古事記 中つ巻 現代語訳 七
古事記 中つ巻
八咫烏の道案内
書き下し文
時に筌を作り魚を取る人有り。尓して天つ神の御子問ひたまはく、「汝は誰ぞ」とひたまふ。「僕は国つ神、名は贄持之子と謂ふ」とまをす。こは阿陀の鵜養の祖。其地より幸行でませば、尾生ふる人、井より出で来。其井に光有り。尓して「汝は誰ぞ」と問ひたまふ。答え白さく、「僕は国つ神、名は井氷鹿と謂ふ」とまをす。此は吉野首等の祖なり。其の山に入りたまへば、また尾生ふる人に遇へり。此の人巌を押し分けて出で来。尓して問ひたまはく、「汝は誰ぞ」ととひたまふ。答えて白はく、「僕は国つ神、名は石押分之子と謂ふ。今、天つ神の御子幸行でますと聞く。故、参向へつるのみ」ともをす。此は吉野の国巣の祖。其地より踏み穿ち越え、宇陀に幸でます。故、宇陀の穿と曰ふ。
現代語訳
時に、筌(うへ)を作り魚を取る人が有りました。尓して、天つ神の御子が問いになられて、「汝は誰ぞ」問いになられました。「僕は国つ神、名は贄持之子(にえもつのこ)と謂いいます」と申しました。これは、阿陀(あだ)の鵜養(うかい)の祖です。その地より幸行(い)でませば、尾生(をお)ふる人が、井から出で来ました。その井に光が有りました。尓して、「汝は誰ぞ」と問いになられました。答えて、いうことには、「僕は国つ神、名は井氷鹿(いひか)と謂います」と申しました。これは、吉野首(よしののおびと)等の祖です。その山にお入りになると、また尾生ふる人に遇いました。この人は巌(いわお)を押し分けて出で来ました。尓して、問いになられて、「汝は誰ぞ」と問いになられました。答えて、いうことには、「僕は国つ神、名は石押分之子(いわおしわくのこ)と謂います。今、天つ神の御子が幸行(い)らっしゃると聞きました。故に、参向いたしました」と申しました。これは吉野国栖(よしののくず)の祖です。その地より踏み穿ち越え、宇陀(うだ)に幸きました。故に、宇陀之穿(うだのうかち)といいます。
・筌(うへ)
竹で編んだ筒形の魚を取る道具
・吉野国栖(よしののくず)
大和国吉野郡に居住したといわれる先住民
・宇陀(うだ)
現・奈良県宇陀市菟田野区宇賀志
現代語訳(ゆる~っと訳)
時に、竹で編んだ魚を取る道具を作り、魚を取る人がいました。
そこで、天津神の御子孫が、「お前は誰だ」問いになりました。「私は国津神、名は、贄持之子といいます」と答えました。
これは、阿陀の鵜養の祖先です。
その地から進むと、尾の生えた人が、井戸から出て来ました。その井には光がありました。
そこで、「お前は誰だ」と問いになると、答えて、「私は国津神で、名は井氷鹿といいます」と申しました。
これは、吉野首等の祖先です。
吉野の山にお入りになると、また尾の生えた人に出会いました。この人は、岩を押し分けて出で来ました。
そこで、「お前は誰だ」と問いになられました。答えて、「僕は国津神、名は石押分之子といいます。今、天津神の御子孫がおいでになると聞きました。そこで、参上しました」と申しました。
これは吉野国栖の祖先です。
神倭伊波礼毘古命は、吉野から山地を踏み貫き越えて、宇陀に到着しました。こういうわけで、その地を、宇陀之穿というのです。
続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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