麁服の材料・大麻が育つ場所
「ソラ」
天皇の秘儀が行われる
大嘗祭の悠紀殿と主基殿。
その両殿に供えられた
「細目籠(ほそめかご)」の中に入る
大麻の布である麁服は、
太古の昔から、
忌部の長が造り、
調進することになっています。
その忌部の長である三木家の場所は、
西日が当たらず、
朝霧の立つ清浄な土地です。
海抜700mのところにあり、
昔は「ソラ」と呼ばれていました。
令和の大嘗祭に調進した麁服も、
この地で育てられました。
今回は古い大麻の種では足りず、
「とちぎしろ」という種を植えたのですが、
不思議なことに
普通の「とちぎしろ」より、
茎が半分くらいの細さで、
繊細な糸が取れたといいます。
麁服を調進するのは、
どうしてこの三木家のある
徳島県美馬市の
この土地でなければならないのでしょうか?
忌部氏は、
本当に品質のよい麻ができる風土を
探していました。
そこで、
古代に忌部は直系を引き連れ、
阿波の国の麻植郡(おえぐん)に
上陸しました。
麻植郡から山へ山へと
理想の場所を探し求め、
この場所に辿り着き、
この僻陬(へきすう)の地をみて、
「ここは凄い!」と決めたのです。
その理由は、
麻ができる条件としては、
一般の場所よりも
3~5度位気温が低いところ。
つまり、
海抜500~700m位が最適なのです。
なおかつ、
西日が当たらず朝霧が出るところ。
そして、
風が穏やかで大麻が倒れないところ。
そして、
育った大麻の太さが、
人間の小指位になる場所。
麁服に使う大麻の茎は
細すぎても太すぎてもいけません。
繊維の柔らかさの関係もあり、
人間の小指の太さ位がちょうどいいと
いわれています。
これらすべてに適合し、
一定の広さが必要です。
そんな条件から、
阿波忌部氏はこの場所を
本拠地に選んだのです。
それが徳島県美馬市、
「ソラ」と呼ばれたその土地だったのです。
忌部は山の民です。
彼らは昔から、
この地で「ソラの人」とよばれてきました。
そして、
山の頂上にいて、
吉野川の人たちは、
剣山の方を「ソラ」と読んでいました。
ですから、
以前はここの地名も
「空(そら)」だったのです。
感想
「ソラ」と呼ばれた地。
行ってみたいものです。
さぞかし、
素晴らしい土地ではないか想像しています。
その地で育てた
大麻は何故か、
麁服にふさわしい太さに育つ。
いや〜、不思議ですね。
栄養不足?
イヤイヤ、
麁服用の大麻を作付けすると、
3年間畑を休ませないといけないほど
大地のエネルギーを吸い取って育つのです。
栄養不足とは、考えにくい。
ソラと呼ばれる土地、
不思議な場所ですね。
さて、忌部氏。
中央にいたら
高い地位にいられたと思うのですが。
やはり、
忌部氏は落ちぶれたのではなく、
神様のために、
そして、
日本列島に住む民のために
自らの地位や名誉を捨て
地方へ旅立ったのかもしれません。
神の依代にふさわしい麁服を織るために、
生育に適した土地を求めて歩いた
忌部氏。
神さまに対する
謙虚な態度に頭が下がります。
本日は、
「麁服(あらたえ)と繪服(にぎたえ)
天皇即位の秘儀 践祚大嘗祭と二つの布」
(著)中谷 比佐子・安間 信裕
監修 門家 茂樹と
Wikipediaを参考に書かせていただきました。
最後まで読んで頂き
ありがとうございました。