は[山の精]に覆われ醗酵の世界が広がっていたのだ。

 腐葉土と書くから落ち葉が腐敗していると思っていたが実は醗酵していたのだ。

 醗酵と腐敗では雲泥の差だ。ただ山の不思議の原因は[山の精]だけが全てだとは思われない、
 
 他にもまだ原因があるような気がする。それは次のようなことから想像がつく。
 
 もう一度タラの木について考えてみる。

 山の木を伐採すると一斉にタラに木が繁殖して、タラの木の林が出現することがある。

 このような場所は数年経つと全てが枯れてしまう。

 ところが沢筋とか近くに湧き水のある所のタラの木は長い期間枯れない。
 
 これは何を意味するのだろうか、水が関係しているに違いないが、ただ単にH2Oなのだろうか。

 水に含まれるミネラルの可能性が高い。畑や山の木を伐採した場所は数年でミネラルがなくなってしまう。

 ところが沢筋や湧き水のある場所は水のおかげだ常にミネラルが補給されると考えられる。

 以上のことから次ぎのような仮説を立てることにする。
 

「健康な野菜を求めて」その7
 
 

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「健康な野菜を求めて」その7

2014-04-18 | くろやなぎ流自然農法


山の不思議の仮説
 
 
 山の不思議の原因の主なものは以下の二つとする
 
 1 「山の精」を主体とした醗酵系の有用微生物
 
   これらの菌が高い密度で優占しているから、悪い菌や害虫が繁殖できない。
 
   このため病気や害虫が発生しない。
 
 2 腐葉土に含まれるミネラル(微量要素)
 
   植物が自己を守る物質が腐葉土の中にある。
 
   このため病気や害虫にやられない。
 
 
 山の土の断面
 
 落葉1・・・ 分解していない木の葉、木の実、小枝
 
 落葉2・・・ 分解し始めた木の葉等(醗酵菌が優占していて悪い菌がいない)
 
