東京橋巡り
豊海橋
(とよみばし)
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豊海橋は、日本橋川に架かる橋で、北岸の東京都中央区日本橋箱崎町と南岸の中央区新川一丁目を結んでいます。
1927年(昭和2年)に震災復興橋として架設されました。
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中央区民文化財豊海橋所在地 中央区新川一丁目 日本橋箱崎町(日本橋川)現在の豊海橋は、大正15年(1926)五月起工、昭和二年(1927)九月に竣工。日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋梁です。橋の歴史は古く、江戸時代中期には豊海橋(別名「乙女橋」がありました。この辺り新掘河岸と呼ばれ、諸国から廻船で江戸に運ばれた酒を陸上げする所で、川に沿って白壁の酒倉が並んでいました。明治期に豊海橋は鉄橋になり、大正十二年(1923)の関東大震災で落橋してしまいました。復興局は新規に設計を土木部の田中豊に依頼、実際の設計図は若手の福田武雄が担当。隅田川支流の河口部の第一橋梁はデザインを一つ一つ変えて区別しやすく工夫していきました。それは隅田川から帰港する船頭に対する配慮でした。福田武雄はフィーレンデールの案出した橋梁デザインを採用し、梯子を横倒しにした様な外観で重量感のある豊海橋を完成しました。この様式は日本では数カ所あるのみで近代の土木遺産としても貴重な橋で、区民有形文化財に登録されています平成十四年三月 中央区教育委員会
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中央区民文化財豊海橋(とよみばし)所在地 中央区新川1丁目 日本橋箱崎町(日本橋川)現在の豊海橋は、大正十五年(1926)五月起工、昭和二年(1927)九月竣工。日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋梁です。橋の歴史は古く、江戸時代中期には豊海橋(別名「乙女橋」)がありました。この辺りは新掘河岸と呼ばれ、諸国から廻船で江戸に運ばれた酒を陸上げする所で、川に沿って白壁の酒倉が並んでいました。明治期に豊海橋は鉄橋になり、大正十二年(1923)の関東大震災で落橋してしまいました。復興局は新規に設計を土木部の田中豊に依頼、実際の設計図は若手の福田武雄が担当。隅田川支流の河口部の第一橋梁はデザインを一つ一つ変えて区別しやすく工夫していました。それは隅田川から帰港する船頭に対する配慮でした。福田武雄はフィーレンデールの案出した橋梁デザインを採用し、梯子を横倒しにした様な外観で重量感のある豊海橋を完成しました。この様式は日本では数ヶ所あるのみで近代の土木遺産としても貴重な橋で、区民有形文化財に登録されています。平成十四年三月 中央区教育委員会
所在地
東京都中央区日本橋箱崎町19-1
最後に
昭和2年に震災復興橋として架設された豊海橋。
こちらも、数々の災害を生き抜き現役とは、素晴らしいことです。
シンプルな鉄骨に、白いフォルムは、まさに美しい。
こちらも後世にその姿を残していただきたい橋です。