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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第74景 「市中繁栄七夕祭」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景を訪ねて
第74景 「市中繁栄七夕祭」


七夕の風景を描いた作品です。

名所江戸百景の中で唯一、地名が特定されていません。

遠景の中央に描かれた富士山と右端のお城のやぐらの位置、商家のたたずまいなどから手前の倉は南伝馬町と思われます。

右の火の見櫓は広重が生まれ八代洲(やよす)の火消屋敷のものとみられます。

描いた場所を推定すると、この図は大鋸町(おが)にあった広重の自宅の屋根の上から描いたものではないかというのが定説になっています。


広重の住居


火消同心の家に生まれた広重は生涯を江戸で過ごしました。

大鋸町には、天保13〈1842〉年から弘化3(1846)年まで暮らしたと推定されています。

その後、常磐町、中橋狩野新道へと居を移し、53歳から没するまでの約10年を過ごした中橋可能新道の住居跡には、現在、案内板が立てられています。


江戸時代の七夕について


七夕は、江戸時代に五節供の一つに定められました。



描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。



東京都中央区京橋一丁目周辺にて富士山の方角を撮影してみました。



歌川広重居住跡、東京都中央区京橋一丁目周辺にて撮影してみました。



最後に

名所江戸百景の中で唯一、地名が特定されていないため、描かれた場所には諸説ありますので、宝町駅周辺でも撮影してみました。

宝町駅周辺

夏の夕暮れの雰囲気が漂ってくる作品ですね。思わずほっこりします。





参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅

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