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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第73景 「はねたのわたし弁天の社」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景を訪ねて
第73景 「はねたのわたし弁天の社」


近景には、船頭の手足が大きく描かれています。

中景、左側の森は玉川弁財天の森です。

沖に見える半島は三浦半島です。
 

羽田の渡し




羽田の渡しとは、現・東京都大田区羽田2丁目にかつてあった船着場です。

羽田と川崎との間の渡しは、川崎大師参詣の要路でした。

羽田の渡しは、「六左衛門の渡し」とも呼ばれ、昭和14年(1939年)に大師橋が開通するまで利用されました。
 

玉川弁財天


 

玉川弁財天は、東京都大田区にある神社です。

創建年代は不詳ですが、昔から羽田漁民の信仰を集めてきました。

元々は、現在の羽田空港の位置にありました。

江戸時代には「江戸名所図解」で取り上げられるほど景勝地でしたが。戦後、GHQの空港拡張工事によって強制退去させられたことにより、羽田の水神社に合祀されています。
 


描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。




羽田の渡し跡に近い、大師橋の上より撮影しました。

遠すぎて、羽田空港近辺が見えません。

そこで少し多摩川沿いを羽田空港方面に歩いてみました。



もっと羽田空港に近づいてみました。



弁天橋より撮影してみました。ここからの風景が、広重の作品に一番近い構図ではないかと思います。



最後に

船頭の手足が大きく描かれたこの作品。

まるで自分が船に乗って景色を眺めているのでは、と錯覚してしまうほどに、臨場感溢れる作品ですね。

「玉川弁財天」。

かつては景勝地でたくさんの人々が訪れていた場所でしたが、戦後、GHQの空港拡張工事によって強制退去させられ、羽田水神社と合祀されることになりました。

人の都合で、神々が祀られている場所を奪い移動させるとは。ひどい話です。

現在は、旧穴守稲荷神社の大鳥居がポツンと残っているだけでした。

なんか、悲しくなりました。






参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅

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