 黒い土・・・ 有機質多い、有用微生物多い、ミネラル豊富
 
 山土・・・・ 昔からの土で有機質少ない、有用微生物少ない、ミネラル豊富
 
 下から山土、黒い土(腐葉土)、落ち葉2、落ち葉1の順になっている。
 
 「山の精」は黒い土と落ち葉2の境目に発生する。


「健康な野菜を求めて」その8

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「健康な野菜を求めて」その8

2014-04-07 | くろやなぎ流自然農法

 健康な野菜作りに必要な土壌ミネラル

 野菜は土中のミネラルを吸収して蓄える。

 土に含まれているミネラルは、地域によってその種類と量が違うと言われている。

 例えば北海道、九州、アメリカ、中国、インドでは土のミネラルは全然違う。

 「身土不二」という言葉がある。身体と土は二つではなく一つという事であり、

 身体と土は野菜を介して一体となっているというような意味である。

 このことからその地方の人はその地方の物を食べる事が大切という意味で使われている。

 ではなぜよその地域の物ではいけないのだろうか。それは人間の進化に関係している。

 我々の祖先は、この地方で採れた食料を何代にもわたって食べ続け、長い年月を経て、

 この地方の土壌のミネラルの種類と量(以下ミネラルバランスという)に適合した体質になったのである。

 言い換えれば、そのような体質の人のみが子孫を残すことができ、現在につながっている。

 100年や200年では私達の体質は変えられない。

 今現在生きている私達はその子孫だからこのミネラルバランスを保っている食料を食べる事が、必要不可欠と考えられる。

 ということはこのミネラルバランスを保った土で野菜を作ることが求められる。

 アメリカや中国で作った野菜では、私たちが必要としているミネラルは摂取できない。

 畑のミネラルは収穫物としてどんどん外へ持ち出されてしまう。

 現在は昔と違い生ごみや排泄物を畑に戻すことをしない。

 このため長年野菜を作り続けるとミネラル不足の土壌になってしまう。

 化学肥料ではミネラルを補うことはできない。

 だから巷には今、ミネラル不足の野菜が溢れているのである。
  
 そこでミネラルを含んだ有機肥料栽培が見直されてきた。

 しかしこの場合ただ単にミネラルを含んでいれば良いと言うものではない。

 我々の祖先が使っていた当時の、ミネラルバランスに適合した肥料でなければならない。

 野菜等の農作物の根が届くのは、地表からせいぜい数10cm程度であろう。

 長年の野菜栽培でミネラル不足になるのはそこまでで、それより下は昔のままミネラルが残っていると考えられる。

 それではその部分の土を掘り起こして使えばよいのだろうか。現実的にそのようなことは無理だ。

 厖大な労力がかかるうえ、有機質が少なくて野菜がうまく育たない。

 山の腐葉土について再度考えてみる。植物は土中のミネラルを吸収して蓄る。

 山の腐葉土は木の葉等が堆積したものだから、この中に当然ミネラルが含まれている。

 特に大きな木はその深い根により、土中深くからもミネラルを吸収してくれるはずだ。

 この「土中深い」というところが重要である。

 土中深くには我々の祖先の時代と同じミネラルが、手付かずで残っていると考えられる。

 大きな木は、ちょうどポンプがミネラルを吸い上げ、木の葉等に姿を変えてミネラルのシャワーを降らせているみたいだ。

 このように考えると山の木は、我々の祖先が使っていたミネラルを腐葉土の中に再現してくれている。

 腐葉土を使えば、健康な野菜作りに必要なミネラルを含んだ土を、簡単に手に入れることができる。

 何とありがたいことだろう。


「健康な野菜を求めて」その9
 

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「健康な野菜を求めて」その9

2014-03-30 | くろやなぎ流自然農法

野菜作りに山の腐葉土を使う
 
 山の不思議の仮説が正しいなら、野菜作りに山の腐葉土を使えばうまくいくに違いない。
 
来年(1998年)は、是が非でも無農薬野菜作りを成功させなければならない。
 
そのためには畑の土を、腐葉土で置き換えてしまうぐらいのことをしてみよう。
 
面積を小さくすればその様なことは可能だ。来年の作付けは半分に減らして100坪とする。
 
100坪なら使う腐葉土の量は知れている。
 
秋はもう終わりに近い、雪が降らないうちに腐葉土を運ばなければならない。
 
落ち葉の上の部分を取り除き、その下の落ち葉2と黒い土(健康な野菜を求めてその7参照)
 
の部分を使うことにする。軽トラックで5回ほど運ぶ。量は充分だろう。
 
耕運機で浅く耕す。
 
 
1998年
 
 昨年の秋に入れた腐葉土が良い結果を生んでくれるだろうか。
 
祈るような気持ちで春の作付けをする。収量はどうでもよい、病気にさえならなければ。
 
思いが通じたのか、いや腐葉土の威力に違いない。
 
梅雨の時期になっても病気は発生しない。夏を過ぎても大丈夫。
 
作柄は決して大きいとは言えないが、葉の艶がよく野菜全体がなんとなく強そうな感じがする。
 
昨年だめだった大根やなす、白菜も病気にならないですんだ。
 
しかし驚いた。こんなに違うものなのか。
 
腐葉土には我々の想像が及ばない、秘められた何かがあるのかもしれない。
 
来年は規模を拡大したいところだが、もう1年様子を見ることにする。
 
焦ってもしょうがない。
 
作付けは今年と同じ100坪とし、昨年と同じように腐葉土を入れる。
 
来年もうまくいけば2000年から規模を拡大しよう。
 
そのためにも今から土作りの準備をしておくことにする。


「健康な野菜を求めて」その10

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「健康な野菜を求めて」その10

2014-03-22 | くろやなぎ流自然農法

1999年
 
 今年もうまくいくだろうか、期待に胸を膨らませ作付けをする。
 
栽培品目は昨年と同じにする。野菜の成育状況は昨年より少しよい。
 
病害虫の被害もほとんど無い。今年の野菜はなんとなく甘いような気がする。
 
昨年と今年を振り返ってみてこの腐葉土を使う方法(以下腐葉土農法という)
 
が成功したような気がする。2年続けてうまくいけばまず間違いないだろう。
 
いよいよ来年から規模を拡大することにする。
 
 腐葉土農法が成功することを前提に果樹を植える。
 
プラム、さくらんぼ、梨、りんご、桃、ぶどう、プルーん、栗、柿、くるみ。
 
 秋の終わりに腐葉土を運び耕耘機で耕す。来年が楽しみだ。
 
 
 
2000年
 
 今年から少しではあるが、規模拡大ができると思うと嬉しい。
 
作付けは200坪増やし合計1反歩(300坪)とする。
 
販売先を探さなければ。新聞社へお願いに行き、小さい記事を掲載してもらう。
 
おかげで5人ほどお客を確保できる。1週間に1回野菜の宅配を始める。
 
今年はトマトも栽培する。ピーマン、ミニトマト、オクラ、大根、スイカ等のあまりにも良いできばえに驚いた。
 
さらに驚いたことは野菜の味の違いだ。昨年もそれは感じたのだが、今年ははっきりと分かる。
 
とにかく美味しい。こくがあり、香りも強く、全般に甘い(ニラまで甘い)。
 
これが野菜本来の味かも(幼い頃食べた野菜の味が脳裏をかすめる)。
 
土のレベルが上がってきたのだろうか、もしかしたら健康な野菜に一歩近づくことができたのかもしれない。
 
週1回届けるお客さんから、美味しい野菜だと言っていただいた時はやはり嬉しい。
 
昨年と同じく、秋の終わりに腐葉土を運び耕耘機で耕す。


「健康な野菜を求めて」その11
 
 

