リートリンの覚書

3・安寧天皇


第三代・安寧天皇
(あんねいてんのう)


欠史八代(けっしはちだい)
実在が疑問視されている天皇のひとり。

生没年 前577~前511年(享年67歳)
在位年 前549(28歳)~前511(67歳)


別名


磯城津彦玉手看天皇
(しきつひこたまてみのすめらみこと)

師木津日子玉手見命
(しきつひこたまてみのみこと)




綏靖天皇
(すいぜいてんのう)




五十鈴依媛命
(いすずよりひめのみこと)


配偶者


皇后・渟名底仲媛命
(ぬなそこなかつひめのみこと・別名・渟名襲媛)

一書・川津媛
一書・糸井媛




・息石耳命
(おきそみみのみこと)

・大日本彦耜友天皇
(おおやまとひこすきとものすめらみこと)

一書・常津彦某兄(とこつひこいろね)
一書・磯城津彦命(しきつひこ)


略歴


安寧天皇は綏靖天皇の嫡男です。
母は五十鈴依媛命で、
事代主神の次女です。

二十一歳の時に皇太子となりました。
綏靖三十三年に綏靖天皇が崩御しました。
その年に天皇に即位しました。

翌年、都を片塩に遷しました。
これを浮孔宮といいます。

安寧三年に渟名底仲媛命を
皇后としました。

それ以前に二人の皇子が生まれています。

第一子は息石耳命、
第二子は大日本彦耜友天皇です。

・一書では三皇子が生まれ、
第一を常津彦某兄といい、
第二を大日本彦耜友天皇、
第三を磯城津彦命と伝えています。

安寧十一年に
大日本彦耜友尊を皇太子としました。

安寧三十八年十二月六日崩御されました。
五十七歳でした。


日本書紀・現代語訳はこちら


皇居


片塩浮孔宮
(うきあなのみや)


陵・霊廟


陵の名は
畝傍山西南御陰井上陵
(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)


主な神社


安寧天皇神社(奈良県)
皇居内・皇霊殿(東京都)


安寧天皇・年表

紀元前577年綏靖天皇5年(0歳)


誕生


紀元前557年綏靖天皇25年(21歳)


皇太子となる


紀元前549年綏靖天皇33年(28歳)


7月3日  即位


紀元前547年安寧天皇2年(30歳)


都を片塩浮孔宮に遷す


紀元前546年安寧天皇3年(31歳)


1月5日 渟名底仲媛命を皇后とする


紀元前538年安寧天皇11年(39歳)


1月1日 大日本彦耜友尊を皇太子とする


紀元前511年安寧天皇38年(67歳)


12月6日 崩御。 日本書紀では享年57歳


紀元前510年懿徳天皇元年


8月 畝傍山南御陰井上陵に葬られた



最後まで読んで頂き
ありがとうございました。

略歴・年表は、
日本書紀を参考に作りました。

勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。



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