リートリンの覚書

日本の神様78・崇神天皇・垂仁天皇


御間城入彦五十瓊殖天皇
(みまきいりびこいにえのすめらみこと)

崇神天皇
(すじんてんのう)


開化天皇の第二子。
母は、伊香色謎命。
実在した可能性のある最初の天皇。

・別名 
御間城天皇
(みまきのすめらみこと)

御間城尊
(みまきのみこと)

初肇國天皇
(はつくにしらすすめらみこと)

御眞木入日子印恵命
(みまきいりひこいにえのみこと)

所知初國御眞木天皇
(はつくにしらししみまきのすめらみこと)

美萬貴天皇
(みまきのすめらみこと)


「日本書紀」では


日本書紀巻第四では、
このように登場しています。

“六年、春・正月十四日、伊香色謎命(いかがしこめ)を皇后としました。これは継母です。后は、御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりひこいにえのすめらみこと)を生みました。”

開化天皇の第二子です。
母は、
物部氏の遠祖の大綜麻杵(おおへそき)の娘、
伊香色謎命(いかがしこめ)

一九歳で皇太子となりました。


皇居


瑞籬宮
(みずかきのみや)




陵の名は
山邊道勾岡上陵
(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)


主な神社


大神神社・末社天皇社(奈良県)
出雲大神宮 境内 崇神天皇社(京都府)



活目入彦五十狭茅天皇
(いくめいりひこいさちのすめらみこと)

垂仁天皇
(すいにんてんのう)



崇神天皇の子
母は、大彦命の娘、御間城姫(みまき)。

・別名
活目天皇
(いくめのすめらみこと)

活目尊
(いくめのみこと)

伊久米伊理毘古伊佐知命
(いくめいりびこいさちのみこと)

伊久米天皇

生目天皇


「日本書紀」では


日本書紀巻第五では、
このように登場しています。

“これより先に、皇后は、活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりひこいさちのすめらみこと・垂仁天皇)、彦五十狭茅命(ひこいそさちのみこと)、国方姫命(くにかたひめのみこと)、千千衝倭姫命(ちちつくやまとひめのみこと)、倭彦命(やまとひこのみこと)、五十日鶴彦命(いそかつるひこのみこと)を生みました。"

父・崇神天皇は
活目尊とその兄・豊城入彦命の
どちらを皇太子するのかを
夢占いから決めることにしました。

兄・豊城入彦命は東を向き、
武器を振る夢を、

活目尊は夢の中で縄を四方に
張り巡らせ雀を追い払う夢をみました。

そこで崇神天皇は四方を向いている夢を見た、活目尊を皇太子に選びました。


皇居


(紀)纒向珠城宮
(まきむくのたまきのみや)

(記)師木玉垣宮
(しきのたまかきのみや)




陵の名は
菅原伏見東陵
(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)


主な神社


珠城神社(京都府)



勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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