はじめに
この小説『千歳』は、
平安時代の大嘗祭の様子を
題材に妄想した小説です。
フィクションですが、
その当時の風景を
感じていただければと思います。
・違和感
遠くに見えた橙色の光が次第に近づいてくる。
少年の胸が早鐘を打った。彼は、童殿上の頃から主上と懇意にしていた。しかも、先の人事では蔵人になる事が決まっている。
主上は、おっとりとしていらっしゃるのが玉に瑕だが、誰にでも心優しいお方。周りからの評価は低いが、少年は主上を心から信頼していた。
今日はその主上の晴れの舞台なのだ。少年は、心躍らせ主上の列が到着するのを待った。
だが少年は、暗がりの向こうに見える主上の列に違和感を覚えた。彼は、その原因を突き止めようと懸命に目を細め一行を見つめた。そして、驚きに目を見開く。
主上の背後に全く知らない男性が付いてきているのだ。主上の一大事である。少年は急ぎ、その場に駆け寄ろうと体を前に傾けた。
だが、父親である右大臣がそれを止めた。
緊急事態なのだ、主上に何かあってはならない。握られた手を振り払おうとした。しかし、父親は、彼を睨みつけた。少年は訳も分からず茫然とする。
おかしいのは、父親だけではない。誰一人として、慌てていないのだ、何故。少年は、困惑した。
父親は冷静に主上の行列を観察すると、少年の耳元で囁いた。
「よく、ごらんなさい」
少年は、促されたまま、近づいてくる主上一行に視線を向けた。先ほどより、はっきりと見える。彼の心臓が飛び出しそうになった。
先ほどの見知らぬ男性は、この時代には無い服装をしている。髪型は、美豆良、衣は筒状の袖、ゆったりとした袴を身に着け、倭文布の帯、腰には大刀を備えていた。何よりおかしな点は、歩みが不自然なのだ。そう、彼は歩いてはいない。その男性は宙に浮かんでいるのだ。
少年は、一瞬で事を理解した。
あの男性は、この世のものではないのだ。だから、誰も慌てていない。ほとんどの者が、男性の姿に気が付いていないのがその証拠。神官たちは気づいている様子だが、動ぜず事の成り行きを静かに見守っている。
主上の背後にいる男性の姿は、強靭な身体、顔立ちは精悍であり、瞳は全てを知っているかのような達観の眼差しである。その姿は光輝き、後光を放っていた。
そう、あのお方が、“天皇霊”、少年の脳裏にその言葉が浮かんだ。
主上の列が少年の目の前に進んできた。少年は、急ぎ深く頭を垂れた。そして、滞りなく神事が行われることを祈った。
天皇が悠紀殿にお入りになり、奉仕者がそれぞれの席に着くと、大嘗宮の南門・朝堂院の南門が開かれた。
妄想は、続く
・童殿上(わらわてんじょう)
平安時代以降、宮中の作法見習いのため、公卿の子弟が、元服以前に昇殿を許されて奉仕すること。
・蔵人
律令制下の令外官の一つ。天皇の秘書的役割を果たした。