御間城入彦五十瓊殖天皇
(みまきいりびこいにえのすめらみこと)
崇神天皇
(すじんてんのう)
開化天皇の第二子。
母は、伊香色謎命。
実在した可能性のある最初の天皇。
・別名
御間城天皇
(みまきのすめらみこと)
御間城尊
(みまきのみこと)
初肇國天皇
(はつくにしらすすめらみこと)
御眞木入日子印恵命
(みまきいりひこいにえのみこと)
所知初國御眞木天皇
(はつくにしらししみまきのすめらみこと)
美萬貴天皇
(みまきのすめらみこと)
「日本書紀」では
日本書紀巻第四では、
このように登場しています。
“六年、春・正月十四日、伊香色謎命(いかがしこめ)を皇后としました。これは継母です。后は、御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりひこいにえのすめらみこと)を生みました。”
開化天皇の第二子です。
母は、
物部氏の遠祖の大綜麻杵(おおへそき)の娘、
伊香色謎命(いかがしこめ)。
一九歳で皇太子となりました。
皇居
瑞籬宮
(みずかきのみや)
陵
陵の名は
山邊道勾岡上陵
(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)
主な神社
大神神社・末社天皇社(奈良県)
出雲大神宮 境内 崇神天皇社(京都府)
活目入彦五十狭茅天皇
(いくめいりひこいさちのすめらみこと)
垂仁天皇
(すいにんてんのう)
崇神天皇の子
母は、大彦命の娘、御間城姫(みまき)。
・別名
活目天皇
(いくめのすめらみこと)
活目尊
(いくめのみこと)
伊久米伊理毘古伊佐知命
(いくめいりびこいさちのみこと)
伊久米天皇
生目天皇
「日本書紀」では
日本書紀巻第五では、
このように登場しています。
“これより先に、皇后は、活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりひこいさちのすめらみこと・垂仁天皇)、彦五十狭茅命(ひこいそさちのみこと)、国方姫命(くにかたひめのみこと)、千千衝倭姫命(ちちつくやまとひめのみこと)、倭彦命(やまとひこのみこと)、五十日鶴彦命(いそかつるひこのみこと)を生みました。"
父・崇神天皇は
活目尊とその兄・豊城入彦命の
どちらを皇太子するのかを
夢占いから決めることにしました。
兄・豊城入彦命は東を向き、
武器を振る夢を、
活目尊は夢の中で縄を四方に
張り巡らせ雀を追い払う夢をみました。
そこで崇神天皇は四方を向いている夢を見た、活目尊を皇太子に選びました。
皇居
(紀)纒向珠城宮
(まきむくのたまきのみや)
(記)師木玉垣宮
(しきのたまかきのみや)
陵
陵の名は
菅原伏見東陵
(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)
主な神社
珠城神社(京都府)
勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。