日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇六十
・雨乞い
・開眼会
・譲位
五月八日、
大夫・謁者を遣わして、
諸々の社を詣でさせ、
請雨(しょうう)しました。
六月二日、
罪人を赦しました。
六日、
詔して、
經を京畿(みやこうちつくに)の
諸々の寺で読ませました。
十六日、
五位以上を遣わして、
京の寺を掃い清めさせました。
十九日、
幣を神祇に班しました。
二十六日、
公卿、百寮が、
始めて、天皇の病のために願うための
佛像を造りました。
癸卯(5月8日)、
大夫、謁者を遣わして、
諸々の社を詣でさせ、請雨しました。
秋七月七日夜半、
足枷・首枷の盜賊・百九人を赦しました。
かさねて、
布を人ごとに四常、賜りました。
ただし、外国者には稻を人ごとに二十束。
十二日、
使者を遣わして、
廣瀬と龍田を祀りました。
二十九日、
公卿、百寮が、
佛の眼を開く会を藥師寺で設けました。
八月一日、
天皇は、禁中で策を定めて、
皇太子に天皇位を
禅(ゆず)りました。
・請雨(しょうう)
雨が降るように神仏に祈ること。雨乞い
(感想)
(持統天皇11年)
5月8日、
大夫・謁者を派遣して、
諸々の社を詣でさせ、
雨乞いをしました。
6月2日、
罪人を赦しました。
6日、
詔して、
京畿の諸々の寺で読経させました。
16日、
5位以上を派遣して、
京の寺を掃い清めさせました。
19日、
幣を天神地祇に分配しました。
26日、
公卿、百寮が、
天皇の病の平癒ため、
所願の仏像を造り始めました。
癸卯(5月8日)、
大夫、謁者を派遣して、
諸々の社を詣でさせ、雨乞いをさせました。
秋7月7日夜半、
足枷・首枷の盜賊・109人を赦しました。
かさねて、
布を人ごとに4常、与えました。
ただし、外国者には稲を人ごとに20束。
12日、
使者を派遣して、
広瀬と龍田を祀りました。
29日、
公卿、百寮が、
仏像の眼開会を薬師寺で設けました。
8月1日、
天皇は、宮中で策を定めて、
皇太子に天皇位を禅譲しました。
・禅譲(ぜんじょう)
君主が、その地位を血縁者でない有徳の人物に譲ること。実際には、歴史上禅譲と称していても譲られる側が強制して行われていることが多い。
本文では、譲ではなく禅の漢字が使われています。
持統天皇から孫の文武天皇に譲位されたのに、何故、あえて禅の字が使用されたのか?
気になります。
読んでいただき
ありがとうございました。
あとがきに続きます。
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