駒形堂
(こまかたどう)
概要
駒形堂は、東京都台東区雷門二丁目にある堂です。
馬頭観音を祀っています。
本尊
馬頭観世音菩薩
創建
天慶5年(942)
大祭
四月十九日
略縁起
天慶五年(942)、平公雅(たいらのきんまさ)が浅草寺(せんそうじ)造営の際、浅草観音示現の地に建立したといわれています。馬頭観音を祀っています。
江戸時代には川に面して東側を向いて建てられていましたが、現在は川を背にして西側を向いて建てられています。
ご本尊ご示現の聖地駒形堂駒形堂は、浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩さまが、およそ千四百年前、隅田川よりご示現なされ、はじめて奉安された地に建つお堂。昔、この辺りは船着き場で、渡しや船宿もあり大変な賑わいをみせ、船で浅草寺参詣に訪れた人々は、まずこの地に上陸して駒形堂をお参りして、観音堂へと向かった。このお堂のご本尊さまは馬頭観音さまで、今も昔も、この地を行き交う人々をお守り下さっている。現在のお堂は平成十五年に再建されたもの。今もこの地はご本尊ご示現の聖地として、人々の篤い信仰に支えられ、毎月の十九日の馬頭観音さまのご縁日には、多くの参詣者で賑わう。馬頭観音さまのご真言…「おん あみりとどはばうんはった」金龍山 浅草寺掲示板より引用
駒形堂台東区雷門二丁目二番二号「浅草寺縁起」によると、創建年代は朱雀天皇の天慶五年(九四二)で、建立者は安房守平公雅。名称由来には、➀隅田川を舟で通りながらこの堂を見ると、まるで白駒が馳けているようなので「駒馳け」の転訛。(『江戸名所図会』)➁観音様へ寄進する絵馬を掛けたので「駒掛け堂」と呼んだのが訛る。(『燕石雑誌』)➂駒形神を相州箱根山から勧請したのにちなむ。(『第日本地名辞典』)これらの説がある。本尊は馬頭観世音菩薩。葛飾北斎・安藤広重らによって、堂は絵に描かれた。小さくとも、江戸で名高い堂だった。当時の堂の位置は現駒形橋西詰道路中央付近。堂は関東大震災で焼けた。平成四年十一月台東区教育委員会掲示板より引用
境内
駒形堂
手水舎
浅草観音戒殺碑
東京都指定有形文化財(古文書)
浅草観音戒殺碑
所在地 台東区雷門二ー二ー三
指定 大正一一年六月
駒形堂は浅草寺の伽藍の一つで、浅草寺本尊の聖観世音菩薩が隅田川から発見された霊地である。このため元禄五年(一六九二)、当地を魚鳥殺生禁断の地とする法度が出された。これを記念して、翌年(元禄六年)浅草寺第四世権僧正宣存が願主となり、戒殺碑が建てられた。殺生禁断の範囲は駒形堂を中心に、南は諏訪町より北は聖天岸に至る十町余の川筋だった。『御府内備考』によると、諏訪町。聖天町にも高札が建てられたという。
戒殺碑が建てられた駒形堂の堂宇は、江戸時代に何度か消失している。
戒殺碑も倒壊し、宝暦九年(一七五九)に堂宇とともに再建された。現在の碑は関東大震災後の昭和二年(一九二七)に土中より発見され、同八年の駒形堂再建と同時に修補されたものである。元禄当初の碑か、宝暦再建のものか定かでない。
碑身は石造(安山岩)で、長方形円頭板状。正面及び両側面を研磨し、背面は野面のままである。台石は昭和八年の修補時のもので、上面・正面・両側面・背面の五面を研磨してある。総高一八三・五㎝、正面幅六一㎝。銘文は「浅草寺誌』や『江戸名所図会』にも収載される。元禄期当時の信仰及びその周辺の状況を明らかにする貴重な資料である。
平成二三年 建設
東京都教育委員会
掲示板より引用
住所
東京都台東区雷門2-2-3
アクセス
都営地下鉄浅草線 浅草駅
徒歩1分
東京メトロ銀座線・東武スカイツリーライン
・つくばエクスプレス 浅草駅
徒歩4分
参考)
浅草寺HP