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「健康な野菜を求めて」その11

2014-03-18 | くろやなぎ流自然農法

野菜作りの原点
 
 野菜は私たちの健康を維持する為のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
 
見ためが良いとか、形が整っているとか、大きさが揃っているというような事は、極端な話しどうでもよい。
 
私たちの健康を維持してくれる野菜は、野菜自体が健康でなければならない。
 
以下そのことについて考えてみる。
 
今、私がここに居るのはなぜだろうか、それは母が私を生んでくれたからである。
 
母は、母の母が生んでくれた。その母の母は・・・・・延々と遡って行く。
 
このうち一人でも不健康な人がいれば私はこの世に存在していない。
 
野菜にも同じことが言える。野菜は1年で世代交代を繰り返している。
 
今ここに野菜の種があるとする。ここに種があるという事は、この種は、
 
何千回、何万回という世代交代を経て今ここに存在していることになる。
 
何千回、何万回のうちたった1回でも不健康になって病害虫にやられると、種は今ここに存在できない。
 
ということは病害虫にやられないことが、健康な野菜の最低の条件といえる。
 
だから無農薬で野菜を栽培してみて、病害虫にやられるか否かで、健康か不健康かの判断が付く。
 
ところが病害虫にやられて、品質が悪かったり穴だらけになっても、無農薬栽培だから仕方ないという人がいる。
 
中には無農薬の証拠だといって平気な人さえいる。
 
しかしこれでは健康な野菜を作ったことにならない。

野菜は本来、病気や害虫から自己を守るもの[防衛物質]を備えていると同時に、
 
動物(昆虫、草食動物、人間)が生きていくうえで欠かすことができない物「栄養物質」を作っている。
 
ところが不健康な野菜は「防衛物質」と「栄養物質」が極端に不足すると考えられる。
 
このため不健康な野菜は、病気になりやすくまた虫が付きやすい。
 
付いた虫は生きていくために沢山食べなければならない。その結果穴だらけとなってしまう。
 
これに対して健康な野菜には、虫が付きにくいうえ「栄養物質」は充分なので、
 
沢山食べる必要はない。結果として穴はちょっとしかあかない。
 
この事は50m程度しか離れていない所で同じ野菜を作っても片方は穴だらけ、
 
片方はほんの少しの穴だけという事実で証明できる。
 
ところで最近は、農薬を使わないと野菜を作れないと言われている。
 
それは土の劣化により、野菜が健康に育たないからだ。
 
農薬自体も恐ろしいが、農薬なしでは育たない、半病人のような野菜そのものが恐ろしい。
 
そのような野菜では、私たちの体が必要とするものを摂取できない。
 
健康を保つには健康なものを食べなければならない、この事は自然界の大原則である。
 
 不健康になった土は、健康な土(有用微生物が優占していて、ミネラルバランスが良好な土)にしてあげなければならない。
 
「健康な土で野菜を作る」これが健康な野菜つくりの絶対条件である。


「健康な野菜を求めて」その12

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「健康な野菜を求めて」その12

2014-03-08 | くろやなぎ流自然農法


2001年~2002年(腐葉土農法から自然農法へ)
 
 山から腐葉土を取ってきて畑に入れる方法は、畑が小規模の場合はそれでもよいかもしれないが
 
ある程度の規模になれば物理的に無理だ。もっとよい方法はないだろうか。
 
山の腐葉土は落ち葉が堆積し、地面を覆っている状態が続くことによってできる。
 
それならば畑もそのような状態を再現すれば良いのではないだろうか。
 
難しい理論はいらない。落ち葉や刈草を直接地面に敷くことにする。
 
まず来年以降作付けする所を決め、この場所にストーブの灰、山の落ち葉と腐葉土、
 
米ぬか、刈草、台所のごみ、畑から出る残渣などを交互に積み重ねることにする。
 
 半年ほどして敷いておいたこれらの下を覗くとミミズがうようよしている、
 
早くも効果が現れたみたいだ。ミミズがいた所の土はふかふかになっている。
 
落ち葉や刈草で地面を覆う方法(以下自然農法という)により、草取りの回数がだいぶ減り、
 
さらに耕すことも極端に少なくなった。除草と耕すことが少なくなれば農作業は、
 
それほど大変ではない。それでいて野菜は充分良いものが出来る。


「健康な野菜を求めて」その13

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「健康な野菜を求めて」その13

2014-03-02 | くろやなぎ流自然農法

2002年(乱舞する蛍)
 
