カズカスタムの模型造り 

 マンガ+アニメ+家庭菜園+プラモデル+朝ドラ 

地震にこだわる理由

2016-11-14 17:16:45 | 住宅

今日 夕方 きゃべつ畑に屋根をかけている時、プロパンガス会社の方が:LPG=プロパン:の検診に来られ、しばし立ち話

そーいえば、熊本地震があった時、フォトの方でライフライン→電気よりガスがいい。

プロパンガスは震度4で自動的にボンベからガスが台所のコンロに供給しない。とフォト

鳥取の地震の時 出雲は震度3=自動停止装置は作動しませんでした。

 

何故、私が地震にこだわるのか?

阪神淡路大震災発生日! 1月17日=私の誕生日だから・・・1月17日になると、なんともいえない気分になります。

あの時、日本家屋、全滅→ハウスメーカーの建物が残りました。

何故か?ハウスメーカーの住宅仕様は、総2階建+外壁の下地は構造用合板だからです。

力は:点:より:面:が強いです。 畳は面→力に強い

 

私の2階の仕事場の床は元々、板張りです。

それでは地震に弱いので、板張りの上にハンドメイドで畳を敷いてます。

 

地震があり避難場所として最適、 耐震状強い建築物→公園の鉄筋コンクリート製の公衆トイレ。。。基礎から建物まで一体化

さらに水が出たら、飲み水、もようしたらトイレ

もし出雲で大地震があって避難する事があれば、身近な公園に避難いたします。 


真面目な人

2016-11-12 18:46:59 | 今朝 起きて思った事

他人を亡きものにする。テレビが、犯人の関係者に:どんな人でした?:と質問

おとなしくて真面目な人でした、信じられません。ほぼそー言う感じ

特徴がないので強いてあげれば:真面目な人:

:真面目な人:僕は一生懸命に仕事しているのに、要領がいい奴が仕事を採って来る

要領がいい→ズルしてる。

違います。要領がいい人は、相手の気持ちになって仕事を採ってきます。

仕事の相手先、忙しい時に営業の来られても迷惑!

お昼前、:あーもう少ししたら昼飯だ。ちょっと心の余裕ができる。そんな時、要領のいい人がやって来る

バカ話をして友人になり、要領のいい人は仕事をゲット!

不真面目そうな人ほど→超真面目・・・

 


30年5月4日 2016年(平成28年)11月10日 の記事→子供部屋について2

2016-11-10 06:15:34 | 住宅

前回、昔の子供部屋は敷地内のプレハブ小屋で、のちに2階建の家が主流になった。無理な国の政策で住宅金融公庫→お安い金利で

購入、やがて子供は独立、ローンだけ残った話でしたが。

何故に子供部屋なるものがブームになったのか?=アメリカ文化のマネをした為です。

 

まずアメリカ映画を見てアメリカの家族の在り方を見てみると、わかります。核家族!!

ある夫婦に子供が生まれました。ママは子供が:ハイハイ:ができる様になると、職場復帰(パートなどではありません)

赤ちゃんはベビーシッターに預けます。パパも仕事に出かけます。

週末になると、友達夫婦を呼び ホームパーティ。パパは日曜は居間でゴロゴロ寝ていません。パパは:イクメンで日曜は

庭の芝生の手入れ、家の補修などします。とにかく、パパとママは休みの日には子供と遊ぶ。やがて子供は:ハイスクール(高校)へ:

地元なら、まだよいですが、通学できないと、高校の寮、カレッジ(大学)も同様。そして子供は就職。

子供は日本で言うと中学までは、パパママと同居 16歳で親元を離れ自立します。

子供は寮でルームメイトと土日 とにかくバイト、生活費を稼ぐ。そして就職、結婚。中古住宅を買う。

出産。グランパ+グランマ(おじいさん+おばあさん)は現役引退して隠居生活、やがてどちらか亡くなり、残された方は老人ホームへ

消費税で運営された老人ホームへ。あまりお金がかからない。

 

アメリカの子供は、小さい頃からすでに自立を:うながされてます。

親も子供が巣立ち、後は夫婦2人で余生をおくります。子供の住んでいる所は下手をすれば:他の州:

子供が親を介護しません。アメリカの福祉で介護施設が親を介護します。

 

日本は元々、平屋の家、わかりやすく言うと、まんが日本話にでてくる。囲炉裏があり、台所兼食堂兼寝室

家族3代10人位でたったひとつの部屋で生活→子供部屋などあるはずがない。

 

アメリカに負けて、アメリカ文化が入り、アメリカのライフスタイルをマネたけど

結果、日本人はアメリカ人では、なかった。

 

日本人は じじ、ばば、親父、おフクロ、子供の3代で同じ敷地に住む。

じじばばは母屋、息子夫婦は離れで住みます。これが基本だと思います。

経済的にも楽です。

田舎のライフスタイル=本来の日本人のライフスタイル

と私は思います。

 

 

 


学校給食の始まり

2016-11-08 06:33:38 | 今朝 起きて思った事

日本、アメリカに負けました。日本経済破綻!!住む所、食べ物がありません。

衣食住があるのは、田舎の農家、空襲にも遭ってない。敗戦処理がほぼ終わり、子供を小学校に行かせよう!!!

ところが、親自体が無職。両親がいても、時間はあるけど、お金がありません。当然、子供に:お弁当:を持たせる事が出来ない。

ちょうど勝ったアメリカ→小麦が大豊作、小麦の流通価格が暴落 それなら負けた日本に小麦を買ってもらおう!!!

それで、学校給食の主食は:パン:と牛乳  

 牛乳で思い出しました。→脱脂粉乳

私はおそらく:脱脂粉乳:を小学校で最後に飲んだ子供世代。→昭和45年 小学校1年 おそらく日本全国そうだったと思います。

 

給食の時間。  まだ体が小さい1年生

給食室から給食を運び、配膳してくれたのは、高学年のお兄さん、お姉さん!

使い古したボコボコのアルマイトの容器に:ひしゃく:で脱脂粉乳を私の容器に、牛乳・・・

脱脂粉乳=とにかく臭い!まずい!

脱脂粉乳→私の想像ですが、牛乳の搾りかすを粉にして、小学校の給食室の職員さんがお湯で戻し

液体にした。学校給食は大好きでしたが、脱脂粉乳は。ちょっと・・・・

 

翌年、小学2年からテトラパック牛乳(ピラミッド型の容器) ほっとしました。脱脂粉乳に比べマイルド。

 

小学校 高学年になり、水曜日は:米のごはんの日:

それは良いですが・。 グリンピースごはん これにはがっかりしました。

グリンピースが白ごはんに混ぜてあり塩味、プラス テトラパック だけ!!

子供心に:手抜き:だと思いました。