明治時代、東京の官庁街を西洋風の煉瓦造りとするため大量の煉瓦が必要となり、明治政府は実業界の重鎮渋沢栄一に大量生産が可能な機械式煉瓦工場の設立を要請したそうです。
瓦生産が盛んで良質な粘土が採れること、利根川を利用して東京方面への舟運が見込める渋沢栄一の実家の近くである上敷免に、明治21年日本煉瓦工場が建設されました。
トップの写真は旧事務所です。
ホフマン輪窯6号窯の外見です。明治40年から昭和43年までの約60年間煉瓦を焼き続けたそうです。
3階構造(現存しているのは2階まで)で、1階が窯、2階は粉炭を窯内部に投入する場所で、3階は窯の余熱で煉瓦素地を乾燥させる場所だそうです。内部にはレールが敷かれ、煉瓦を運ぶためのトロッコが走っていたようです。
ホフマン輪窯6号窯内部です。天井にある穴が2階から粉炭を投入する穴です。窯の内部は1000度にもなったそうですから、2階は暑くなかったのですかね?
梁だとかは当時のままだそうです。
旧変電室です。建設当初の蒸気機関から電動機に切り替えるため、明治39年市内で最初に電灯線を引き込んだそうです。
高崎線深谷駅から工場までの約4kmの区間に、明治28年日本初の専用線を敷設。その際に備前渠にかけられたプレート・ガーター橋です。専用線跡地は現在深谷駅から遊歩道となっています。暖かくなったら歩いてみよう。
それにしても、専用線が敷設されるまで舟で運んでいたなんて、知らなかったな。明治時代ですからトラックはないし、陸路は大八車か馬車ですかね?説明者の話だと、信越線碓氷峠の鉄道施設も日本煉瓦製造の煉瓦を使用したそうですが、現場までの運送が滞ったらしく専用線を敷設する要因となったようです。
日本煉瓦製造で製造された煉瓦を用いた主な建物
・東京駅
・司法省(現法務省旧本館)
・日本銀行
・赤坂離宮(現赤坂迎賓館)
・東京大学
また一つ街の知識が増えました。
おまけ
珍しい2羽のカワセミ。
毎日、この場所に止まっています。
上の2枚の写真はアオサギの幼鳥ですかね?巣立ったばかりみたいです。