第七段の一書群 その一
・素戔嗚尊の高天原での暴挙。
・天照大神の岩戸への引き篭もり。その異伝。
第一の一書
一書に曰く
その後に稚日女尊(わかひるめのみこと)が
神聖な機織殿(はたおりどの)に居て、
神のご衣服を織っていました。
素戔嗚尊は見つけると、
斑馬を逆さに剥いで、
殿の中に投げ入れました。
稚日女尊は、
それに驚いて機織りから落ち、
持っていた梭(ひ)で体を傷つけ、
死んでしまいました。
天照大神は素戔嗚尊に、
「お前には、
まだ汚い心がある。
お前とは会いたくない」
といい、
すぐに天の石窟(いわや)に入り、
磐戸を閉めてしまいました。
このため天下は永遠の闇となり、
昼と夜の違いもなくなりました。
故に、八十万の神々は
天高市(あめのたけち)に集まり
相談をしました。
その時に、
高皇産霊(たかみむすひ)の子息で
思兼神(おもいかね)という神がいました。
思慮深く知恵があり、
考えて、
「かの神の象(かたち)をあらわし造って、
招き寄せて祀りましょう」
と、いいました。
そこで石凝姥(いしこりとめ)を
鋳物工として、
天の香山の金を採り、
日矛(ひぼこ)を作りました。
また真名鹿(まなか)の皮を剥ぎ取り、
天の羽鞴(はぶき)を作りました。
これを用いて作り奉った神は、
紀伊国に鎮座する
日前神(ひのくまのかみ)です。
石凝姥(せききょうほ)これは伊之居梨度咩(いしこりとめ)といいます。
全剥(ぜんはく)これは宇都番播伎(うつはき)といいます。
・神退(かみさる)
天皇など、高貴の人が死去する。崩御(ほうぎょ)する。薨去(こうきょ)する。かんさる。神上がる。
・冶工(やこう)
鉱石から金属を吹き分け、また、金属を鋳造する職工。鋳物師(いものし)。鍛冶屋(かじや)。
・全剥(うつはぎ)
動物の皮などを、そっくりそのままはぎ取ること。丸はぎ。
・羽韛(はぶき)
火をおこす時、風を吹き送るのに用いる、革で作った簡単な具。ふいご。
第二の一書
一書に曰く、
日神尊は、
天の垣田を御田としていました。
時に素戔嗚尊はその田に、
春には田の溝を埋め、
畔を壊しました。
また秋には、
実った穀物を、
縄をはりめぐらせ自分の物としました。
また、日神が機織殿にいるときに、
生きたままの斑駒の皮を剥ぎ、
それを殿の内に投げ込みました。
これらのことは、
大変無礼なことでした。
しかし、
日神は肉親の情でとがめず、
恨んだりせず、
優しい御心で許していました。
日神が新嘗の神事を行うときに、
素戔嗚尊は、
新宮の日神の席に、
ひそかにうんこをしておきました。
日神は知らずに、
その上に坐ってしまいました。
これにより日神は体中が臭くなりました。
これには日神も怒り恨んで、
天の石窟入り、
その磐戸を閉めてしまいました。
諸々の神々は憂いて。
鏡作部(かがみつくり)の
遠祖の天糠戸者(あまのあらとのかみ)に、
鏡を造らせ、
忌部の遠祖の太玉者(ふとたまのかみ)に、
幣帛を造らせ、
玉作部(たまつくりべ)の遠祖の豊玉者に、
玉を造らせました。
また山雷(やまつち)の者には、
たくさんの眞坂樹から
多くの玉串を採らせました。
また野槌(のつち)の者は、
たくさんの野の小竹から
多くの玉串を採らせました。
この諸々の物はみな集められました。
そこで、
中臣の遠祖の天児屋命(あまのこやねのみこと)が、
神に対して祝い言を述べました。
これにより、
日神は磐戸を開けて
出ていらっしゃいました。
この時、
鏡をその磐窟(いわや)に入れましたが、
戸に触れて小さな傷が付きました。
その傷はいまでも残っています。
これが伊勢の崇秘(神秘)の大神です。
諸々の神々は、
素戔嗚尊に罪を科し、
その科料を徴集しました。
そのなかに、
吉をはらうのに使う手の爪、
凶をはらうのに使う足の爪がありました。
また、
唾を白和幣、涎を青和幣、
として用いはらい終えると。
ついに神追放の原理で
素戔嗚尊を追放しました。
送糞、これは倶蘇摩屡(くそまる)といいます。玉籤、これは多摩倶之(たまくし)といいます。祓具、これは波羅閉都母能(はらえつもの)といいます。手端吉棄、これは多那須衛能余之岐羅毗(たなすゑのきらい)といいます。神祝祝之、これは加武保佐枳保佐枳枳逐(かむほさきほさきき)これは波羅賦(はらふ)といいます。
うーむ
二番目の一書を読んでいたら、
「それ、座る前に匂いでわかるじゃろ〜」
と何度も千鳥のノブ風ツッコミが
頭の中でリピートしていました。
しかし、日本書紀…
クソマルのお話がお好きなようで😅
えーと、
次も第六段の一書群です。
こちらの一書は、
自分のオススメですので、
次回は、是非読んでいただけたら
と思います。
最後まで読んで頂き
ありがとうございました。
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