日本書紀巻弟十に登場する人物 二
・宮主宅媛
・矢田皇女
・小甂姫
・菟道稚郎姫皇女
・河派仲彦
・弟媛
・稚野毛二派皇子
・桜井田部男鉏
・糸媛
・日向泉長媛
宮主宅媛
(みやぬしやかひめ)
応神天皇の妃のひとり
和珥臣の祖・日触使主の娘
別名
宮主矢河枝比売(みやぬしやかわえひめ)
宮主矢阿枝比売
矢河枝比売(やかわえひめ)
宮主矢阿枝比売
矢河枝比売(やかわえひめ)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の、和珥臣の祖である日触使主の娘、宮主宅媛は、菟道稚郎子皇子、矢田皇女、雌鳥皇女を生みました。”
応神天皇の妃のひとりです。
父は和珥臣の祖である日触使主。
菟道稚郎子皇子、矢田皇女、雌鳥皇女
を生みました。
名前のみの登場で詳しい活躍は
記載されていません。
矢田皇女
応神天皇の子
仁徳天皇の皇后
別名
八田若郎女(やたのわきいらつめ)
八田皇女(やたのひめみこ)
八田皇女(やたのひめみこ)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の、和珥臣の祖である日触使主の娘、宮主宅媛は、菟道稚郎子皇子、矢田皇女、雌鳥皇女を生みました。”
応神天皇と妃・宮主宅媛との間に
生まれた子です。
日本書紀 巻第十一 本文では、
同母兄である、皇太子・菟道稚郎子は天皇の位を大鷦鷯尊に譲りたいと思っていましたが、大鷦鷯尊は先帝の命に従い皇位を継ごうとはしませんでした。
そこで、
皇太子は、自ら命を絶ってしまいました。
それを聞いた大鷦鷯尊が難波より馳せ参じ、「我、弟の王子」と三度呼ぶと、太子はたちまち生き返り、自ら起き上がりました。
そして、同母妹である八田皇女を進上し、「納采(のうさい)に不足かもしれませんが、なんとか掖庭(えきてい)の数に入れて下さい」といい、再び棺に伏して薨去しました。
仁徳天皇22年春1月、
天皇は八田皇女を召し入れて、妃にしたいと皇后にいいましたが、皇后は聞き入れませんでした。
仁徳天皇30年9月11日、
皇后は紀国(きのくに)に遊行し、熊野岬(くまのみさき)に至り、そこの処の御綱葉(みつなかしわ)を取って還ってきました。
ここで、天皇は皇后の不在を伺い、八田皇女を娶りました。
皇后は難波済に至り、天皇が八田皇女と交合したと聞いて、大いに恨みました。
仁徳天皇38年春1月6日、
皇后が崩御したため、八田皇女を皇后に立てました。
仁徳天皇38年秋7月、
天皇と皇后は、高台(たかどの)で避暑をしていました。
その時、鹿の鳴き声が聞こえてきました。しかし、月末になると鹿の鳴き声が聞こえなくなりました。
翌日、猪名縣(いなのあがた)の佐伯部(さえきべ)が、苞苴(おおにえ)を献じました。
天皇は膳夫(かしわで)にその贈物の詳細を聞き、その贈物が先日まで鳴いていた鹿だと気づきました。
天皇は鹿の声を聴いて慰められていました。天皇が愛おしくおもっていた鹿とは知らずにたまたま獲ったとはいえ、佐伯部は皇居に近づいて欲しくないといい、
有司に命令して、安芸(あぎ)の渟田(ぬた)に移郷(うつ)しました。これが今の渟田の佐伯部の祖です。
小甂媛
(おなべひめ)
応神天皇の妃のひとり
日触使主の娘で宮主宅媛の妹
別名
袁那弁郎女(おなべのいらつめ)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の宅媛の妹小甂媛は菟道稚郎姫皇女を生みました。”
応神天皇の妃のひとりで、
日触使主の娘で宮主宅媛の妹です。
菟道稚郎姫皇女を生みました。
名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。
菟道稚郎姫皇女
(うじのわかいらつめのひめみ)
応神天皇の子
別名
宇遅之若郎女(うじのわかいらつめ)
宇遅能若郎女(うじのわかいらつめ)
宇遅能若郎女(うじのわかいらつめ)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の宅媛の妹小甂媛は菟道稚郎姫皇女を生みました。”
応神天皇と妃・小甂媛との間に
生まれた子です。
名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。
河派仲彦
(かわまたなかつひこ)
応神天皇の妃・弟媛の父
別名
河泒仲彦(かわまたなかつひこ)
杙俣長日子王(くいまたながひこのみこ)
咋俣長日子王(くいまたながひこのみこ)
経俣那加都比古(くいまたなかつひこ)
杙俣長日子王(くいまたながひこのみこ)
咋俣長日子王(くいまたながひこのみこ)
経俣那加都比古(くいまたなかつひこ)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の、河派仲彦の娘の弟媛は、稚野毛二派皇子を生みました。”
応神天皇の妃・弟媛の父です。
名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。
弟媛
応神天皇の妃のひとり
河派仲彦の娘
別名
息長真若中比売(おきながまわかなかつひめ)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の、河派仲彦の娘の弟媛は、稚野毛二派皇子を生みました。”
応神天皇の妃のひとりです。
父は、河派仲彦。
稚野毛二派皇子を生みました。
詳しい活躍は記載されていません。
稚野毛二派皇子
(わかぬけふたまたのみこ)
応神天皇の子
別名
稚渟毛二岐皇子
若沼毛二俣王
若野毛二俣王
稚渟毛二俣王
稚渟毛二派王
稚沼毛二俣命
若野毛二俣王
稚渟毛二俣王
稚渟毛二派王
稚沼毛二俣命
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の、河派仲彦の娘の弟媛は、稚野毛二派皇子を生みました。”
応神天皇と妃・弟媛との間に生まれた子です。
詳しい活躍は記載されていません。
桜井田部連男鉏
(さくらいたべのむらじのおさい)
応神天皇の妃のひとり糸媛の兄
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の、桜井田部連男鉏の妹・糸媛は、隼総別皇子を生みました。”
応神天皇の妃・糸媛の兄です。
詳しい活躍は記載されていません。
糸媛
(いとひめ)
応神天皇の妃のひとり
別名
糸井比売
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。
“次の妃の、桜井田部連男鉏の妹・糸媛は、隼総別皇子を生みました。”
応神天皇の妃のひとりです。
兄は桜井田部連男鉏です。
隼総別皇子を生みました。
詳しい活躍は記載されていません。
日向泉長媛
(ひむかのいずみのながひめ)
応神天皇の妃のひとり
別名
日向泉長姫(ひむかのいずみのながひめ)
日向之泉長比売(ひむかのいずみのながひ)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。
“次の妃、日向泉長媛は、大葉枝皇子、小葉枝皇子を生みました。”
応神天皇の妃のひとりです。
大葉枝皇子、小葉枝皇子を生みました。
詳しい活躍は記載されていません。
勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。
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