 父が高齢なため2年間休耕していた田んぼを今年から作ることにする。
 
ここの田は東と西から山が迫り、稲作の水は山から出てくる湧き水だけが頼りの所である。
 
春先田の排水溝を大きくするために土を掘っていると、その泥の中にドジョウやカワニナ(巻貝)いる。
 
カワニナがいるということは蛍がいる可能性が高い(蛍の幼虫はカワニナを餌にする)。
 
楽しみが一つふえた。夏が来るのが待ちどうしい。梅雨が明けた数日後の夕方、
 
日が沈むのを待って田んぼえ行ってみる。午後8時少し前、あたりはやっと暗くなる。
 
しかし蛍は見えない、やっぱりいないのだろうか。やることが無いので仕方なく焚き火をすることにする。
 
勢いよく燃える炎は、火の粉をまき散らしながら上昇していく。
 
その時ずいぶん遠くまで飛んでいく火の粉があるものだなと思って見ていると、それが突然消える。
 
消えたと思ったらすぐまたつくではないか。思わず歓声が出る。蛍がいたのだ。
 
よく見るとあっちにもこっちにも。暗闇はどんどん迫ってくる。暗闇が迫るにつれ青白く点滅する光は、
 
その数をましていく。飛んでいるのもあれば稲や草の葉に止まっているのもいる。
 
圧巻は田の上流にある水草の生えた草むらだ。
 
草むらが一つの巨大な塊のようになって無数の青白い光を点滅させている。
 

「健康な野菜を求めて」その14

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「健康な野菜を求めて」その14

2014-02-04 | くろやなぎ流自然農法

健康で肥沃な土の特徴
 
 みみずが多い
 
 土の表面にカビが生える
 
 きのこが出る
 
 生の有機物を投入すると、腐敗することなく醗酵分解する
 
 土に弾力がある
 
 春の雪解けが早い
 
 土の匂いが良い
 
 
 
山菜や木の実は最高の食品
 
 無農薬野菜作りに挑戦してみて、改めて山菜や木の実の素晴らしさに感心させられる。
 
農薬は全くいらない、肥料もいらない、手入れもいらない。そして山菜等の生えている場所は、
 
土壌の良い所、環境の良いところ、きれいな湧き水の出ているところに限られている。
 
なんという素晴らしさ。我々の祖先が遠い昔から、それを食べ続けていたということを考えると、
 
私たちの体はいつの間にか山菜等を食料にすることが、必要不可欠な体質になっているのではないだろうか。
 
山菜等こそが最高な健康食品。わざわざ高いお金を払って、市販されている健康食品?を求める必要などさらさらない。
 
特に春を待ちわびるように、萌えいずる若芽は最高に美味しい。
 
ぜひ積極的に食べるようにしたいものである。
 
 
 
信州の土壌について
 
 長野県人の寿命は、男は全国1番、女は全国4番、という統計発表があった。
 
男女合わせれば、沖縄、熊本、長野がほぼ同じで1番。
 
気候が暖かく過ごしやすい沖縄や熊本と比べて、気候が厳しい長野が同じとは、
 
しかも老人医療費は全国で1番少ない。ということは健康で長生き、
 
死ぬときはコロリという人が多いと思われる
 
なぜだろうか、理由はいろいろあるだろうが、食べ物と水がいいに違いない。
 
「身土不二」という考えに基づけば、東京のような大都会の人は、どこの野菜を食べればよいのだろうか。
 
それは信州の野菜に限る。地理的にも近いこと、何と言っても素晴らしい土壌だからである。
 
 
 
米の素晴らしさ
 
 稲は長年同じ場所で作り続けても、なぜ連作障害が起きないのだろうか。
 
それは水が常にミネラルを補給してくれるためと考えられる。
 
昔から湧き水で作った米は、特に美味しいといわれている。
 
湧き水のほうが川の水よりミネラルが多いからに違いない。
 
そういえばきれいな湧き水の出ているところのせりやワサビ等は特に美味しい。
 
このように考えると米は穀物の中で最高な物と思われる。
 
ミネラルが豊富で美味しい米を食べられることに感謝せずにはいられない。
 
 
以上で「健康な野菜を求めて」のシリーズを終わります。

関連カテゴリー
無農薬野菜について
土作り・腐葉土

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