魏志倭人伝・現代語訳 32
卑弥呼の死
原文卑弥呼以死。大作冢。径百餘歩、徇葬者奴婢百余人。更立男王国中不服、更相誅殺、当時殺 千餘人。復立卑弥呼宗女壹(台)与、年十三為王、国中遂定。政等以檄告諭壹与。
書き下し文卑弥呼以て死す。大いに冢(つか)を作り。径(けい)百餘歩、徇葬(じゅんそう)者の奴婢百余人なり。更(かわ)りて男王を立てるも国中は服(したが)わず、更(こもごも)相誅殺(ちゅうさつ)し、当時千餘人を殺す。復(また)卑弥呼の宗女の壹(台)与を立て、年十三にして王となり、国中遂(つい)に定まる。政等は檄(げき)を以て壹与に告諭(こくゆ)す。
現代語訳
卑弥呼が亡くなりました。
大きい冢(つか)を作りました。
直径は、百餘歩、
徇葬(じゅんそう)者の奴婢百余人でした。
代わって男王を立てましたが、
国中はしたがわず、
互いに誅殺(ちゅうさつ)し、
当時、千餘人が殺されました。
また、
卑弥呼の宗女の壹(台)与を立てました。
年十三にして王となり、
国中はついに定まりました。
政等は檄(げき)を以て
壹与に告げ諭しました。
・冢(つか)
墓
・徇葬(じゅんそう)者
王の死にしたがって死んで葬られる者。
・奴婢
男のしもべと女のしもべ。秦漢以降、貧民の子を売買する奴隷市場が解放された。
・誅殺(ちゅうさつ)
罪をせめて殺す
・宗女
同族の女。主に本家筋の女
・檄(げき)
ふれ。さとしぶみ
・告諭(こくゆ)
つげさとす。
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参考
倭人・倭国伝全釈 鳥越 憲三朗
中央公論新社
Wikipedia