読み終わってみれば、とても壮大で、読んだなぁ!という読み応えや重量感がすごく、満足度が高かったです。
でもなあ、登場人物や場所や時代が広すぎてしまった感が・・・。4つ★半
私が感動したのは、読み終わった後調べていたら、なんとメインの2人(リトアニア産まれのポーランド人のブロニスワフ・ピウスツキ、樺太アイヌのヤヨマネクフ)はもちろん、花守信吉(シシラトカ)、千徳太郎治他、ほとんどの人が実際にいた人で、ありえんだろーと思ったことも事実だったということ。
二葉亭四迷と友達だった、金田一さんとの交流、南極探検隊とか、これらもホントだったんですよ・・・
ピウスツキのサハリン研究とバフンケの髑髏
これを読むとブロニスワフ・ピウスツキや、関連する人たちが、その後どうなったか?なども解りますし、写真も色々あるので、実際はどんな風貌の人だったのか?なども解って、とても興味深かったです。ピウスツキとチュフサンマの写真もありますし、バフンケは写真では小柄に見えますが、197センチ超の巨漢だったそうな。
上のpdfには載っていませんが、ピウスツキとチュフサンマの孫がご存命だそうで、ネット検索してしまったら、すぐ横浜市の会社経営木村和保さん(63)の画像までたどり着いてしまい、感慨深かったわ・・・。
やっぱり孫といえども体格も立派で、血筋を感じますね。若い時はきっと相当カッコよかったに違いないわ。
以下、「熱源」のネタバレです
物語は冒頭、ロシアの女性兵クルニコワ伍長の処から始まり、ラストも彼女で締めくくっているんですね。作者は録音物で繋げたかったのかな・・・。
15頁に彼女が聞いた録音物、それはさかのぼること30数年前の1904年(248頁)ボロニスワフが録音機で、イペカラの琴とヤヨマネクフの歌とメッセージを録音したものだったのです!
「俺からの未来への手紙みたいなもんだ。私たちは滅びゆく民といわれることがあります。けれど滅びません。未来がどうなるか誰にもわかりませんが、この録音を聞いてくれたあなたの生きている時代のどこかで、私たちの子孫は変わらず、あるいは変わりながらも、きっと生きています。
もしあなたと私たちの子孫が出会うことがあれば、それがこの場にいる私たちの出会いのような幸せなものでありますように」と。
ラスト、1945年かな?老女になったイペカラとクルニコワ伍長は出会い、その録音された琴を弾いたのが彼女であることでつながるんですよね。
これ映像化する時に、キーになるシーンですよね。
でも、実は最初の100頁位までの第一章は、あんまりハマれなくて(せっかく長年想っていた村一番の女性と結婚できたのに、それらの描写もあまり無く、しらんうちに子供もいて、そのうちあっけなく病気で死んでしまうし・・・)
この小説、色っぽいシーンとかが一切ないんですよ。子供も安心して読めるしそれは良いと思うんです。でも恋愛部分の感情・心理描写があまりにもアッサリなのは、読んでいて盛り上がりに欠けるというか・・。
でも第二章のブロニスワフ・ピウスツキが、直接活動してないのにもかかわらず、ほぼ無実の政治犯の罰則としてサハリンに飛ばされ、過酷な労働の最中、偶然現地で出会ったギリヤーク(アイヌではない現地人)から彼らに興味を持ち、文化や言葉を研究し・・・と、そこらへんから引き込まれ、それ以降は、あれやこれや人が繋がって行って益々面白くなっていきました。
ブロニスワフ・ピウスツキのwiki
以下上記から抜粋
1902年にアイヌとウィルタ(オロッコ)の調査のため樺太へ戻り、写真機と蝋管蓄音機を携えて資料収集を行う。同年農民身分となる。年末には、樺太南部にある集落・アイ(日本名:栄浜村相浜)で村長バフンケの姪チュフサンマと結婚し、一男一女をもうける。二人の子どもは第二次世界大戦後、北海道に移住した。彼らの子孫が現在も日本で生活しており、長男木村助造(1903年-1971年)の子孫はピウスツキ家唯一の男系子孫である。チュフサンマは晩年失明し、1936年1月に樺太で死去した。
1918年、第一次世界大戦終結を前にしてパリでセーヌ川に身を投げて自殺。遺書は無かったために動機は不明である。
