リートリンの覚書

4・懿徳天皇



第四代・懿徳天皇
(いとくてんのう)


欠史八代(けっしはちだい)。
実在が疑問視されている天皇のひとり。

生没年 前553~前477(享年77歳)
在位年 前510(44歳)~前477(77歳)


別名


大日本彦耜友天皇
(おおやまとひこすきとものすめらみこと)
大倭日子鉏友命
(おおやまとひこすきとものみこと)




安寧天皇
(あんねいてんのう)




渟名底仲媛命
(ぬなそこなかつひめのみこと)


配偶者


皇后・天豊津媛命
(あまとよつひめ)

一書・泉媛
一書・飯日媛(いひひ)




観松彦香殖稲天皇
(みまつひこかえしね)

一書・同母弟
武石彦奇友背命
(たけしひこあやしともせ)


略歴


懿徳天皇は安寧天皇の第二子です。
母は渟名底仲媛命です。
事代主神の孫、鴨王(かものきみ)の娘です。

安寧天皇11年・16歳の時に
皇太子となりました。

安寧天皇38年12月に、
安寧天皇が崩御しました。

懿徳天皇元年に即位しました。

懿徳天皇2年に都を
軽曲峡宮に遷しました。

また、天豊津媛命を皇后としました。
皇后は観松彦香殖稲天皇を生みました。

懿徳天皇22年2月に
観松彦香殖稲尊を皇太子としました。 

懿徳天皇34年9月に崩御しました。


日本書紀・現代語訳はこちら


皇居


軽曲峡宮


陵・霊廟


陵の名は
畝傍山美真美真子鑯沙溪上陵
(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)


主な神社


皇居内・皇霊殿(東京都)


そのほか


即位後、
都を軽曲峡宮(奈良県橿原市)に
遷しました。

「軽」の地名は、
今も奈良県内に残っています。


懿徳天皇・年表

紀元前553年綏靖天皇29年(0歳)


誕生


紀元前538年安寧天皇11年(16歳)


1月1日 皇太子となる


紀元前511年安寧天皇38年(43歳)


12月 安寧天皇が崩御


紀元前510年懿徳天皇元年(44歳)


2月4日 即位


紀元前509年懿徳天皇2年(45歳)


1月5日 都を軽曲峡宮に遷す

2月11日 天豊津媛命を皇后とする


紀元前489年懿徳天皇22年(65歳)


2月12日 観松彦香殖稲尊を皇太子とする



紀元前477年懿徳天皇34年(77歳)



9月8日 崩御


紀元前476年懿徳天皇34年の翌年


10月 畝傍山南纖沙谿上陵に葬られた


略歴・年表は、
日本書紀を参考に作りました。

勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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