古事記 上つ巻 現代語訳 三
ゆる~っと訳
古事記 上つ巻 古事記の成立
現代語訳(ゆる~っと)
古事記の成立
伏して思うに、今上陛下・元明天皇は、天命を受けて国を治め、天・地・人の三つを通じて、民をそだて養っておられます。
また、宮中にいらっしゃりながら、その徳は、馬が行ける果てまでも覆い、玄扈(げんこ)に座っていらっしゃりながら、教化は、船の先が行けるところまでも、照らしておられます。
・玄扈(げんこ)
ネットで調べてみますと、読みは出てくるのですが、意味に関しては検索できませんでした。私が思うに、高御座のことではないかと思います。
日が昇っては、陽光が重なり、雲が風に散って跡形もなく消えましたが、煙ではない。
(ブロッケン現象、日本でいう御来光でしょうか?)
枝がひとつに合わさる、木連理(もくれんり)、
・木連理(もくれんり)
根や幹は別々だが,枝がひとつに合わさっている木。
王者の徳のめぐみが草木にまでおよぶとき,朱草や連理の木が生ずるといわれている。
稲穂がたくさんついた嘉禾(かか)。
・嘉禾(かか)
穂がたくさんついた優良な穀物。
これらのめでたい瑞兆は、史官が筆を絶つことができないほどです。
合図のために高く上げるのろしの煙を列ね、通訳を重ね、届く貢物は、大蔵が空になる月がないほどです。
元明天皇の名声は、夏の禹王(うおう)よりも高く、徳は殷の湯王よりも勝るといっていいほどです。
ここに、旧辞の誤り、乱れを惜しみ、先紀の旧辞の間違いを正そうと、和銅四年九月十八日をもって、臣・安萬侶に、詔して、
「稗田阿礼が誦む、勅語の旧辞を、文章につづり記録して、献上せよ」と仰せられたので、謹んで詔旨の思うとおりに、子細に採り、拾い集めました。
しかしながら、上古の時代の、言葉と意味は、ともに、うわべを飾らず素直でした。
それを文章に直し、複数の句を整った形に作り上げ、漢字にすることは大変難しい。
すべてを訓字を連ねて表記すると、言葉の意味が十分に通じません。
すべてを音をもちいて書き連ねると、出来事の道筋がさらに長くなってしまいます。
そこで、今、
ある場合には、一つの句の中に、音と訓とを交え用い、ある場合には、一つの事柄の内に、全て訓字を用いて記録しました。
言葉の筋道のわかりにくいものには、注をつけて明らかにし、意味のわかりやすい時には、注をつけない。
また姓に「日下」を「玖沙訶(くさか)」といい、名に「帯」の字を「多羅斯(たらし)」というような類は、本のままにして改めていません。
だいたい記してある所は、天地開闢より始めて、推古天皇の御代で終わります。
こういうわけで、天御中主神から日子波限建鵜草葺不合尊までを上つ巻として、
神武天皇から応神天皇までを中つ巻とします。
仁徳天皇より推古天皇までを下つ巻とします。
あわせて三つの巻に記録し、謹んで献上いたします。
臣安萬侶、まことに恐れかしこまり、頓首(とんしゅ)頓首。
和銅五年正月二十八日。
正五位上勲五等太朝臣安萬侶謹上。
・頓首(とんしゅ)
手紙の終わりに書いて相手に敬意を示す語
明日に続きます。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
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