日本書紀 巻第十二 登場人物 二
・葦田宿禰
・黒媛
・磐坂市辺押羽皇子
・御馬皇子
・幡梭皇女
・中磯皇女
葦田宿禰
(あしだのすくね)
履中天皇の皇妃・黒媛の父
別名
葦田宿禰(あしたのすくね)
葉田宿禰校異(はたのすくね)
葛城葦田宿禰(かずらきのあしたのすくね)
葉田宿禰校異(はたのすくね)
葛城葦田宿禰(かずらきのあしたのすくね)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十二
本文では、
このように登場しています。
“秋七月四日、葦田宿禰の娘の黒媛を立てて皇妃としました。妃は、磐坂市辺押羽皇子、御馬皇子、青海皇女を生みました。”
履中天皇の皇妃・黒媛の父です。
古事記では
『古事記』では、
葛城曾都毘古(襲津彦)(かずらきのそつひこ)の
葛城曾都毘古(襲津彦)(かずらきのそつひこ)の
子とされています。
黒媛
(くろひめ)
履中天皇の皇妃
葦田宿禰の娘
別名
黒比売命(くろひめのみこと)
狭名来田蒋津之命(さなくたこもつのみこと)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十二
本文では、
このように登場しています。
“秋七月四日、葦田宿禰の娘の黒媛を立てて皇妃としました。妃は、磐坂市辺押羽皇子、御馬皇子、青海皇女を生みました。”
履中天皇の皇妃
葦田宿禰の娘です。
磐坂市辺押羽皇子
( いわさかのいちのべのおしはのみこ)、
御馬皇子(みまのみこ)、
青海皇女(あおみのひめみこ)、
(一説では飯豊皇女(いいとよのひめみこ))を生みました。
履中天皇5年3月1日、
筑紫に居る三神が、
宮中に現れ祟りましたが、
天皇は祈祷をしましたが、
祭りませんでした。
19日、
天皇は風のような聲に呼ばれました。
その際、
「鳥の往来(かよ)う
羽田(はた)の汝妹(なにも)は
羽狭(はさ)に葬立(はふりたち)往く」
と言われました。
そこへ俄に使者がきて、
「皇妃が薨去しました」
と報告しました。
10月11日、
皇妃を葬りました。
天皇は神の祟りを治めずに、
皇妃を亡くしたことを悔いて
咎(とが)を求めました。
するとある者が、
車持君が筑紫国に行き、
悉く車持部と神戸の民を管掌しています。
この罪でしょうといいました。
そこで
筑紫の車持部を司ることは出来ないと
詔し、
ただちに筑紫の車持部をすべて収めて、
これを三神に奉りました。
磐坂市辺押羽皇子
( いわさかのいちのべのおしはのみこ)
( いわさかのいちのべのおしはのみこ)
履中天皇の第一子
別名
市辺押磐皇子
(いちのへのおしはのみこ)
磐坂市辺押羽皇子
(いわさかのいちのへのおしはのみこ)
市辺押磐皇子
市辺押磐皇子
(いちのへのおしわのみこ)
市辺押盤皇子
磐坂皇子
市辺押盤皇子
磐坂皇子
(いわさかのみこ)
押磐皇子
押磐皇子
(おしわのみこ)
市辺之忍歯王
市辺之忍歯王
(いちのべのおしはのみこ)
忍歯王
忍歯王
(おしはのみこ)
市辺王
市辺王
(いちのべのみこ)
市辺忍歯王
市辺忍歯王
(いちのべのおしはのみこ)
市辺忍歯別王
市辺忍歯別王
(いちのべのおしはわけのみこ)
市辺之押歯王
市辺之押歯王
(いちのべのおしはのみこ)
磐坂市辺押羽皇子尊
磐坂市辺押羽皇子尊
(いわさかのいちのへのおしはのみこのみこと)
天万国万押磐尊
天万国万押磐尊
(あめよろずくによろずおしわのみこと)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十二
本文では、
このように登場しています。
“秋七月四日、葦田宿禰の娘の黒媛を立てて皇妃としました。妃は、磐坂市辺押羽皇子、御馬皇子、青海皇女を生みました。”
履中天皇と皇妃・黒媛との間に
生まれた第一子です。
巻第十二では名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。
御馬皇子
(みまのみこ)
履中天皇の子
別名
御馬王(みまのおおきみ)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十二
本文では、
このように登場しています。
“秋七月四日、葦田宿禰の娘の黒媛を立てて皇妃としました。妃は、磐坂市辺押羽皇子、御馬皇子、青海皇女を生みました。”
履中天皇と皇妃・黒媛との間に
生まれた子です。
巻第十二では名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。
幡梭皇女
(はたびのひめみこ)
履中天皇の皇后
応神天皇の子
別名
草香幡梭皇女(くさかのはたびのひめみこ)
幡日之若郎女(はたびのわかいらつめ)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十二
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の幡梭皇女は、中磯皇女を生みました。”
履中天皇の皇后です。
中磯皇女(なかしのひめみこ)を生みました。
履中天皇6年1月6日、
皇后に立ちました。
中磯皇女
(なかしのひめみこ)
履中天皇の子
別名
中蒂姫命
(なかしひめのみこと)
中蒂姫
中蒂姫
(なかしひめ)
中城皇女
中城皇女
(なかきのひめみこ)
中蒂姫皇女
中蒂姫皇女
(なかしひめのひめみこ)
長田大娘皇女
長田大娘皇女
(ながたのおおいらつめのひめみこ)
長田皇女
長田皇女
(ながたのひめみこ)
長田大郎女
長田大郎女
(ながたのおおいらつめ)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十二
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の幡梭皇女は、中磯皇女を生みました。”
履中天皇と
皇后・幡梭皇女(はたびのひめみこ)の間に
生まれた子です。
巻第十二では名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。
勉強途中です。
新しい知識を得た場合、
随時更新予定です。