リートリンの覚書

古事記 上つ巻 現代語訳 六 伊邪那岐神と伊邪那美神 二神の結婚


古事記 上つ巻 現代語訳 六


古事記 上つ巻
伊邪那岐神と伊邪那美神 二神の結婚


読み下し文


(伊邪那岐神と伊邪那美神)

(二神の結婚)

 是に其の妹伊邪那美命を問ひて曰りたまはく、「汝が身は如何にか成れる」とのたまふ。答へて白さく、「吾が身は、成り成りて、成り合はぬ処一処あり」とまをす。 しかして伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて、成り余れる処一処あり。故此の吾が身の成り余れる処を以ち、汝が身の成り合はぬ処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為ふ。生むこと奈何」 とのりたまふ。伊邪那美命へて曰さく、「然善けむ」とまをす。しかして伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝と、是の天の御柱を行き廻り逢ひて、美斗能麻具波比為む」 と詔りたまひき。 如此期りて、詔りたまはく、「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ」とのりたまふ。 約り竟へて廻る時に、伊邪那美命、先に 「阿那邇夜志愛袁登古袁」 と言ひ、後に伊邪那岐命、「阿那邇夜志愛袁登売袁」と言ひたまふ。各言ひ竟へし後に、其の妹に告げて曰りたまはく、「女子先に言へるは不良し」 とのりたまふ。然あれども、久美度邇興して生める子は、水蛭子。此の子は葦船に入れて流し去りつ。次に淡島を生みたまふ。是も子の例には入れず。
 是に二柱の神議りて、云りたまはく、「今、吾が生める子不良し。猶天つ神の御所に白すべし」とのりたまふ。共に参上り、天つ神の命を請ひたまふ。しかして天つ神の命以ち、布斗麻邇爾卜相ひて、詔りたまはく、「女の先に言へるに因りて不良し。亦還り降り改め言へ」とのりたまふ。


現代語訳


二神の結婚

 ここに、その妹、伊邪那美命に問いて、「汝が身は、如何(いかが)に成っている」といいました。

答えて、「吾が身は、成り成りても、成り合わぬ処が、一箇所あります」といいました。

 しかして、伊邪那岐命が、おっしゃるには、「我が身は、成り成りて、成り余れる処が、一箇所ある。故に、この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はぬ処に、刺し塞ぎて、国土を生み成さんと思うが。いかに」 といいました。

伊邪那美命が答えて、「それは良いことです」いいました。

しかして、伊邪那岐命が仰せになられ、「然らば、吾と汝と、この天の御柱を行き廻り逢いて、美斗能麻具波比(みとのまぐはい)をしよう」 といいました。 

このように約束して、仰せになられ、「汝は右より廻り逢え、我は左より廻り逢おう」といいました。

 約りついに廻る時に、伊邪那美命が、先に 、「阿那邇夜志愛袁登古袁(あなによしえをとこを)」といい、後に伊邪那岐命が、「阿那邇夜志愛袁登売袁(あなにやしえをとめを)」といいました。

各々言い終えて後に、その妹に告げて、「女子が先に言うのは良からず」 といいました。

然あれども、久美度(くみど)に起して、生める子は、水蛭子(ひるこ)でした。この子は、葦船(あしぶね)に入れて流し去りました。

次に淡島(あわしま)を生みました。この子の例には入れませんでした。

 ここに、二柱の神議(かんはか)りて、「今、吾が生める子は良くなかった。なお、天つ神の御所(みも)に告白すべきだ」といいました。

共に参上り、天つ神の命を請いました。

しかして、天つ神の命をもって、布斗麻邇爾(ふとまにに)で卜いして、仰られて、「女が先に言うことが良くなかった。また還り降り、改め言いなさい」といいました。



・美斗能麻具波比(みとのまぐはい)
男女が契りを結ぶこと
・久美度(くみど)
夫婦の寝所

ゆる~っと訳に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。






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