リートリンの覚書

古事記 中つ巻 現代語訳 四 熊野の山の荒ぶる神


古事記 中つ巻 現代語訳 四


古事記 中つ巻

熊野の山の荒ぶる神


書き下し文


 故、神倭伊波礼毘古命、其地より廻り幸でまして、熊野村に到る時、大熊、髣より出で入る即ち失せぬ。尓して神倭伊波礼毘古命、忽ちにをえ為たまひ、また御軍も皆をえて伏しぬ。此の時、熊野の高倉下、此は、人の名、一横刀をもち、天つ神の御子の伏せる地に到りて献る時に、天つ神の御子、寤め起き詔りたまはく、「長寝しつるかも」とのりたまふ。故、其の横刀を受け取りたまふ時に、其の熊野の山の荒ぶる神自づからみな切り仆さえき。尓して其の惑ひ伏せる御軍悉く寤め起きぬ。


現代語訳


 故、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)は、その地より廻り幸(い)でまして、熊野村(くまののむら)に到る時に、大熊が、髣(くさ)より出で入り即ち失せました。尓して神倭伊波礼毘古命は、忽ち遠為(おえし)になられました。また、御軍も皆、おえて伏してしまいました。この時、熊野の高倉下(たかくらじ)が、これは、人の名、一横刀(たち)をもち、天つ神の御子が伏せた地に到って、献る時に、天つ神の御子は、寤(さ)め起きて詔りして、いうことには、「長寝していた」と仰せになられました。故に、その横刀を受け取りになられた時に、その熊野の山の荒ぶる神は自づからみな切りたおされました。尓して、その惑い伏せた御軍が悉く寤(さ)め起きました。



・熊野村(くまののむら)
和歌山県と三重県にまたがる海岸線の地域
・遠為(おえし)
毒気を当てられ正気を失い病み臥す


現代語訳(ゆる~っと訳)


 ここで、神倭伊波礼毘古命は、男水門よりお廻りになられて、熊野村に到着した時に、大熊が、草の中から現れ入り、すぐに消え失せました。

すると、神倭伊波礼毘古命は、突然、毒気を当てられ正気を失い病み倒れ、また、兵士たちも皆、正気を失い倒れてしまいました。

この時、熊野の高倉下が、
これは、人の名です。

一振りの横刀を持ち、天津神のご子孫である
神倭伊波礼毘古命が伏せっていらっしゃるところにやって来て献上すると、

神倭伊波礼毘古命は、目を覚まして起き上がり、詔りして、「長い間、眠り込んでしまった」といいました。

そして、その横刀を受け取りになられると、その熊野の山の荒ぶる神は、太刀の霊威によって、自ずとみな切り倒されました。

そして、気を失い倒れていた兵士たちも、全員目を覚まし起き上がりました。



続きます。

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