(と、ありますが、小説ではパリのアパルトマンで撃たれて死んじゃったのかな?って風にあやふやになってました。自殺に見せかけて殺されたって感じにも取れるような・・・)
それと、ブロニスワフの弟ユゼフ・ピウスツキさんが、実際にも後にポーランド第二共和国初代国家元首となったって凄いですよねえ・・・
あと肺結核で若くして亡くなってしまった優秀な教え子インディン(最初に親しくなったギリヤークのチュウルカの息子)、この人も実在していたんですね(亡くなった理由、経緯なども同じ)
ヤヨマネクㇷのwiki
ほんとに犬ぞりで南極に行ってたのねえー。
探検後に日露戦争の功績として、アイヌでは初の勲八等瑞宝章を授与される。表彰金70円が出たが、山辺は「金を貰うためにロシアと戦ったのではない」として村に寄付したそうです。立派だなあ。この人もガタイが良かったのね。
【第162回 直木賞受賞作】熱源 – 2019/8/28 川越 宗一
樺太(サハリン)で生まれたアイヌ、ヤヨマネクフ。開拓使たちに故郷を奪われ、集団移住を強いられたのち、天然痘やコレラの流行で妻や多くの友人たちを亡くした彼は、やがて山辺安之助と名前を変え、ふたたび樺太に戻ることを志す。
一方、ブロニスワフ・ピウスツキは、リトアニアに生まれた。ロシアの強烈な同化政策により母語であるポーランド語を話すことも許されなかった彼は、皇帝の暗殺計画に巻き込まれ、苦役囚として樺太に送られる。
私はこの「熱源」を読む際、マンガのゴールデンカムイを先に読んでいた為、妙に似た題材だなあ・・・と思いました。でも本作は、アイヌの男性もメインキャラではあるのですが、それよりもポーランド人なのに、こんな極東の樺太にまで飛ばされてやってきて、アイヌの女性と結婚までしてしまう類いまれまれな人生を歩んだ男のお話っていうのが一番印象に残りました。ほぼ事実なのも驚いたし・・・。
ゴールデンカムイはアイヌの美少女アシリパさん等を通してアイヌ文化の知られざる素晴らしい処を世に知らしめた功績があると思います。
でもゴールデンカムイも、手を広げ過ぎちゃってる感(ごめんなさい)があるような・・・。最初のころはすっごく面白かったのだけれど・・・。
いずれにしても、こういうアイヌ、樺太のオロッコ、ギリヤークなど、昔からそこに住んでいた現地人の事を描く作品が世に多く出て、人の目に触れる様になるのは、とても良い事だと思います。
でもなあ、登場人物や場所や時代が広すぎてしまった感が・・・。4つ★半
私が感動したのは、読み終わった後調べていたら、なんとメインの2人(リトアニア産まれのポーランド人のブロニスワフ・ピウスツキ、樺太アイヌのヤヨマネクフ)はもちろん、花守信吉(シシラトカ)、千徳太郎治他、ほとんどの人が実際にいた人で、ありえんだろーと思ったことも事実だったということ。
二葉亭四迷と友達だった、金田一さんとの交流、南極探検隊とか、これらもホントだったんですよ・・・
ピウスツキのサハリン研究とバフンケの髑髏
これを読むとブロニスワフ・ピウスツキや、関連する人たちが、その後どうなったか?なども解りますし、写真も色々あるので、実際はどんな風貌の人だったのか?なども解って、とても興味深かったです。ピウスツキとチュフサンマの写真もありますし、バフンケは写真では小柄に見えますが、197センチ超の巨漢だったそうな。
上のpdfには載っていませんが、ピウスツキとチュフサンマの孫がご存命だそうで、ネット検索してしまったら、すぐ横浜市の会社経営木村和保さん(63)の画像までたどり着いてしまい、感慨深かったわ・・・。
やっぱり孫といえども体格も立派で、血筋を感じますね。若い時はきっと相当カッコよかったに違いないわ。
以下、「熱源」のネタバレです
物語は冒頭、ロシアの女性兵クルニコワ伍長の処から始まり、ラストも彼女で締めくくっているんですね。作者は録音物で繋げたかったのかな・・・。
15頁に彼女が聞いた録音物、それはさかのぼること30数年前の1904年(248頁)ボロニスワフが録音機で、イペカラの琴とヤヨマネクフの歌とメッセージを録音したものだったのです!
