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ボランティアが歩道を補修

2025-03-13 17:47:00 | 日記

八戸市の中心街で、市民ボランティアが歩道の補修に汗を流した。「まちぐみ」という地元のまちおこし団体が発足10周年を記念し、「だったら自分たちで直してしまおう!」という気合のもと企画。これに呼応した13人の市民が集まり、傷んだタイルの穴をアスファルト舗装の補修材で埋める作業に取り組んだ。


この歩道、長年の風雪にさらされ、あちこちにタイルの剥がれや穴が目立っていた。「つまずいたら一大事!」ということで、地元の有志が率先して補修に乗り出したわけだ。作業は丁寧そのもの。「八戸の街を自慢できる場所にしたい」という思いで、10カ所の歩道を修復した。


さて、この取り組みが今後も続くのかどうかは不明だが、もしこれが恒例行事になったら「八戸式DIYインフラ整備」として全国に広がるかもしれない。とはいえ、歩道の修繕を市民のボランティア頼みにするのもどうかと思うので、行政の出番も期待したいところだ。とはいえ、もし道を直すついでに新しい観光名所のデザインでも生み出せたら、補修作業がいつの間にか「アートプロジェクト」に変わる日も来るかもしれない。次はぜひ、「補修材でモザイクアートでも作ってみる」という方向でどうだろうか?



手を洗いましょう

2025-03-13 17:39:00 | 日記

福岡市でノロウイルスの集団感染が相次いでいる。13日には東区の3つの保育施設と博多区の高齢者施設で、新たに感染が確認された。保育施設では園児44人と職員2人が嘔吐や下痢の症状を訴え、複数の園児からノロウイルスが検出された。幸い重症者はおらず、全員が快方に向かっているという。


一方、高齢者施設では80代から90代の女性5人と職員5人が同様の症状を訴え、このうち女性2人からウイルスが検出された。90代の女性1人が入院しているが、容態については詳しく報じられていない。


保健所は「手洗いの徹底」を呼びかけているが、これはもう、人類が何百年も言われ続けていることだ。それでもなお、ノロウイルスはしぶとく感染を広げている。もはやこれはノロウイルス側に何か特別な戦略があると考えたほうがいいのではないか?例えば、ウイルスが密かに「手を洗わないように誘導するフェロモン」を出しているとか、スマホ画面の汚れに擬態して人間の油断を誘っているとか。


しかし、結局のところ、手を洗うかどうかは人間の意思にかかっている。ここで我々は問うべきだ。「本当に手を洗うべきなのか?」と。手を洗いすぎると、むしろ適度な菌との共存能力が失われ、結果的に免疫力が低下する可能性もあるのでは?いや、それはさすがに詭弁か。しかし、ノロウイルスがこれほど猛威を振るう中で、いまだに「手洗いの徹底」以上の革新的な対策が生まれないこと自体、何かの陰謀を感じる。もしかすると、ノロウイルスは地球の環境浄化システムの一部で、人間の過剰な衛生意識を試すために存在しているのかもしれない。


いずれにせよ、今日も我々は手を洗う。そしてその行為が、本当にノロウイルスを撃退する唯一の手段なのか、深く考えることなく、ただ習慣として繰り返すのである。



黄砂に吹かれて

2025-03-13 17:35:00 | 日記

黄砂の季節がやってきた。春の風物詩と言えば桜と答えたくなるが、実際には黄砂と答えるのが日本海側住民の正しい春の迎え方なのかもしれない。今日13日(木)は、大陸からの黄砂が日本列島に飛来する見込みで、北日本や東日本、西日本の日本海側では「なんとなく霞んだ空」になる可能性があるとのこと。なんとなく霞んでいるのか、しっかり霞んでいるのか、気象庁の発表にどことなく含みを感じるが、いずれにせよ春らしい景色には違いない。


この黄砂、ただの景観の問題では済まされない。洗濯物を外に干すと、取り込むときには「外で寝てきたのか?」と言いたくなるほどの砂まみれ状態になることもあるし、車のボディに積もった黄砂が雨と混ざれば、謎の芸術作品が完成することもある。黄砂に愛された人々はこれを「春の洗礼」と受け止めているのかもしれないが、洗礼を受けたくない人は、潔く室内干しを選ぶべきだろう。


さらに厄介なのが花粉症持ちの人々だ。黄砂は花粉を巻き込み、症状を悪化させる可能性がある。黄砂単体でも呼吸器系に影響を与えることがあるため、マスクやメガネの装着は必須。もはや防護服でも着た方がいいのではないかと思うほどの対策が求められる。


気象衛星ひまわり9号の画像では、日本海から北日本の一部にかけて茶色く見える黄砂が確認されているとのこと。つまり、衛星からも認識できるレベルの巨大な砂塵が日本列島を襲撃中というわけだ。日本海側では「今日の空は何色?」という問いに「ベージュ」と答えるのが正解になりそうである。


とはいえ、黄砂は何百年も前から日本に訪れている春の風物詩。古の人々も「また来たか…」と嘆きつつ、なんとなくぼんやりした春空を眺めていたのかもしれない。そう考えると、黄砂に文句を言うより「今年も春が来たな」と受け入れる方が、日本の風情を楽しむ方法なのかもしれない。しかし、黄砂の季節に限って布団を外に干した人が翌日から激しく後悔するのは、古今東西変わらぬ人間の営みである。