リートリンの覚書

日本の神様36・天鈿女命・稚日女尊 改訂版


天鈿女命
(あまのうずめのみこと)


髪飾りをした女神、
猨女君(さるめのきみ)の遠祖

天鈿女命は、
天の岩戸に隠れた天照大御神を
外に誘いだすために、
熱狂的な踊りを披露したことから、
日本の芸能の起源とされる女神です。


別名 


天宇受賣命
天宇受売命


神格 


神楽芸能の神


「日本書紀」では


本文では、このように、登場しています。

“また、猨女君の遠祖、天鈿女命は、則、手に茅纒の矟を持ち、天の石窟戸の前に立ち、巧に俳優を作し、また、天香山の真坂樹をもって鬘とし、蘿をもって手繦とし、火処を焼き、覆槽置、顕神明之憑談しました。”

天の岩屋神話で天照大御神を
外に誘い出す重要な役割を果たしました。

また天孫降臨の際に、
瓊瓊杵尊に随伴します。


「古事記」では


天宇受賣命は
うつ伏せにした
槽(うけ・特殊な桶)の上に乗り、
背をそり胸乳をあらわにして、
裳の紐を女陰まで押したれて、
低く腰を落とし足を踏みとどろかし、
力強く妖艶な動作で踊り、
八百万の神々を大笑いさせたとあります。

「古事記」では天宇受賣命と表記しています。


そのほか


・天鈿女命は天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊に随伴します。
その後、猿田毘古神の名をあらわにしたことからその名を背負い仕えることになり、猿女君の祖神となりました。
一説には猿田毘古神の妻となったとされています。

・天鈿女命の踊りは、神前で舞を奉じる神楽の始まりとされています。
神楽の語源は、「神座・かみくら(神が宿る場)」であるといわれ、神を招き、降臨してきた神を歓迎し祝福するために、神座において踊りを捧げることを意味します。
同時に神楽は神の心を楽しませ和らげる「神遊び」という意味も含まれています。

・高千穂神楽は天鈿女命が天の岩屋の前で舞った踊りがルーツとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。


神徳


武芸全般守護
芸能上達


祀る神社


佐瑠女神社(三重県伊勢市)
天鈿女社(三重県)
椿岸神社(三重県)


稚日女尊
(わかひるめのみこと)


機織りの神

天照大神の和魂(にぎみたま)、
または妹神という説があります。


別名 


稚日孁命


神格 


機織りをする女神


「日本書紀」では


日本書紀 巻第一 神代上
第七段、第一の書では、
このように登場しています。

“この後、稚日女尊は、齋服殿に坐して神の御服を織っていました。素戔鳴尊はこれを見て、則、斑駒を逆剥して、御殿内に投げ入れまた。稚日女尊は、乃ち驚いて機から墮ちて、所持していた梭で體を傷つけて神退しました。”

七段一書の一では、
素戔嗚尊が高天原で乱暴狼藉を
はたらく話に登場します。

もう一度この神の名が登場するのは
「日本書紀」の神功皇后摂政前紀で、
ここでは機織の神とは大きく性格が
異なっています。

神功摂政元年、
神功皇后は、忍熊王が兵をおこしたと聞き、
難波を目指しました。

その途中、
船は海中を廻り、
進むことが出来なくなりました。

そこで、
務古水門(むこのみなと)に還り、
このことを占うと、

稚日女尊が教えさとして、
活田長峡国(いくたのながお)に居たいと 
思う、といいました。

そこで海上五十狭茅(うながみのいさち)に 祭らせました。

神功皇后につき従っていた
神々の教えのとおりに鎮座させると、
平安に海を渡ることが出来ました。


そのほか


・稚日女尊は、神功皇后の新羅遠征の際に海路の安全を守護した神でした。その帰りに神戸に留まりたいと
主張したのは、本来、神戸の産土神(地主神)だったからと推測されます。
生田神社に祀られた稚日女尊は、その後、平安時代には有力な風雨の神として朝廷から手厚く祀られました。


神徳


健康長寿
祈雨
商売繁盛
疫病除け
縁結び
子宝安産など
 

祀る神社

 
生田神社(兵庫県神戸市)
玉津島神社(和歌山県和歌山市)



天の岩戸神話に登場する
天鈿女命。

神話に登場する他の神様は、
詳細がほとんど書かれておらず、
遠い存在に感じます。

しかし、
天の岩戸神話での
天鈿女命は
存在感があふれ、
躍動感が伝わってきてます。

また、天鈿女命と猿田彦大神の
やり取りは、
人間味があり、
親近感がわきます。

結構好きな神様です。

さて、今日はこれにて。
明日も神様シリーズ続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。



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