「俺からの未来への手紙みたいなもんだ。私たちは滅びゆく民といわれることがあります。けれど滅びません。未来がどうなるか誰にもわかりませんが、この録音を聞いてくれたあなたの生きている時代のどこかで、私たちの子孫は変わらず、あるいは変わりながらも、きっと生きています。
もしあなたと私たちの子孫が出会うことがあれば、それがこの場にいる私たちの出会いのような幸せなものでありますように」と。
ラスト、1945年かな?老女になったイペカラとクルニコワ伍長は出会い、その録音された琴を弾いたのが彼女であることでつながるんですよね。
これ映像化する時に、キーになるシーンですよね。
でも、実は最初の100頁位までの第一章は、あんまりハマれなくて(せっかく長年想っていた村一番の女性と結婚できたのに、それらの描写もあまり無く、しらんうちに子供もいて、そのうちあっけなく病気で死んでしまうし・・・)
この小説、色っぽいシーンとかが一切ないんですよ。子供も安心して読めるしそれは良いと思うんです。でも恋愛部分の感情・心理描写があまりにもアッサリなのは、読んでいて盛り上がりに欠けるというか・・。
でも第二章のブロニスワフ・ピウスツキが、直接活動してないのにもかかわらず、ほぼ無実の政治犯の罰則としてサハリンに飛ばされ、過酷な労働の最中、偶然現地で出会ったギリヤーク(アイヌではない現地人)から彼らに興味を持ち、文化や言葉を研究し・・・と、そこらへんから引き込まれ、それ以降は、あれやこれや人が繋がって行って益々面白くなっていきました。
ブロニスワフ・ピウスツキのwiki
以下上記から抜粋
1902年にアイヌとウィルタ(オロッコ)の調査のため樺太へ戻り、写真機と蝋管蓄音機を携えて資料収集を行う。同年農民身分となる。年末には、樺太南部にある集落・アイ(日本名:栄浜村相浜)で村長バフンケの姪チュフサンマと結婚し、一男一女をもうける。二人の子どもは第二次世界大戦後、北海道に移住した。彼らの子孫が現在も日本で生活しており、長男木村助造(1903年-1971年)の子孫はピウスツキ家唯一の男系子孫である。チュフサンマは晩年失明し、1936年1月に樺太で死去した。
1918年、第一次世界大戦終結を前にしてパリでセーヌ川に身を投げて自殺。遺書は無かったために動機は不明である。
(と、ありますが、小説ではパリのアパルトマンで撃たれて死んじゃったのかな?って風にあやふやになってました。自殺に見せかけて殺されたって感じにも取れるような・・・)
それと、ブロニスワフの弟ユゼフ・ピウスツキさんが、実際にも後にポーランド第二共和国初代国家元首となったって凄いですよねえ・・・
あと肺結核で若くして亡くなってしまった優秀な教え子インディン(最初に親しくなったギリヤークのチュウルカの息子)、この人も実在していたんですね(亡くなった理由、経緯なども同じ)
ヤヨマネクㇷのwiki
ほんとに犬ぞりで南極に行ってたのねえー。
探検後に日露戦争の功績として、アイヌでは初の勲八等瑞宝章を授与される。表彰金70円が出たが、山辺は「金を貰うためにロシアと戦ったのではない」として村に寄付したそうです。立派だなあ。この人もガタイが良かったのね。
【第162回 直木賞受賞作】熱源 – 2019/8/28 川越 宗一
樺太(サハリン)で生まれたアイヌ、ヤヨマネクフ。開拓使たちに故郷を奪われ、集団移住を強いられたのち、天然痘やコレラの流行で妻や多くの友人たちを亡くした彼は、やがて山辺安之助と名前を変え、ふたたび樺太に戻ることを志す。
一方、ブロニスワフ・ピウスツキは、リトアニアに生まれた。ロシアの強烈な同化政策により母語であるポーランド語を話すことも許されなかった彼は、皇帝の暗殺計画に巻き込まれ、苦役囚として樺太に送られる。
私はこの「熱源」を読む際、マンガのゴールデンカムイを先に読んでいた為、妙に似た題材だなあ・・・と思いました。でも本作は、アイヌの男性もメインキャラではあるのですが、それよりもポーランド人なのに、こんな極東の樺太にまで飛ばされてやってきて、アイヌの女性と結婚までしてしまう類いまれまれな人生を歩んだ男のお話っていうのが一番印象に残りました。ほぼ事実なのも驚いたし・・・。
ゴールデンカムイはアイヌの美少女アシリパさん等を通してアイヌ文化の知られざる素晴らしい処を世に知らしめた功績があると思います。
でもゴールデンカムイも、手を広げ過ぎちゃってる感(ごめんなさい)があるような・・・。最初のころはすっごく面白かったのだけれど・・・。
いずれにしても、こういうアイヌ、樺太のオロッコ、ギリヤークなど、昔からそこに住んでいた現地人の事を描く作品が世に多く出て、人の目に触れる様になるのは、とても良い事だと思います。
私はヤヨマネクフが南極探検隊員として行った事実に一番驚いたの!その後報奨金を村に寄付するだなんて、アイヌとしての矜持を何とかして示したかったのでしょう。なのに日本政府は・・・。小学校で「日本は単一民族」と習ったので、彼らの存在を初めて知った時にはショックでした。
そんなアイヌの歴史とポーランド国成立に共通するものがあったのは確かでしょう。
お手数ですが、良かったら、マイブログへTBを戴けたら嬉しいです。FC2とgooの相性は難しいけれど過去に飛ばしました。
しずくさんも読書後、色々調べられていたのですねー!
>ピウスツキが長崎に1ヶ月滞在したのは知りませんでした。長崎では亡命ロシア人の発行する露文紙「ヴォーリャ(自由)」の活動にも協力しているのね。
恥ずかしながら、ここらへんは、スポッと抜けていて、今知りました!そうだったんですね・・・。
あの頃だったら汽車か車で移動されたのか・・・かなり遠かったですよね・・。
地元にまで来ていたと知ったら、なおのこと身近に感じられて嬉しくなりますよね。
南極探検隊
そうそう、私も驚きました。
私なんて北海道で生まれ育ったというのに、あまりにもアイヌのこと無知で恥ずかしいです。学校では殆ど教わりませんでした。
TBですが、gooは数年前にTBが廃止されてしまったんですよ・・・
なので、受けることも飛ばすことも不可能になってしまいました・・・