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リートリンの覚書

日本書紀巻弟十に登場する人物 四 ・稲速別 ・弟彦 ・浦凝別


日本書紀巻弟十に登場する人物 四

・稲速別
・弟彦
・浦凝別


稲速別
(いなはやわけ)


下道臣の始祖


別名


兄彦命(えひこのみこと)
稲建別(いなたけわけ)


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

“まず川嶋県を分けて、長男の稲速別を封じました。これは、下道臣の始祖です。”

御友別(みともわけ)の子
下道臣の始祖です。

応神天皇22年秋9月10日、
天皇は葉田葦守宮(はだのあしもりのみや)
にいました。

その時、
御友別(みともわけ)が参上しました。

そして、
その兄弟子孫を膳夫(かしわで)として
食事を奉りました。

天皇は御友別が謹惶(かしこまり)て
仕え奉る状況をみて、
うれしく思い、

そこで吉備の国を分割して、
その子らを与えることにしました。

長男の稲速別(いなはやわけ)は、
川嶋県(かわしまのあがた)を
与えられました。

稲速別は下道臣の始祖です。


弟彦


御友別の子
三野臣の始祖


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

“次に三野県には、弟彦を封じました。これは三野臣の始祖です。”

御友別(みともわけ)の子で、
三野臣の始祖です。

応神天皇22年秋9月10日、
天皇は葉田葦守宮(はだのあしもりのみや)
にいました。

その時、
御友別(みともわけ)が参上しました。

そして、
その兄弟子孫を膳夫(かしわで)として
食事を奉りました。

天皇は御友別が
謹惶(かしこまり)て仕え奉る状況をみて、
うれしく思い、
そこで吉備の国を分割して、
その子らを与えることにしました。

弟彦は三野県(みののあがた)を
与えられました。

弟彦は三野臣の始祖です。


浦凝別(うらこりわけ)


御友別の兄
苑臣の始祖


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

“また苑県には、兄の浦凝別を封じました。これは苑臣の始祖です。”

御友別の兄
苑臣の始祖です。

応神天皇22年秋9月10日、
天皇は葉田葦守宮(はだのあしもりのみや)
にいました。

その時、
御友別(みともわけ)が参上しました。

そして、
その兄弟子孫を膳夫(かしわで)として
食事を奉りました。

天皇は御友別が謹惶(かしこまり)て
仕え奉る状況をみて、
うれしく思い、
そこで吉備の国を分割して、
その子らを与えることにしました。

兄の浦凝別は苑県(そののあがた)を
与えられました。

浦凝別は苑臣の始祖です。



勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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