リートリンの覚書

縄文時代・縄文人の暮らしについて


縄文人の暮らし

縄文人たちは
日あたり、そして風通しのよい、
飲料水の確保にも便利な水場が近いながらも、
水害に遭わないような台地上に
住居を構えて暮らしていました。

集落の構成は血縁関係が多く、
親戚同士が森を切り拓いて
暮らしていたようです。

広場をもつ大規模集落の場合、
時には数十軒以上が環状または馬蹄形に、
広場を取り囲むように
住居を建てて暮らしていた
痕跡も残っています。

家の周りには、
不要なものを廃棄するゴミ捨て場があり、
周囲の森には管理された
クリや漆の木がある集落もあったようです。
お墓も集落の中にありました。

このような大規模集落は
拠点集落とも言われ、
周辺の集落から人が集まり、
広場で儀式を
おこなっていたのではないか
考えられています。

また、食糧を貯蔵しておく貯蔵穴や、
木の実のアク抜きをする
水場が作られた集落も存在していました。

青森県・三内丸山遺跡

縄文集落の一例

ムラにおける住居の配置には
集落独自の約束事があったようです。

典型的な例が、
同心円状に配置された住居を中心に
広場を囲むように造られた環状集落です。

この縄文の集落は、
単純な輪を基本としながらも、
全体で大きく2群に分かれていたようです。

ゴミ捨て場が2つ、
共同墓地も2つといったように、
一つの集落のなかに
2つの集団が形成されていたことを
うかがわせる証拠が多数見つかっています。

こうした現象は双分制と呼ばれ、
世界の自然民族にも
広く認められる事例です。

こうした場合では、
まず血縁者同士の婚姻を
回避する仕組みとして役立っています。

また日常生活でも双方は
深く関わりを持っています。

例えばA集団に死者が出れば、
A集団は嘆きに没頭し、
B集団が葬儀を仕切ると、
いったように両者が
協力し合いながら生きていく仕組みです。

双分制をうかがわせる
物的証拠が見つかっている以上、
縄文人にも双分制が
あったと考えられると思われます。


縄文時代の家族構成

縄文時代の暮らし方については、
色々な場合がありますが、
1つの住居に5~6人ほどが
暮らしていたようです。

どのような家族構成であったかは、
現代と同じく、
世帯構成はいろいろな場合があり
断定できません。

ただ、1人で厳しい環境を
生き抜くことは難しく、
すくなくとも数人単位で
暮らしていたことは間違いないと思われます。


縄文の建築

・土葺き 
・大型建物 
・茅葺き 
・樹皮葺き 
・掘立柱建物

※住居内の様子
住居の中ではどの形であれ
室内の炉で火を焚いて、
骨組みとなる木材を燻し
長持ちさせていたようです。


竪穴住居の作り方一例

縄文時代の代表的な住居です。
出典:Wikipedia

①住居の中心を決め、円の広さを決めます。

②円の広さが決まったところで地面を掘り下げます。
※このとき、地面を掘り下げた際の土が崩れないように、丸木を割った板をぐるっと壁に取り付けます。

③壁際にバランスよく4本から8本程度の柱を立てる穴を掘ります。

④柱を立て、ふじづるなどで結び組んでいきます。これが家の土台となる骨組みとなります。

⑤土台の上に屋根の骨組みを結んでいきます。

⑥入り口を作り、茅(かや)を葺いていきます。

⑦完成です。
環境にもよりますが、10~30年ほど保つとも言われています。


土葺きの住居

環境によっては
土葺きが主流の地域もあったようです。
出典:御所野縄文公園ホームページ

①作り方は途中まで茅葺きと同じです。

②骨組みに樹皮や草木で下地を作ります。

③土を葺き、草を生やします。

※土葺きの場合、室内の温度は、夏は外気よりも10℃ほど下がり、冬は暖かくなります。


竪穴住居の間取り

一般的な住居は
だいたい直径5mほどの円形、
または楕円形のような形をしており、
その中央に炉がありました。

炉の周りには
皆が食事をする場所でもあるので、
叩き締められて堅くなった床の上に、
植物で編んだ敷物などが
敷かれていたようです。

家の中には、
水回りに相当する設備はありません。
お風呂は見つかっていません。

トイレも家の中にはなく、
少し離れた場所で
用を足していたのではないかと
考えられています。

排泄物は分解されてしまうため、
縄文時代のトイレは
まだ発見されていません。


糞石

貝塚から「糞石(ふんせき)」と
いわれる化石化した
排泄物が発見されることがあります。

通常、有機物である人や動物の排泄物は、
そのままの状態で放置されると
雨で溶けたり、
微生物に分解されたりして、
姿が残ることはありません。

しかし、
貝塚などに排泄物が棄てられた場合、
カルシウム分が作用するため
排泄物が化石化することがあります。

そこから縄文人たちの
食生活や健康状態が見えてくるのですが、

排せつした存在が
人なのかイヌなのか
判断つかないことが多いそうです。


感想

教科書には、
書かれていない詳しい情報は
調べてみて驚きと感動を得ます。

それに比べて、
日本史の教科書、
久しぶりに読んでみたら。

ハッキリ言って読みづらく、
(文章が美しくない)
しかも面白くない。
(文章から、愛が感じられない)

改めて言います。

歴史が大好きな研究者の方が
教科書を作って欲しい。

さて、双分制のことは
初めて知りました。

よく、考えられた制度ですね。
本家、分家のような
感じだったのかもしれませんね。

本家で何かあれば
分家が手伝い、
分家が何かあれば、
本家が取り仕切るみたいな。

そうやって
協力しながら、
厳しい自然環境を
生き抜いてきたのでしょう。

住居に関しては、
恥ずかしながら
土葺き、
知りませんでした。

御所野縄文公園、
地元なのにね😅

映像を見たときの第一印象は、

可愛いです💕

まさに、
ロードオブザリングのホビットの家。

実物見てみたいと思いましたが…
足が無い😓
(ペーパードライバー歴、数十年。エンジンのかけかたも忘れたさ。岩手県で車乗れないのはカナリ痛い)

バスツアーとかあればいいなぁ、
企画してくれないかなぁ
盛岡駅からぐるっと、
東北縄文遺跡ツアー!

あったら絶対行く😆

さて、今日はこの辺で。
明日も縄文時代を詳しく調べてみます。

最後まで読んで
頂きありがとうございました。



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