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リートリンの覚書

東京橋巡り 永代橋


東京橋巡り

永代橋
(えいたいばし)




永代橋は、隅田川にかかる橋です。

東京都道・千葉県道10号東京浦安線を通しています。国の重要文化財となっています。

創架は元禄11年(1698年)3月25日で、徳川家康の江戸入府から江戸時代にかけて隅田川に架橋された5つの橋のうち、4番目です。

架橋は江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の誕生から50歳を祝う記念事業として造られました。

「永代橋」の名の由来は、架橋された江戸対岸にあった中洲の永代島にちなみます。










永代橋
 元禄11年(1698)に架橋された木造の永代橋は、現在の永代橋の場所よりも約150m上流のこの付近に架けられていました。橋名の由来は、当時このあたりが永代島と呼ばれていたことから名付けられたようですが、一説には五代将軍綱吉の50歳を迎えた記念として名を付けられたとも伝えられています。江戸時代には橋桁が高く取られたこともあり、橋上からは”西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総、限りなく見え渡り眺望よし”などといわれるほど美しい景色が広がっていました。
 歌川広重が江戸後期に描いた「東都名所永代橋全図」には、隅田川河口のこの辺りに多数の廻船が停泊している様子がうかがえます。また、永代橋西詰のにぎわいとともに、幟が立つ高尾稲荷社へ参詣する人びとの姿もみられ、詩情豊かな情景が描かれています。
 なお、永代橋が現在の場所に移されたのは明治30年(1897)のことで、道路橋としては初めてとなる鋼鉄橋に生まれ変わりました。その後、関東大震災で被災したため、大正15年(1926)に現在の橋へと架け替えられました。上流に架かる清洲橋の女性的で優美な雰囲気とは対照的に、男性的で重厚感あふれる永代橋は、隅田川の流れとともに広く都民に親しまれています。
2019年
中央区

注)一部、説明書きが撮影しきれず、書かれていた説明の一番最後の部分がわからなくなってしまいました。
多分、中央区教育委員会と書かれていたと思うのですが。
すみません。

所在地
東京都江東区永代1丁目 ~中央区新川1丁目



最後に

水色の鉄骨の隙間から見える景色は、
映画のワンシーンを見ているよう、
何とも言ぬ美しさです。

余りの美しさに、
橋をさまざまな角度から
眺めたのを覚えています。

その姿がいつまでも続きますように…




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